この絵を見たい、と思って美術館へ行った最初の体験。図書館の画集で知った小出楢重『喇叭を持てる子ども立像』(1923年)を、修学旅行の自由時間に上野の近代美術館で見た。画集と本物は存在感がまるで違った。この子どもが迫って来たのと意外に暗い絵だったことを覚えている。絵はこんなふうに描いていいんだなあ、顔と服が面白いなあ、不思議な背景だなあ、なんて思った。自由見学のグループに、「俺、行きたいところがあるんだけでいいかな」と誘って誰も文句言われなかったが、60年代末の田舎の高校生にとって東京は外国みたいなもので、どこへ行ったらよいのか誰もわからなかったのだ。
東京にいる子ども経由で、義理の父からの画集送ると連絡が来た。線が面白い須田国太郎と富岡鉄斎と小出楢重をもらうことにした。画像は今から102年前の作品。ずっしりとした重さを感じるが少しも古くない。時代を越えた飽きのこない新鮮さというか、詩情ある世界観が伝わってくる。高校生の時からずうっと変わらない。
この頃、絵を描いていないからうしろめたさあるが、画集の話で久しぶりに家にある画集開き、自分の絵心の行方を探しているような感じがした。何を描きたいより、まず心が喜ぶ線や色のことを。
絵を描くことも、波風食堂と称して遊ぶことも、子どものための教員にならなくては意味がないことでも決定的に影響を受けた中学校時代の美術の先生、亡くなって1年経ち追悼記念会の案内状が来た。人生の巡り合わせを静かに思う 60年代末に書かれた松下竜一著『豆腐屋の四季』、まだこんな貧乏があった時代だったのかと高校時代を思う波風氏。俺は修学旅行にも、大学にも行けたもなあ。「うちは貧乏だ」は世間を知って言える言葉だな。