家の年賀状を初めて書いたのは小学校6年生の時だ。「子どもの俺でいいのかな」と思ったが 、年末の母は内職で忙しく、妹は幼すぎて、やっぱりやるしかないと決意した。絵が少し得意だったこともあった。もの心つく前に亡くなった父に代わり、一家を支える長男の自覚を中学校入学前に促される機会だったような感じがする。
この年賀状のことを忘れられないのは、描いた龍がとんでもなく下手だったからだ。色鉛筆で描いて気に入らず上から墨でなぞり余計にひどくした。それではと気分を変えて描いた竜の落とし子は、何が描かれているのかさえわからない。ちゃぶ台で格闘している私に、母が後ろから「何だか、おもしろいね」と言ってくれた。
正月の新聞には、干支のイラストが満載だ。プロだから上手いにきまっている。これと家に来た印刷の年賀状が、「絵だけはうまい」はずの私のプライドを年始めからへこませ続けた。ただ、どの親戚も、例年より少し多めのお年玉とともに、「晃ちゃん、立派な年賀状だね」と口裏を合わせたように励ましてくれた。
この年から、家の年賀状を描き続けている。あれから4度目の辰年の今年、3月末で定年退職と書き添えた。それにしても、あの最初の年賀状に書いた「謹賀新年」に私はどんな気持ちを込めたのだろう。【平成24年1月23日 北海道新聞朝刊掲載】
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………2年目に入る40日毎掲載の新聞コラム、今年最初の550字。次の3月4日掲載が現職最後分。さて、何を書くか…。