おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

先生、頑張ってくださいね。

2022-06-29 19:50:05 | Weblog
校長は業務負担の軽減策を講じず「注意義務に違反し賠償責任を負う」という司法判断。

ますます、校長の希望者や管理職希望の先生が減るのだろうな。

 先生一人当たりの業務負担(学習指導に関わる業務と校務に関わる業務)が一律でないのは、
教員ならだれでも知っていることです。
学校というせまい空間なので声を出すことはあまりありません。
長幼の序を説くことも生業の一つですから年功序列は当然存在するし、
校長が変われば学校が変わるという本が出るほど「鍋蓋」の体制は変わっていないように思えます。
(小中高でそのヒエラルキーは少し違うようですが)

  新採の試用期間1年が過ぎた2年目の教員と何十年もしている教員の「与えられる職務や職責」には
当然「差」がありますよね。

 問題は「与えられた職務や職責を十分こなす能力や技術」が
「勤務年数を経ることで その学校で期待されているところ(たしかにあいまいですが・・)まで
達成しているかということに対しての検証システムがないこと」なのだと思います。

 教職員給与特別措置法(給特法)により
「経験年数を経れば、身に着けたスキルや能力に関わりなく一律に同額の給与が上がる」という環境は
民間での「実績、実力判定が給与に反映する」というシステムがない環境だということを示していますが、
「業務がやれる人に仕事が集中する」「業務ができない人に任せてほかの職員の負担をかけたくない」という
管理する側の思考の悪循環の温床になっているのかもしれませんね。
(だからといっていつまでも、実績や実力の評価基準がないのは、子どもたちを評価する立場にいるのなら、
「自分を評価されるのは嫌だ」という主張は自己矛盾にも見えるんですよね。)

 「できる先生が多くの負担を担い、できない先生の分まで頑張る」ことが美徳(笑)とされ保護者も期待した昭和の時代と違い、
「勉強は塾に任せてトラブルさえ起らないクラスに預けておけばいい」という保護者の気持ちや
「合理的で機械的平等論」がいつの間にか先生の中に蔓延すると職員室も様変わりするのだろうな。

 でも、力量の差を給与の額に反映さえすれば解決するのだろうか。
何かが違うように思います。
金で動く人が先生になったとは思いたくないのはOBの個人的な心情
個人の感想です。

夢と志だけでは生きていけないことも知ってますが(笑)中国では教師に副業を認めているで副業の塾の方に力を入れる教員が増えて困っているという公立学校の管理職の話を聞いたことがあります。

 今、何をすることが「教材研究」?で、何をすることが「スキルアップ研修」なのかな?持ち合わせている知識や技術を泥縄式に埋め合わせるより、小学校では持ち上がり2年を前提とした見通しのあるスキル獲得をした方がいいのじゃないかな。教科の専門を必要とする中学高校では、塾や予備校の先生に負けない知識や指導方法を持った上での学級経営力が必要なのだと思います。もう、生徒指導か学級経営かどちらかだけという時代ではないように思うのですが。

OJTが成立しない職場では「採用試験の時点でのスキルや意識、実績」でも月給は上がるはず。めったなことがない限り個人的な減給はない。

 自分の時間を減らしてまで自分に投資する先生は時間がないはずだし、家庭を省みない可能性だってある。
 教育実習生を受け入れることが負担だという先生がいてもおかしくない。
(何年も先生していて「給与に関係のない、ボランティアに近い業務」が「教育実習」なので受け持つ先生を見つけることが難しくなったという話を聞いたことがある)

何でも引き受け頑張る先生を「上昇志向」と揶揄し、負担を避ける先生がいることを知っていても
「教師として不適切だから違う仕事をしては?」とは言えない管理職もいる。

できることは「行政の指針に従順なら、給与の上がる管理職や研究職への道を開いてあげますよ」
なのでしょうね。

でもそれも負担だと思う人が出てきたら。。。
マスメディアの論調により、学校が分断されることが、一番怖い

倍率が低くなったこととの関係を指摘する人たちもいるけどそうなのかな。

困ってるを声に出せる職場
困ってるを見つけられる管理職
あなたたちなら できるよね。

頑張る人が報われる職場になるといいね。

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