電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

雪が融けたらすぐにクロッカスが咲いた〜動き始める春

2022年03月16日 06時01分08秒 | 季節と行事
春の日差しは暖かく、雪どけがぐんぐん進みます。ちょっとした時間にスコップで雪山を崩していたため、除雪機で集めた雪山もだいぶ小さくなり、地面にクロッカスが花を咲かせました。我が家の春告げ花のクロッカス。手入れもしていないのに、毎年花を咲かせます。

某さんからいただいた春の味「いかなごのくぎ煮」を賞味しつつ、クロッカスの花を眺める頃、本格的な春の到来を感じます。これからは、多少の雪やみぞれが降ってもその日のうちに消えてしまいます。春のお彼岸あたりを境に、雪囲いを外し、冬タイヤを夏タイヤに交換する姿が見られるようになります。そういえば、この春には愛車マツダ・デミオXDの夏タイヤを新調する必要があったはず。今のうちにタイヤ屋さんに予約しておかなければ。サクランボ果樹園の剪定枝を集めて焼却、休眠期のうちにハーベストオイルと石灰硫黄合剤でカイガラムシの防除をしなければいけませんし、野菜畑のほうも苦土石灰を散布して耕耘し、堆肥を入れてまた耕耘し、二週間くらいはおかないと。種まきも準備が必要です。あわただしく動き始める春です。

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昔の廉価盤シリーズ中にあった録音から知名度について考える

2022年03月15日 06時01分42秒 | -協奏曲
1970年前後に、日本コロムビア社に「ダイヤモンド1000」という廉価盤LPのシリーズ(*1,2)がありました。当時、CBSソニー社の独立によりドル箱だったCBS録音が失われたために、単独では売りにくいけれどもシリーズ物の中の一枚ならば大丈夫かも、との目論見でスタートさせたのではなかろうかと思います。貧乏学生だった私は、この中から例えばアルフレート・ブレンデルによる最初のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集から何枚かを購入するなどして、実によく聞きました(*3)。それでも、当時は興味は持ちながらも懐具合の関係で購入には至らなかったものを、パブリック・ドメイン音源として再会し、あらためて喜び、また感銘を受けることがあります。例えばトッシー・スピヴァコフスキー(*4)のヴァイオリン、タウノ・ハンニカイネン(*5)指揮のロンドン響によるシベリウスのヴァイオリン協奏曲。

YouTube にありました。
Jean Sibelius "Violin Concerto" Tossy Spivakovsky


エヴェレスト社が35ミリ・マグネティックフィルムに収録した優秀録音だそうで、演奏・録音ともに立派なものです。こうした演奏が、レギュラープライスのLPレコードとして売り出しにくかったのはなぜかと考えてみると、要するに「知名度」の問題だったのだろうと思います。当時はもちろんインターネットなどはなく、有名演奏家に関する雑誌等の情報が翻訳されて伝わるだけだったでしょう。購入して実際に聴いてみればその魅力は伝わるだろうけれど、購入する意欲は「知名度」に左右されるのが現実だった、ということなのかも。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代は、同時に「カラヤン・ビートルズ」の時代でもありました。そんな時代に、書籍で言えば文庫本でしょうか、廉価盤シリーズはありがたい存在でした。

(*1): 大木正興氏とダイヤモンド1000シリーズのこと〜「電網郊外散歩道」2005年6月
(*2): ダイヤモンド1000シリーズ・アルバム〜BQクラシックスより
(*3): あの頃、聴いていた音楽〜「電網郊外散歩道」2018年12月
(*4): トッシー・スピヴァコフスキー〜Wikipedia の解説
(*5): タウノ・ハンニカイネン〜Wikipedia の解説

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山響×仙台フィル合同演奏会でワーグナー、マーラーを聴く

2022年03月14日 06時01分18秒 | -オーケストラ
雨降りの日曜午後、サクランボ果樹園の剪定はお休みで、山響こと山形交響楽団と仙台フィルの合同演奏会のために山形市のやまぎん県民ホールに行ってきました。3.11 の後、「東北は音楽でつながっている」のキャッチフレーズのもと、山形交響楽団と仙台フィルが合同演奏会を開くこととなり、2012年のマーラー:交響曲第2番「復活」(*1)やレスピーギの「ローマ三部作」(*2)などを聴いていますが、今回のお目当ては何と言ってもマーラーの交響曲第5番です。



開演前のプレトークは、西濱秀樹事務局長とこの4月から桂冠指揮者となる飯森範親さんのお二人で、2004年に常任指揮者に就任して以来、これまで山響のレベルアップと活動の発展に取り組んできた飯森さんには一つの区切りとなるもの、とのこと。本日のプログラム、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」より、「前奏曲と愛の死」およびマーラーの交響曲第5番についての解説、それにこの3月で 2nd-Vn の菖蒲三恵子さんと大和ゆり子さんのお二人が定年退職となることなどを紹介しました。

ステージ上に両方のオーケストラの楽団員が登場しますが、いつもの様子とはまるで違い、文字通り「ぎっしり」感があります。ワーグナーの「前奏曲と愛の死」の方は、フルート(3 ピッコロ持ち替え)、オーボエ(3 イングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット(3 バスクラリネット含む)、ファゴット(3)、ホルン(4)、トランペット(3)、トロンボーン(3)、テューバ、ティンパニ、ハープ、弦5部となっていますが、その弦がすごい。ステージ左から第1ヴァイオリン(14)、第2ヴァイオリン(12)、ヴィオラ(10)、チェロ(8)、コントラバス(6) という楽器編成です。
政治犯として逃亡中にかくまってくれた恩人の妻と不倫をはたらくワーグナーの悪漢ぶりは「愛の耽溺」を描くこの音楽でも明らかですが、その背景を離れて音楽を聴けば、きわめて集中力に富んだ感情表現に思わず引き込まれます。音楽を専門とする方々には、調性の崩壊まであと少しのところまで行った驚くべき曲とみなされるのかもしれませんが、ワタクシのような素人音楽愛好家には、音楽史上もっとも名高い悪漢ワーグナーの本領を発揮した耽溺の音楽、でも不思議な魅力を持った音楽と言えるのかもしれません(^o^)/

15分の休憩の後、マーラーの交響曲第5番です。楽器編成はさらに拡大され、フルート(4 ピッコロ持ち替え)、オーボエ(3 イングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット(3 バスクラリネット持ち替え)、ファゴット(3 コントラファゴット持ち替え)、ホルン(7)、トランペット(4)、トロンボーン(3)、テューバ、ティンパニ、パーカッション(4 シンバル、バスドラム、スネアドラム、トライアングル、グロッケンシュピール、タムタム、むち)、ハープ、それに 14-12-10-8-6 の弦5部です。ふだんからLPやCD等でこの曲を聴いていますが、こんなに鳴り物が多いことにはじめて気づきました。
第1楽章:葬送行進曲。冒頭のトランペットが見事に決まり、オーケストラが動き出します。テンポはややゆっくりめで、威厳ある葬列の歩みのようです。ホール中に響く音楽は、全体として暗めの色調の中に明るい光が差し込むところもあり、単純ではありません。第2楽章:嵐のように激しく、猛烈に。落ち着きのない不安定な激しさがありますが、低音楽器が歌うように奏でられるところなど、実に魅力的です。第3楽章:スケルツォ。ホルン席から1人が立ち、ソロを受け持ちます。田舎風の楽しく美しい音楽ですが、一方でオーケストラが鳴り響くところでは、大編成のパワフルさを爽快に実感するところでもあります。第4楽章:あの有名なアダージェット。ハープと弦楽合奏による、これも一種の耽溺の音楽なのかも。第5楽章:フィナーレ、ロンド。こういう音楽は、やっぱりある程度大きな編成でないと難しいのかもしれません。前に進もうとする力が迫力をもって迫ります。いや〜、良かった〜!



仙台フィルとの合同演奏会なのに、山響の桂冠指揮者への就任や定年退職者の紹介、花束贈呈があったりしたのは、2月の山響第299回定期演奏会が新型コロナウィルス禍のために中止となってしまったためでしょう。菖蒲さんは39年、大和さんは43年の長きにわたり、山響をささえていただいたとのこと。この年月の重みは、しばらく前に定年退職を経験した立場からも痛切に感じられます。宮城県など遠方から来県された皆様には、事情ご賢察のほど、よろしくお願いしたいところです。

ところで、今回のプログラム中には、「山響×仙台フィル合同演奏会2022」として、7月23日(土)15時から、やまぎん県民ホールにて、同じく飯森範親さんの指揮でブルックナーの「交響曲第8番」が予定されているとありました。あの大きな伽藍を見上げるような音楽。これも楽しみ〜! 

(*1): 山響・仙台フィル合同による第222回定期演奏会でマーラーの交響曲第2番「復活」を聴く〜「電網郊外散歩道」2012年7月
(*2): 山響・仙台フィル合同演奏会2014でレスピーギの「ローマ三部作」を聴く〜「電網郊外散歩道」2014年7月

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長靴の足裏が冷えると脚がつるので〜雪上作業対策と午後の予定

2022年03月13日 06時00分12秒 | 週末農業・定年農業
連日の好天で次第に雪が融け、自宅裏の果樹園に至る道が現れてきました。除雪しておいたところだけが土が出て、残っている積雪量は30cmを切りました。果樹園のサクランボ「佐藤錦」の剪定作業を少しずつ進めておりますが、困ったことに雪上で2時間を越えて作業をすると脚がつってしまいます。これが痛いのと、雪上ではなかなか回復しないのが困りものです。

考えてみると、ゴム長靴の足底は厚手のゴムだけで断熱性能はあまり期待できません。足裏用のホッカイロというのもあるようですが、そこまではいかなくても、できれば空気の層で断熱性を高めたいところです。そこで、「農家の店」で探したら、交換用のインソール(中敷き)がありましたので、これを追加で敷いてみました。おお! たしかに違います。雪上で10段の脚立に登り降りしているわけですから、足がつる状態では転落の危険もありますので、効果的な改善ポイントと言えましょう。

いずれにしろ、古希も間近な高齢者の高所作業に疲労は禁物です。お天気の良い日には、体を慣らしながら午前中に2時間、午後に2時間、太陽がぽかぽか暖かい時間帯にラジオを聞きながらの農作業です。お天気の悪い日は? もちろん、家でゴロゴロしながら音楽を聴いたり読書をしたり料理をしたり。農閑期から農繁期への助走の時期です。



今日、3月13日は、午後から待望の山形交響楽団×仙台フィルの合同演奏会の予定です。飯森範親さんの指揮で、曲目は

  1. ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
  2. マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

というもの。これはもう、期待大です。

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香月美夜『本好きの下剋上』短編集IIを読む

2022年03月12日 06時01分10秒 | -香月美夜
予約注文していた香月美夜著『本好きの下剋上・短編集II』を読みました。『短編集I』(*1)もそうでしたが、本編とは異なり、ローゼマイン以外の他者視点から見たサイドストーリーを集めたもので、物語中の同じ出来事でもだいぶ違った色合いを帯びて描かれ、興味深いものです。特に、直販や「応援書店」向けに特別に挿入されるリーフレットに収録された描き下ろし短編が、居住地によらずに平等に読めるのはありがたいことです。それでこそ、紙の本の特性を発揮するものと言えましょう。

今回の『短編集II』の内容は、次のようなものです。

エーファ視点 側仕えとの初対面
リコ視点 変化の始まり
ブリュンヒルデ視点 ローゼマイン様と染め物のお披露目
ブリュンヒルデ視点 ギーべ・グレッシェルの娘として
ルッツ視点 元気に成長中
ライムント視点 領地と師弟の関係
オットー視点 旅商人の依頼と冬の準備
フロレンツィア視点 フェルネスティーネ物語ができるまで
トゥーリ視点 ざわめきの中の自覚
ギュンター視点 兵士と騎士の情報収集
ユストクス視点 古ぼけた木札と新しい手紙
バルトルト視点 胸に秘めた怒り
ロヤリテート視点 小さな疑惑
アナスタージウス視点 それぞれの思惑
ルッツ視点 トゥーリの心配
ローゼマイン視点 ラザファムとの会話
エーファ視点 子供達の成長
トゥーリ視点 婚約の事情
レティーツィア視点 初めての祈念式

今回、とくに面白く読み、また収録がありがたかったのは、ブリュンヒルデ視点の「ギーべ・グレッシェルの娘として」、ライムント視点の「領地と師弟の関係」、ロヤリテート視点の「小さな疑惑」、トゥーリ視点の「婚約の事情」などでしょうか。いずれも、地方在住の私には縁のなかった「特典リーフレット」に収録されていた書き下ろし短編で、ネット上のSS(サイドストーリー)集にも収録されていないものですから、今回はじめて読んだものです。

ギーべ・グレッシェル候補として育てられ、そのために努力もしているブリュンヒルデですが、「ギーべ・グレッシェルの娘として」の時点では、まだ印刷業における平民の重要性が理解できていない。このままではグレッシェルの印刷業は失敗するとの焦りから、父親を説得して方向転換させるあたりの事情が、よくわかります。このあと、第二夫人に異母弟が生まれ、ギーべ候補から大きく方向転換してアウブの第二夫人へ立候補するわけですので、そのあたりの説得力が増すようです。また、魔力が少なく以前ならば神殿入りになるところだったライムントが、ヒルシュールに見出されフェルディナンドの駒として添削を受けることとなるあたりの事情がコミカルに描かれる「領地と師弟の関係」も面白いものですし、中央の騎士団長ラオブルートへの疑惑が芽生える「小さな疑惑」も、ちょっとした推理モノみたいです。ルッツとトゥーリの関係を描く「婚約の事情」も、舞い上がるようなラブロマンスではなく、なんとも現実的なものでした。このあたりは、もしかすると著者夫婦もまた同様の「友だち婚」だったからかもしれません(^o^)/

さて、来月は『本好きの下剋上』第5部「女神の化身」第8巻の発売予定となっています。すでに書店に予約注文済み。本編完結まで、あと何巻あるのだろう? このペースだとあと三巻かな。完結が待ち遠しい気持ちとともに、まだまだ完結してほしくない気分もあり、やや複雑です。

(*1): 香月美夜『本好きの下剋上・短編集I』を読む〜「電網郊外散歩道」2019年10月

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詳細な記憶は次第に遠ざかるが

2022年03月11日 06時00分12秒 | Weblog
今日は3月11日。東日本大震災の日です。あの日、私は職場で仕事をしていました。強く長い、尋常でない揺れに驚き、とっさにテレビをつけましたら、震源地は隣県の宮城・福島県沖とニュースが流れ、すぐに停電しました。職員と若干名のお客様の安否確認をし、お客様には「気をつけてお帰りください」とお見送りをして、すぐに被害状況の点検に当たりました。幸いに大きな被害はなく済んだのですが、今後の業務の進め方、とくに不安定な立場にある非正規雇用の人たちの仕事をどうするのか問題になりました。夕方、帰宅して支障がなければ翌日も普段どおりに出勤することと、停電や燃料不足から暖房が止まることが予想されるので、防寒対策をしっかりして来てほしいと話し、最低限の暖房でなんとか本来の業務を継続することができました。私自身は3月末で異動になってしまいましたが、「大変だったけれど仕事を継続できたことがありがたかった」と、ずいぶん感謝されたことを記憶しています。

震災当時の詳細な記憶は、時の経過とともに次第に遠ざかっています。これは年齢的なものと言うよりは、直接的な被災者ではない立場ですから、ある程度やむを得ないことと思います。まして昨今の新型コロナウィルス禍やウクライナ情勢など国際政治の荒波を見ていると、現実への対応に精一杯になってしまいがちです。

でも、例えば我が国のワクチン政策や科学技術政策で、誤った「政治の優位」の意識からなのでしょうか、見当違いの「選択と集中」に走って補助金をカットするなど基礎研究あるいは開発研究を軽視しがち(*1)なように思えてなりませんし、ウクライナで原子力発電所が攻撃の対象となる事態を見ると、地震や津波などの自然災害だけでなく戦争やテロも怖いと感じます。災害に関連した詳細な記憶は次第に遠ざかるものの、本質的に重要な事柄はむしろクリアになってくるような気がします。

(*1): 原子力関係の予算は潤沢に付けてきたのに、国内の某製薬会社のmRNAワクチン開発研究の補助金をカットしたために研究が中止の憂き目に合い、コロナ禍に対抗することができなかった、など。

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確定申告が終わり、サクランボの剪定を再開

2022年03月10日 06時00分54秒 | 週末農業・定年農業
少しずつ作業していた令和3年分の確定申告をようやく終えました。税務署から毎年送ってもらう申告用紙に記入し、添付書類を添えて所轄の税務署に提出し、とりあえず一件落着。昨年は非常勤の仕事をしていましたので、給与からの源泉徴収がありました。昨年の大雪で自宅裏の果樹園が大きな被害を受け、農業収入もほぼ半減したために、少しですが還付金が生じました。こちらは農業収入の赤字補てんにまわし、成長の早い桃の苗木を購入してサクランボ園地の空いた部分に植えて、花と実を楽しむことといたします。

幸いに、昨日はお天気が良かったので、雪もだいぶ融けてきている果樹園に出て、サクランボの剪定を再開しました。脚立に登り降りして全体のバランスを見ながら混み合った枝を切除していきます。真上に伸びようとしている枝は切り、外側に横に出た枝は残すような形で、しかし成長枝を必ず残すようにして、剪定を行います。



切除した枝は、できるだけ一箇所にまとめておきます。こうしておくと、後で集めて償却するときに楽です。ちょっとしたことですが、そのあたりも作業のコツかも。



夕方、行きつけの書店から電話があり、予約していた『本好きの下剋上』短編集II が届いたとのこと。さっそく購入してきました。これも、読むのが楽しみです。そういえば、毎年、確定申告が終わるたびに2011年3月の東日本大震災を思い出します。なんだかんだと不平不満を漏らすこともありますが、ふだんの暮らしを続けられているのはありがたいことです。それは確かなことです。

今日は、山形県の公立高校の入試の日です。受験生のお子さん・お孫さんをお持ちの方は、きっと心配しておられることでしょう。幸いにお天気は良さそうですので、それぞれに力を尽くしてくれるようにお祈りしています。

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東北学院大『大学で学ぶ東北の歴史』を読む〜その4

2022年03月09日 06時01分31秒 | -ノンフィクション
高校時代の日本史は、理系で入試科目にないという理由もあって、黒船来航以後の明治〜昭和の近現代史が中心でしたので、近代以前の歴史は苦手にしております。戦国時代などは、大河ドラマ等の影響か、各地の大名等の動向もある程度は承知していますし、縄文時代や弥生時代についても、身近に遺跡の発掘調査を見た経験もあって興味をもっています。ところが中世となるとまるでダメ、楠正成は何時代かと言われても、はて? という具合(^o^)/ これではならじと、たまたま書店で見かけた東北学院大学の『大学で学ぶ東北の歴史』を購入し、少しずつノートに抜書しながら読んでいます。

中世の東北地方は、奥州平泉の藤原氏の台頭と繁栄から説き起こされます。奥州平泉の藤原氏の繁栄の基礎は、砂金とともに、朝廷が必要とした鷲の羽やアザラシの毛皮など北方交易の産物にありました。12世紀のこの頃は、気候も比較的安定し温暖だったのでしょうか、中央における平氏と源氏の争いが東北の地にも波及します。このあたりは、昔から義経・頼朝の確執とともに、よく見聞きしていたところです。1189年の奥州合戦は、頼朝 vs 藤原一族の戦いとして展開されたことは承知していましたが、頼朝側28万4000人に対し、平泉側は17万で迎え撃ったとのこと。この大規模な戦闘には驚かされます。おそらく、関係する地方領主ばかりではなく、都の貴族や役人たちにも武士の動員力は大きなインパクトを与えたことでしょう。それが、平泉藤原氏の奥州支配の実権を鎌倉幕府が奪取することを朝廷が承認したという背景にあったのではなかろうか。

もう一つ、北条氏の一族が関東から東北へ移り住んでいることが注目されます。これは、論功行賞の意味もあったかと思いますが、それまで奥州を支配していた人たちが北へ追いやられ、関東から東北南部に人々が移住する。大きな流れとしてはそういうことなのでしょう。

鎌倉幕府の弱体化により、奥羽北部に争乱が起こるとともに、京都の朝廷においても争いが起こり、鎌倉幕府は滅亡します。このへんの理由が今ひとつ不明瞭ですが、室町幕府が開かれても、奥州においては地域に根付き実効支配を行う有力領主に依拠するしかありません。しかも有力領主は南朝方・北朝方という都の勢力争いに結びつき、対立抗争を繰り返します。このあたりについて、本書は

南北朝時代の奥羽両国に関する古文書数を調べてみると、この宇津峰合戦(1353)を境に、大きく減少することが注目される(1333年から1353年までが約1070点、1354年から1392年までが約470点)。これは、軍忠状や着到状、恩賞を受ける手続き文書など戦争に関する資料が減るためであり、奥羽両国における大規模な戦乱は、宇津峰合戦を最後に終わりを告げたといえるだろう。(p.85〜6)

としています。この14世紀の奥羽戦乱の背景には、荘園などの土地支配の変質が大きいと考えられているようですが、もしかすると気候変動による天候不順のため、農作物の不作や貢納負担に対する不満などが背景にあったのではないか。たしかに、戦乱を領主の賢愚やわがままに帰するのは、あまりに小児的と言って良いのだろうと思います。



やっぱり、基礎がないのでなかなかハードです。よくわからない分野については子供向けの本(入門書)を読むかNHK の高校講座を聴取するという手があります。NHK の高校講座「日本史」で中世、とくに荘園のあたりの解説を聞いてみるのが良いのかもしれません。

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娘にLINEで方言での言い方をきかれて

2022年03月08日 06時01分02秒 | Weblog
LINE を始めてから、娘や孫たちから時々おもしろい問い合わせが来ることがあります。昨日は

いたずらして相手の足を引っ掛けて転ばす意味の山形弁

について問い合わせがありました。あれ〜、何かあったっけ? 妻に聞いてみたら、一発で出てきました。

「バッタかける」じゃないの〜?

おお! それそれ! 「かける」が少し訛って「かげる」に近い音になりますが、子供時代ならば「雪の中を走ってたら、脇からバッタかげらっでよ! 頭さ来た〜!」みたいに使うのです。真っ白なふわふわの雪原の中、突っ走る子供たち、脇からちょっと足を出されて、頭から雪原にダイブ! このダイナミックな遊び方は、都会の子供たちにはわかるまい(^o^)/

Google で「方言 山形弁 ばったかける」で調べてみましたが、あまりポピュラーな言い方ではないのか、見つけられませんでした。もしかして、山形県内でも地域限定? 新型コロナウィルス禍で子供たちが体をぶつけあって遊ぶのも難しい昨今、そんな方言を思い出して、思わず懐かしくなりました。ちなみに、一発で思い出したところをみると、妻も得意技だったようです(^o^)/



ニュースではウクライナの状況が大きく報道されています。原子力発電所への攻撃の情報もあり、国外に逃れる人たちの様子が痛ましいです。攻撃している方は、側近を中継ぎの大統領にしてまた大統領に復帰した元情報機関出身の人なのですから、考え方は普通じゃない。大きく見れば人々を殺す国家は敗れ、人々を生かそうとするほうが勝つのだろうとは思いますが、欧州へ、また他地域へ、戦火が拡大しないように願いつつ、パンデミックの動向とともに目が離せないというところです。

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プレジールに混色ゴールドオーカーを補充〜ほぼ1年間無補給で使用

2022年03月07日 06時01分10秒 | 手帳文具書斎
プラチナ社の廉価万年筆プレジールは、同軸とキャップだけがアルミ製で、中身は Preppy と同じです。そのため、以前はプレッピーで使っていた首軸をプレジールのものと交換してそのまま使っています。中身のインクは、同社の古典インク「カシスブラック」と「カーキブラック」を混色したもの(*1)で、いわば混色ゴールドオーカー(もどき)とでも言うべきもの。ブルーブラックで書き連ねたノートの強調箇所や訂正部分にこのゴールドオーカーを使うと、赤インクよりも地味ですが、古典インクらしく光退色しにくいのが長所です。このインクだけでページを埋めるような使い方はしませんので、消費速度はゆっくりですが、プレジール(プレッピー)は自然乾燥しにくいという本質的な長所があり、当初懸念したように色素どうしの干渉でインクが変質することもなく安定して使えています。



過日、インクが切れそうになっていましたので、カートリッジにインクを補給しました。混色したインクを保存しているのは百均の化粧品の詰め替えボトル(*2)で、使ったのは同じく百均で購入した詰替え用の注射器です。プラチナ社のインク・カートリッジは首の部分が細いので、太めのスポイトではインクが溢れ出してしまいがちです。このタイプですと、1.1mL をぎりぎりまで安心して補充できます。記録によれば前回の補充は昨年の3月でしたので、ほぼ1年間、無補給で使えたことになります。



これで、またしばらくは大丈夫でしょう。それにしても、インクが自然乾燥しにくいというのは、万年筆にとっては画期的な改善だと感じます。同社のスリップシール機構というのは、ペンのお値段にかかわらず実際的なメリットがあるようで、ありがたい限りです。


 (このインクで書いたページのサンプル)

(*1): クラシックインク「カーキブラック」と「カシスブラック」を混ぜたら〜「電網郊外散歩道」2020年10月
(*2): 混色した古典インクを気に入ったので増産してプレジールに〜「電網郊外散歩道」2020年11月

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映画「Coda〜あいのうた」を観る

2022年03月06日 06時00分56秒 | 映画TVドラマ
過日、あいにくの雨降りの日に、映画「Coda〜あいのうた」を観ました。当初は、コーダと言えば音楽用語で楽曲や楽章の終わりを意味することから、クラシック音楽映画だろうと想像していましたが、実は「Child of Deaf Adults」の頭文字をとったもので、「聾の親を持つ、聴こえる子ども」の意味だそうです。映画館ではアガサ・クリスティ等の人気作にはお客さんがかなり入っていたようですが、こちらの上映シアターのお客さんはずいぶん少ない人数でした。

主人公のルビーは、聾唖者である父親と兄とともに漁船に乗り組み漁で生活していますが、母も同じくろうあ者の一家の中で唯一の健聴者で、家族の「通訳」係の役割を果たしています。暮らしは豊かではなく、高校では「魚臭い」と疎外されていますが、実は素晴らしい声と音楽的才能の持ち主でした。新学期に選択するクラスに合唱を取ったことから、ヴィラ・ロボス先生の指導を受けるようになります。先生はメキシコ系のようで、型破りですが効果的な指導で生徒たちの力を引き出していきます。もちろん、ブラジルの作曲家ヴィラ・ロボスとは別人(^o^)/
指導の中でルビーの才能に気づいた先生はバークリー音楽大学の受験を勧めますが、家族は大反対。通訳がいなければ漁船の安全な運行も仲買人との交渉もうまくいかないのですから、生活が立ち行かないのです。自分のやりたいことと家族の生活・役割との板挟みになったルビーは、いったいどうすればよいのか!

以下、ネタバレはやめて本編をごらんいただくこととし、私の感想をいくつか。

  • 私の祖母が30代で中途失明した視覚障碍者であったために、社会生活はもちろん、日常生活に大きな支障があったことを痛感しておりましたので、米国の聾唖者の家族がダイナミックに社会生活を営んでいる姿に強い印象を持ちました。
  • それと同時に、全盲の祖母ほど深刻ではないけれど、やはり音声言語によるコミュニケーションができないというのは、社会生活では様々な場面で大きなハンディキャップになるのだなということがよくわかりました。
  • 手話によるコミュニケーションというのは、いわば結論、エッセンスを伝え合うことのようで、「空気を読んでスマートに対処する」というのは苦手なようです。ルビーの両親の場合は、下ネタ演出というよりは、夫婦がそれぞれ「結論で生きている」姿を表しているように思います。
  • 音楽が良かった。ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」なんて、ほぼ半世紀ぶりに聴いたのではなかろうか。それと同時に、失明した祖母がチャップリンの「街の灯」(*1)を見ることができないのと同様に、ルビーの父と母と兄が彼女の歌を聴くことができないことの悲しみを、痛切に感じます。それでも、悲しみを越えて娘を送り出す家族の姿に、感動します。心うたれる、いい映画でした。




バークリー音楽大学というのは、米国マサチューセッツ州ボストンにあるのだそうな。そういえば、渡米時にボストンのシーフード・レストランで食べた白身魚はうまかったなあ。あのあたりは、魚を食べる習慣がちゃんとあるようでした。オルコットの住まいだった建物の前で記念写真を撮った、ボストンの旧市街地も古都の趣があって見事だった。ハーバード大学の CO-OP でTシャツやトレーナーを買ってきて、しばらく愛用していました。映画とは関係ないところで、若い頃を思い出してしまいました。たぶん、昔懐かしい音楽が流れてきたからでしょう。



YouTube でジョニ・ミッチェル「青春の光と影」を見つけました。
Joni Mitchell - Both Sides, Now [Original Studio Version, 1969]


懐かしい曲、懐かしい歌声。半世紀前の若い頃を思い出します。今ならば、できればこの映画のルビーの歌で、もっとしっかり全曲を聴きたいと思ってしまいました。

(*1):チャップリンの映画「街の灯」を観て昔の記憶違いを知る〜「電網郊外散歩道」2019年12月

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夜明け前にタブレットの充電要求で目が覚めた

2022年03月05日 06時01分14秒 | コンピュータ
夜明け前、枕元に置いて眠ってしまった Android タブレットが、耳元でピポッという音を発したので、目が覚めてしまいました。見ると、電池が残り15%を切ったので充電しろという要求でした。なんともはや! 持ち主が眠っていようがお構いなしで、遠慮がない。さすが「ハードウェア」です。仕方がないのでケーブルをつないで充電してやりましたが、全くもう、世話が焼けます。

もっとも、充電さえしてあれば、早朝に目が覚めてしまったときにもタブレットで天気予報を確認、ニュースをざっと眺め、予定を見るにはなかなか便利なものです。起きてしまうにはまだ間があるときに、読みかけのノベルPDFの閲覧にもかなり使っています。

そういえば、Kindle PaperWhite は充電してあったかな。このところずいぶんご無沙汰しています。電池が長持ちして手頃な大きさでちょうどよいのですが、こういう電子端末が増えてくると電池の健全な「飼育」に世話が焼けます。その点、紙の書籍は電源不要、老眼鏡があれば良いのですから、コンテンツを載せるものとして実に優れたデバイスだと感じます。


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桃の節句に雛菓子でコーヒーを。

2022年03月04日 06時00分05秒 | Weblog
3月3日は桃の節句だそうです。当地ではようやく春めいてきて、雪がどんどん融けてきているとはいうものの、この週末には再び寒波の到来が予想されており、桃はもちろん梅もまだ咲いていません。当然のことながら、暦の上での季節感は雪国の事情とは必ずしも一致せず、桃の節句といってもあまりピンときません。



いや、お店にはたしかに並んでいるのです。桃の節句に向けた雛菓子などのスイーツが。娘と孫たちのところではすでにお雛様を飾っているらしく、女の子らしい LINE が送られてきました。便乗して、妻に当地の雛菓子を買ってきてもらいました。




大産地らしく、ちゃんとサクランボも入っています。ミカンもナスも小鯛も遊び心満載で、眺めているだけでも実に愉しいものですが、コーヒーと一緒だとなおよろしいようです(^o^)/




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動線の無駄を嘆くよりも

2022年03月03日 06時01分35秒 | 健康
年齢とともに、物を取りに行ってもう一つ忘れたことに気が付き、また取りにもどる、そんなことが増えたように思います。若い頃ならば、一回で済ますことができない動線の無駄を嘆くところでしょう。ある程度年を取った今ならば、むしろそんな合理性にストレスを感じているよりも、歩数が増えることによる体力=筋力の維持に役立ったと喜ぶほうが良いのかもしれません。さすがに2つの物を取りに行くのにわざわざ2回に分けることはしませんが(^o^)/



写真は、先日の昼食に作ったエビとしめじと白菜のワインソース・パスタです。残り物のかぼちゃを添えようとしたら、妻に「そんな無節操な!」と言われましたが、別の皿に盛っても脇に添えても食べるときは一緒でしょと言ったらさらに呆れられました(^o^)/



いや、ただ脇に載せただけなんですけど(^o^)/

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料理メモに使っているソフトリングノートの弱点

2022年03月02日 06時00分05秒 | 手帳文具書斎
料理メモ用ノートに使っているコクヨの「ソフトリングノート」は、わりに紙質もよく、両面使用でもリングがじゃまにならない点が高評価で、料理メモノートは二冊目がそろそろ終わり近くなっています。



ところが、先日、思わぬ弱点に気づいてしまいました。チキンカレーを作ろうと、vol.1 を開いて材料や作り方を確認していたところ、なんだか開き方に不自然な抵抗があります。よくよく調べてみると、リングが壊れているのでした。



うーむ、両面使用しても左ページを書くときにリングが邪魔にならないという点でソフトリングは画期的だったのですが、何度も参照しながら3年も使っているとリングが切れてしまうようです。端的に言えば、使いやすいが耐久性に難がある。特に、何度も開け閉めして参照する料理メモノートの用途にはどうやら向いていないようです。

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