いよいよ 全国で非常事態宣言ですか。
「非常事態宣言」を国が出すことの遅い早いの判断にみんながああだ、こうだと評論家のスタンスで話し合っている場合ではないということですね。
まだ遅いとかもっと早ければとかいう人がいますが、「たら、れば」の議論が想定外のことが起こった有事に必要なのかなと、少し思ってます。これからのこと考えていくことが必要なのかもしれませんね。
ある意味で「生き残ること」を選択したわけですから、「コロナ以前の生活や社会」に戻ることを前提に話をするとややこしくなるように思います。
一定期間この状態が続くのはほぼ想定できます。
一定期間がどのくらいかが問題になると思いますが「ワクチンや薬」ができるまでですよね。京大の山中教授が一年はかかるといってられます。
今年採用になった中学や高校の社会科の先生ならわかると思うけど、そうなれば経済的なダメージがあることは明らかだし、そのことがあるから、すなわち「コロナ以前の生活や社会」に戻れることを期待して、それまでの期間を耐えるというスタンスが今回の政治やマスコミによる混乱になったような気がします。宣言が早ければ「コロナ以前の生活や社会」に戻れないという諦めがついたのかという問題じゃないかなと思っています。
もし誰かが、早い時期に「コロナ以前の生活や社会」に戻れないと言っていたのなら、「コロナ以前の生活や社会」に戻るためには「時間と金と我慢」がいるということを言っていたのならと思う気持ちもありましたが、きっと一笑に付されていたかもしれませんね。
残念なことだけど、経済の疲弊により日本も貧しくなりそうです。
僕たち昭和世代の幼少期のようになるのでしょうか。今はセピア色の思い出ですが「みんなが貧しい」ということは僕にとっては決して暗い思い出ではありませんでした。1ドルは大学生の頃でも360円でした。
確かに「都会と田舎」の違いがはっきりしていたのは間違いありませんが、ただ時間がゆっくり過ぎ去っていくだけだと思います。
そんな時代にも疫病はあったし感染の恐怖はあったと思います。そうしたことも含め貧しいがゆえに「生きること」に一生懸命だったのだと思います。
ただ違うことはその時代の僕たちは「豊かさ」「便利さ」を知りませんでした。
一度ICT化が進めば、その便利さゆえに「豊かさ」より便利さを選択してきたプロセスを振り返るのは、そのことを経験してきた団塊の世代と呼ばれる人たちを除いて、難しくなるように思います。
都会の学校の校舎は『3密』の世界ですよね。医療崩壊は「今」の課題ですが、教育崩壊は「これからの未来のための課題」です。
教卓の前にビニルハウス用のビニールシートを張って授業を再開しますか?半分の生徒数にして2回同じ授業をしますか?空気清浄機や除菌滅菌のための設備や環境を誰かに要求しますか?
とりあえずはネットワーク環境の再整備、オンライン学習に向けてのシステムの再構築でしょうね。
これもすぐにはできませんからできるまでの間に、せめてオンラインで指導できるように教材の用意と指導スキル、それも画面の向こう側で授業をするということを想定しての、が必要ですね。
学校としては校務処理と家庭や生徒へのフォローアップシステムの構築が必要だと思います。
ドローンで忘れ物や欠席児童への連絡教材を届ける、先生が遠隔操作するロボットのメンテナンスが必要になりますね。
コミュニケーションに関する保護者の意識が変化するので知徳体による「人格の形成」という公立学校の一番の目的に対しての問いかけが始まると思います。
目的は「情報教育、哲学、安全に身を守る方法と健康な体作り」に変わるかな(笑)。
学級づくりも2メートル向こうの友だちとの関係づくり。
パーソナルスペースという考え方が主流になることが予想されますね。そうした中での「他者意識」をどのようには育むかですね。
先生の資質としてこの間まで英語が中心でしたが、そんなのは翻訳機能にとってかわられ最低限YouTubeで動画のネット教材をアップできツイートで教育相談ができるなんてことが真剣に検討されるかもしれませんね(笑)
ちょっと妄想してみました。
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