
横浜の川崎には多くの沖縄県出身者が住んでいるのでしょうか。戦後被災から逃れた県民は川崎に避難したのですね。横浜能楽堂の自然の光の色合いはいいですね。
本土の観客にとって言葉が分かりにくかったのですね。琉球の古語や首里語、和語などが融合した台詞・歌になっているのですね。組踊の詞章も「しまくとぅば」でしょうか?政治的判断、「しまくとぅば」を推奨した言語研究者の失態です。うちなーぐちならまだしもー。琉球諸語、沖縄諸語でいいです。組踊は古語と首里語です。伊波普猷は琉球語と書いていますね。
しまくとぅばは矮小化した名称です。地域語、島々のことばです。英語に対して「しまくとぅば」とも「ウェールズ方言」とは呼びません。ウェールズ語です。「クレオール語」とも呼ばれます。首里・那覇語が沖縄芝居の台詞や詞章の中心です。しまくとぅばではありません。糸満言葉や北谷言葉、本部言葉なども使われます。地名がつくのですよね。今帰仁言葉、金武言葉もあります。
アイデンティティが不明なしまくとぅばをなぜ推奨したのでしょうか?法律が心情まで縛っていく事例が「しまくとぅば」条例でしょうか。琉球史劇や琉球歌劇は決して「しまくとぅば史劇」でも「しまくとぅば歌劇」とも呼ばれてきませんでした。なぜ今この異風な名称が跋扈しないといけないのか、とても違和感を持っています。しかし法令は制度も文化的な仕組みも縛っていくのですね。
最近は沖縄芸大のプログラムやプロジェクトなど、しまくとぅばの後に首里・那覇語が但し書きされていますね。最初から沖縄語(首里・那覇語)でいいのではないでしょうか?琉球王国時代に「しまくとぅば」認識はないですよね。平成時代に登場してきた折衷語ですね。
組踊の舞台に関しては「国立劇場おきなわ」は本来の組踊劇場ではありえませんね。その事に関しては何度かこのブログで指摘しています。300年を記念するのでしたら、首里城北殿の前に三間四方の仮説舞台を設営して上演を実現するべきですね。原型を再現するには学識経験者も(問題の方々?)テーゲーではなく徹底した視点で監修したらいいですね。このままではいつまでも多良間の組踊の面白さに負けたままですね。技巧は磨けば光っていくのでしょうが、技巧だけで感動はしません。舞台装置と一体にならなければですね。横浜能楽堂がよく組踊上演をしているのですが、お能の舞台を沖縄に設立する運動が起こってもいいね。その前にふさわしい組踊劇場ですね。