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京都の街は独特の雰囲気があります。
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「よそもん」が街で陣取り合戦をするのが当たり前という不思議な環境のなかで「町衆」が生まれ、権力者と「町衆」が「よそもん」をもてなす文化を生み出したと学生の頃、考えていました。
思いやりや気配りは「おこしやす」に凝縮される「おもてなし」の精神なのです、そこにあるのは「相手(よそもん)の心を読む」ことで「相手(よそもん)を理解し受けいる」こととは別の次元のこととして捉えているように感じていました。
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京都は街全体が現世と冥界に分けるテーマバークであり、文学や芸術に反映された独自の死生観がそこかしこに見られる不思議な魔界がいくつも残っています。
小学校の教師になった時、「おもてなしのスキル」を学校教育のなかに求めたことが修身や道徳という「日本型倫理」と「日本の心」という日本人としてのアイデンティティーとの乖離を生み出したのではと考えてきました。
人は生きがいや使命感を持つ時に自由意志が生まれてくるのだという仮説です。
物事を二元的に対立構造で判断することは意外と簡単なことのように思います。
しかし現実社会のなかで、自立した個人として、自分の行動の中に自分のなかで止揚した判断を示すことはとても難しい時代になっていると思います。
年老いて、現実社会の中で行動することを放棄し、ただ余生という限られた時間を消費することに右往左往するより、旅立つ寸前まで、何かをなすことを模索すことか幸せな人生なのだと思います。
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ふっと、ボランティアについてお教えいただいたときの議論を思い出しています。
敬愛する内海成治先生のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表します。
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