危うい健康と足りない貯金でも、「今日も楽しかったな」で寝付き「今日はどんな楽しみがあるかな」で始まる朝、こういう暮らしが長く続いて欲しい。昔はもっと固い『生きがい』だったが、時間とともに芯は残っていても柔らかくなり、その分、好き嫌いに正直迅速に反応しストレスが残らなくなってきた。もう少しで思うがままの言動でも嫌われず仙人初級試験に合格できるかも(笑) 長崎の平和式典にイスラエル招待しないから出席しないとウクライナ支援の各国代表。円滑な運営できるなら紛争当事国こそ呼ぶべきだの長崎市長に共感しつつ、ウクライナ支援の欺瞞を思う。ガザの非道非正義、死者4万、学校攻撃で多くの子どもが亡くなり62万人全員が1学年分の教育受けられず2600人の教師死傷。 間違いは「この人の言うことはたぶん正しいから」というバイアスかけたままのものごと判断。先週のブログ記事『危うさの時に』のこと。直接本人どうしでなく第三者の判断が間違い固定。電話ではなく、対面で話せばすぐに解決したはず、電話1本の便利主義は危険。こういう間違いは妙に頭に残るなあ。今週、珍しく頭痛が続く。 プライドと名誉欲の近そうで全く遠い意味を思う。他の人に喜んで貰うのが親切で自分で喜んでいるだけがお節介に似ている。これ、仙人上級試験突破の難問かもなあ。
画像は、一篭の朝の収穫。やっと20℃越えるようになり遅ればせながらの喜び。花が咲いた後の成長の早さに驚き喜ぶ。イラストは未だ描かない西部遭『自死について』読み、孤独と無目標で楽しみの無い老いの末路を言葉の藪を漕ぎ手で払うように読む。ちゃんとした死生観が必要だな。