「波風先生の絵を見ながら育ちました」と最後に勤めていた学校で突然に男子生徒から言われた。昔、家に遊びに来ていた教え子から「この絵好きです。私に下さい。」と真っ直ぐな目で言われ、あまり考えないで「いいよ」と言ったのを思い出した。あの中3女子が母親になったのはその後も時々家に遊びに来ているから知っているが、目の前の中3男子がその子どもだった。笑ったときの柔らかな眼差しがなるほど親子だ。
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絵は昭和54年に描いた「日曜日」(F50号)。例の表札※をやっと作ることができたので掛けに行ったら、玄関にこの絵が飾ってあった。少し絵の具が剥がれていたので修理するからと30年ぶりに里帰りさせた。国語教師から美術教師になろうと真剣だった頃の1枚。学校が荒れ始め華麗なる転身はできなくなった。絵の人物は子どもだが、子どもでも大人でも無いような、永遠の少年を描こうとしていたような気がする。ここに自分がいる。
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そのころ描いた絵は、あまり残っていない。絵はいつも練習作品で、苦渋の結晶だから手元に置いて眺める勇気が無かった。楽しいから描くというのはここ最近だ。それにしても、この絵からは気負いとその気負いを押さえつける感情、そんな矛盾が伝わる。いかにも若く、息苦しさが辛い。この絵の後に描き始め止めてしまった「家族」(100号)が物置にあるはずだ。今なら再開できるような気もする。