
(ハンサム君!)
最近はAIと人類の未来とか、シンギュラリティの言葉が目に付く。惑星思考より、身近な化学技術が生活とかかわっているゆえか。自らの意識や知識や知恵(アイディア)を保存したデーター機能のAIが人間の知能を凌駕していくことがありえるのか。データー集積機能(オブジェクト)と人間の知性の現在から未来へ。
80年代に「2001年宇宙の旅」の映像を見たのだった。
振り子の問題は世界史なり歴史を紐解くと、振り子が弁証法だと納得する。単純に正、反、合を繰り返していくリズムがある。一つの思潮(傾向)に対して反動的な流れが起こる。アクションとリアクションがあり、それを統合なり止揚していく動きがある。それも理なのだろう。思想史はそれを明らかに示している。西欧演劇史、世界演劇史を見ても如実だ。時代の思潮が社会の仕組みや動向と連結しているのは最もで、下部構造と上部構図の関係そのものである。唯物論と唯心論(観念論)は一体と言えるのだろうか。
世界が右に揺れ左に揺れ、それらが止揚されるエネルギーがある。腐った果実も落ちる。世界はつながっている。こなたとかなた、かなたとこなたはつながっている。そういえば学生の発表で、国家の概念もサーバーの中にあり、実際の国土を超えた国家の実在もありえるとの論を発表していた。過去の歴史や文化など蓄積されたデーターの保存がサーバーである。そこに依拠する個々人が持つアイデンティティーが一つの民族なり国家概念につながるとの考えだった。具体的に論文を読んでいないが、セキュリティーもネットサーバーが保存しているとの話だったようなー。
https://ja.wikipedia.org/wiki/2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E6%97%85
『2001年宇宙の旅』(にせんいちねんうちゅうのたび、原題:2001: A Space Odyssey)は、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックのアイデアをまとめたストーリーに基いて製作された、SF映画およびSF小説である。映画版はキューブリックが監督・脚本を担当し、1968年4月6日にアメリカで公開された。小説版は同年6月にハードカバー版としてアメリカで出版されている。(この映画はアメリカ留学時代の思い出の映画である!)
https://indeep.jp/confesses-of-stanley-kubricks-faking-moon-landing/
「月面着陸の映像をねつ造したのは私だ」:スタンリー・キューブリック監督が死の3日前に語ったとされる告白フィルム中に溢れかえる「すべてがフェイク感覚」
以下、映画について詳細が分かる。ただこの方は人類は月に着陸したと信じた上での論調である。月着陸はアメリカが世界を騙したペテンの一つですね。一部転載します!
人類は高次元進化の可能性を秘めた宇宙へ
キューブリックは、超常的なフィクションの要素をリアリズムの極致とも言える映像に落とし込むことによって、極めて真実味に溢れた人類進化論をこのSF映画に詰め込んだ。
彼の最大の協力者であり、『2001年宇宙の旅』原作者であるクラークは以下のような旨を語っている。
「生物は水中から陸という高次元に移動したことで劇的な進化を遂げた。では我々人類も地球から宇宙という高次元に到達した時、そして再び宇宙の神秘に触れた時、更なる進化を遂げる可能性があるのではないか?」
20世紀、人類は二度に渡る世界大戦を終え、滅亡の危機に瀕した東西冷戦を経て、目まぐるしいテクノロジーの進歩で宇宙にまで到達した。
そして、21世紀。残念ながら、ボーマン船長のように木星へ到達する段階にはまだ至っておらず、以前、核の脅威も払拭できてはいない。そんな現在にあって、半世紀前の1968年につくられ、21世紀への期待と趨勢を投影したこのSF映画が示唆するものは大きい。