波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

絵心の行方

2025年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

この絵を見たい、と思って美術館へ行った最初の体験。図書館の画集で知った小出楢重『喇叭を持てる子ども立像』(1923年)を、修学旅行の自由時間に上野の近代美術館で見た。画集と本物は存在感がまるで違った。この子どもが迫って来たのと意外に暗い絵だったことを覚えている。絵はこんなふうに描いていいんだなあ、顔と服が面白いなあ、不思議な背景だなあ、なんて思った。自由見学のグループに、「俺、行きたいところがあるんだけでいいかな」と誘って誰も文句言われなかったが、60年代末の田舎の高校生にとって東京は外国みたいなもので、どこへ行ったらよいのか誰もわからなかったのだ。

東京にいる子ども経由で、義理の父からの画集送ると連絡が来た。線が面白い須田国太郎と富岡鉄斎と小出楢重をもらうことにした。画像は今から102年前の作品。ずっしりとした重さを感じるが少しも古くない。時代を越えた飽きのこない新鮮さというか、詩情ある世界観が伝わってくる。高校生の時からずうっと変わらない。
この頃、絵を描いていないからうしろめたさあるが、画集の話で久しぶりに家にある画集開き、自分の絵心の行方を探しているような感じがした。何を描きたいより、まず心が喜ぶ線や色のことを。


絵を描くことも、波風食堂と称して遊ぶことも、子どものための教員にならなくては意味がないことでも決定的に影響を受けた中学校時代の美術の先生、亡くなって1年経ち追悼記念会の案内状が来た。人生の巡り合わせを静かに思う  60年代末に書かれた松下竜一著『豆腐屋の四季』、まだこんな貧乏があった時代だったのかと高校時代を思う波風氏。俺は修学旅行にも、大学にも行けたもなあ。「うちは貧乏だ」は世間を知って言える言葉だな。

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映画『PERFECT DAYS』で考えた。

2025年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム


(前回記事は映画で感じたこと、今回は映画で考えたこと)
過去は変えられないけれど、過去の意味は変えられる、そうすれば今を機嫌よく生きられる、その先がどうなるかはわからなくても。映画見終わり、少し時間を経て考えたこと。平山(主人公)は、畳に布団を敷き文庫本を読み車で70年代前後のカセットテープを聞く。スマホ持っているが電話連絡用でフイルムカメラで白黒写真を写す。毎朝、鉢植えに水を遣る。こんなアナログなシーンが逆に、デジタル社会でそれなりの仕事していたことを想像させる。姪と妹が出てきて平山の過去を少しだけ匂わせるが、仕事や家族や人間関係は明かされない。「何かあった」のだろうけれど、平山は人間らしく見える。

 

平山の暮らし方が波風氏の好みと重なるところがあり笑う。昔の平山も今と同じ好みを持っていてそれがずうっと続いている、いややっと続けられるようになったとも思う。読書も音楽も写真も仕事ぶりだって、若い時からずうっと変わらない。そう考えると、子どもみたいな楽しみを保ち続けることが機嫌良く暮らす秘訣かもしれない。『大人』とは,「自分の置かれている立場の自覚や自活能力を持ち、社会の裏表もすこしずつ分かりかけてきた意味」「その場の感情や目先の利害などにとらわれず、後々までの見据えた対処が出来る様子」と辞書にあった。自分が責任負える範囲を知る平山は大人なんだけど

 

平山は、鼻の下の髭を毎朝丁寧に切り揃える。「俺は顔にはこの髭の長さと面積が似合うのだ」と彼にしては珍しい自己主張が見えて、ほーっと思う。トイレ掃除着の清潔そうなツナギ、首に巻く白いタオル、白いスニーカーも静かに似合っていて、「これで良いんだよなあ」を感じる。普段着の雨ガッパや自転車姿さりげなくカッコ良い。役者と演出がそうだからと言っちゃあ身も蓋もないが、大人だから子どもらしさが際立つ。平山がほのかに想っている女性(石川さゆり)の元夫と影踏みに興じる場面、唐突だが余計なことを言わず人と人が絡む幸せなシーン。ドギマギする人間を誘って遊べる平山は子どもだ


画像は、家の前の煉瓦道に生えていた苔や鉢植えの植物から切り取ったのに、今朝も霧吹きで水をる 寝床で小説を読むのは素敵だなあと波風氏は喜ぶのであった(笑)平山は浅草の地下街で一杯やる。良いなあ、地下街、最先端の公共トイレとレトロ横溢の地下街の対比面白い。マンガ『おむすびの転がる街』(panpanya)を開こうかな韓国のハン・ガン著『すべての、白いものたちの』、これは小説?詩(散文詩)ではないのか。読んでいて浮遊するような不思議さ。

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映画『PERFECT DAYS』観た。

2025年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

見たかった映画がサブスクに。吹き溜まりを1時間強かけて片付け、主演役所広司、監督が小津安二郎を尊敬、トイレ掃除のオジサンの暮らしを淡々と描いているらしい、それぐらいの情報で見始める。外国の映画祭で賞もらっていた。

 

主人公が、朝起きて布団をたたみ、枕元の電気スタンドで古本の文庫本を寝ながら読んで寝入る每日変わらないルーティン。最初は何が始まるのかと思ったがずーっと何も起きない。一生懸命な公共トイレ掃除の仕事、昼飯後の木立と空の写真撮影、仕事終わりに地下街飲み屋の一杯、古本屋の100円均一本、毎朝布団を片付ける畳み部屋の壁際にきちんと並び置かれている文庫本とカセットテープと毎朝水やる植物。清潔で簡潔な暮らし。絵に描いたような立派な一人暮らし。ここに他者が関わって一波乱起きそうで起きず、日々のルーティンが繰り返される。観ているうち、他者を認めつつ自分の意思で淡々と行動し、それが実に気持ち良さそう。なるほど、『PERFECT DAYS』だ。

Perfect Days - Perfect Day, Feeling Good

波風氏が気持ち良く過ごせた日の気分、こんな感じだなあ。映画=ドラマ必要というわけではないな。爽やかなプチワクワクとプチドキドキ、悪くない。渋谷のモダンなトイレ、姪の役の女優さん、初対面の癌にかかった男(三浦友和)との影踏み、印象に残った。


このブログ記事(「PERFECT  DAYS」)はやはり表ブログで、今朝まであった記事(『たこウインナーの朝』)は裏ブログだろうとそれぞれ場所を移動した。気分がすっきりした。ブログ脳にはこんな生理作用もあるようだこの映画で触発されたことを考えていた。過去と今とこれからのこと。LIFEでなくDAY、DAYでなくDAYSの違い。浮かんでくる言葉がもう少し確かになれば、「『PERFECT  DAYS』考えた。」なんて記事を書いてみよう。

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ゆるやかな線

2025年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム

ルソーの『眠るジプシー女』だな、これは。疲れて寝ている女に、ライオンが月明かりの砂漠で寄り添う幻想的なルソー、松田正平は裸婦と犬と月に置き変え、俳画のような滋味がある。画集だからよく分からないが、一見ヘロヘロしているようで強い線、ぐいっと引いた黒線が邪魔にならないすごみ。ルソーは徹底的に描き込んだ緻密さで古典的な物語感あるが、松田のは描いているうちにこんなふうになりました、みたいなホノボノ感。おい、そんな格好していたら風邪ひくぞ、犬にあちこち舐められるぞ(笑)。
吹雪なので好きな画家の画文集(『松田正平 風の吹くまま』求龍堂)を開く。昨日、薄暗いところで本を読んで首を痛くした。こういう日は、理屈っぽくなくて、ヒタヒタと詩を感じるのが良い。色と明るさと線の響き合いはさすがプロで「俺でも描けそうだな」を一蹴する。

 

年末に来た近況報告に返事書く。小学校からの友人、互いに年賀状は出さないが時々忘れた頃にハガキを出し合う。目の具合が悪いとあった。13歳の夏、彼が針金を張ろうとして誤って目を傷つけ眼科に付き添ったことがあった。その時のが原因なのかなあ。心配だ。13歳の正月、彼と本屋やデパートに行ったり、スキーをした。一緒に絵を描いていた4人組の中で、スキーや海水浴に行ったり街へ繰り出すのはいつも彼一人だけだった。当時はあまり考えなかったが、他の2人は遊べない事情があったのだろう。少し前、4人で会おうと連絡取り合っていたがコロナで断念した。
何とか生きていることを、ヘロヘロ文字で飄々ゆるやかな言葉選んで伝えたい。


少し宣伝用のイラスト描いてきたせいで、ヘロヘロした線よりピシッとした線を描いてきた。だが、飽きたし、生活感覚とズレてきた 午前中、スキー手袋(右)の親指と人差し指の股のところがほつれていたので縫う。糸通し使い、読書メガネかけ、電気スタンド近くに寄せて。25年以上前のスキー手袋、ここ20年は除雪手袋。ここまで使えた満足感湧く。初めて防水スプレーかけたりして。

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骨のある

2025年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム

この骨はなんて堂々と歩いているのだろう、前を向き肩を怒らせているが姿勢正しく、拳握り確かな一歩を踏んでいる。こんな字を書きたいなあ。死に体の『骨』でなく、「生きたい」の骨格。明るく元気な骨がある嬉しさ。

少し前まで、いつ逝っても未練無しと思っていた波風氏。10年前に逝く予想(予定では無い)だった。心残りは、身辺雑多な始末と、ママヨさんのパソコン操作手助けと、周り順と思いつつ葬式埋葬の面倒。
老い先が、身も心をも衰え普通の暮らしができなくなり、暗さと辛さしか思い浮かばなかったからだ。世の老人は、何が楽しくて生きているのかな、死なないから生きているのかなあ、なんて不埒なことを考えることもあった。

 

それが変わった。まだ完全老人の域にないから確定できないが、ちょっとした親切や思いやりを俄然感じるようになり、老人には老人の幸福感を発見。人間の嫌なところも、許せるのと許せないの境界が前者側に少しズレて、波風立男から凪風寝男(ナギカゼネルオ)になってきたかも、なのだ。この変化は、人生は思いのほか面白いかも、の発見。『幸せ』は、簡単に解決できない悲しみ辛さの最中でも、人間性しだいだが受け取り可能な価値。明日、そんな幸せに出合えるかもしれないなあ、という気持ちが幸せの本体というか本質かもなあ。そんな明日が来るのを楽しみにできる人生ってなんか良くない?


画像の『骨』は、開く度にワクワクするエッセーと書の緒形拳著『恋慕渇仰』(れんぼかつごう)から。緒形さんはかっこいいなあと波風氏が思う一人。思いつくもう一人は、伊丹十三さんかな 友人はいたが自分が読んだ本のことを話すせる友人はいなかった。それまで読んだ中で一番感動した本のことを話したら相手も同じ本だった。パールバック『大地』、18歳の立男君とママヨさん。

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