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志情(しなさき)の海へ

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スノーデンの著書に見る真実!UK、US、CA、AU、NZ(Five Eyes)と他者のEU.JP!

2014-05-25 10:34:12 | 世界の潮流
                        暴露:スノーデンが私に託したファイル
                  以下のREVIEWがいいのでここに転載です!暇なとき読みたい!ネット世界が次世代への回廊かな!



By nacamici トップ500レビュアー
形式:単行本(ソフトカバー)|Amazon.co.jpで購入
スノーデンにアメリカ政府の国内外を対象にした大規模な通信傍受に関する機密文書を託されたジャーナリストが機密文書受け取りから公開までの顛末、その後の騒動を書いたノンフィクション。第1章から2章は、謎のメールによるコンタクトから香港でスノーデン本人に接触するまでのスパイ映画さながらの一部始終が語られる。著者の脳内で好奇心、功名心、恐怖心、そして使命感といったさまざまな感情が渦巻いていた様子が伝わってきて、読んでいる方もじんわりと汗をかくほどの臨場感だ。第3でスノーデンが収集した機密文書の読み解きを行い、第4章では、ユビキタス監視の害悪について論じる。アメリカ政府がIT企業と一体になって世界中に監視網を張り巡らせ、空前の規模で個人の通信記録を集めている。それは国民を守るためであり、「悪い人」以外自分のプライヴァシーを侵害されることはないといわれたところで、監視の可能性だけで人々は自己統制に走ってしまうということをくどいほど述べている。第5章はそのような動きを監視し牽制し、場合によっては追及する立場にあるメディアが機能していないことに対する義憤。
   ←メディアと政府中枢が結託したら独裁国家ですよね!

個人の情報を全部集めて監視・管理する技術があれば政府がそれを使おうとすることは想像に難くない。私たちがもうなくては生活していけないほどに浸透している携帯電話、電子メール、SNSなどから個人データをすいあげるなどわけもないことも、われわれはすでに知っている。でも、そういうことが可能であるということを認識していることと、実際にフルスケールで行われているという事実を知ることとのあいだには大きな差がある。人間は知識として知っていることや、理屈としてわかっていることではなく、現前する脅威に基づいて行動を起こす。スノーデンが命の危険を冒してまで生データを公開しようとしたのは、それを知らずして一人一人が判断し、行動することはありえないと考えたからだ。

スノーデンが暴露した機密文書に何が書かれていたか、それが何を意味するのかは本書の第3章にざっと目を通せば把握できる。すでに新聞報道などでも明らかになっている内容だ。アメリカ政府が「すべてを収集する」ことに血道をあげていること以上に興味をひいたのが、機密文書の配布先「ファイブ・アイズ」だった。英語圏の諜報同盟国5カ国、すなわちアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドである。EUや日本は軍事的には同盟国だが、アメリカの諜報活動の中核にあるのはこのファイヴ・アイズで、日欧はむしろ彼らから監視される対象として位置付けられている。いまさら驚く話でもないが、やはり「配布先:ファイヴ・アイズ」と記された生の文書を目にすると想像が確信に変わり、これまで抱いていた世界観の修正を迫られる。たとえばこの状況で英語教育に力を入れるとか、ビジネスの共通言語は英語と割り切ることは日本の立場を弱くするのではないか。戦略的に英語を(学習はしても)使わないという選択肢もあるのではないか。穿った見方かもしれないが、そんなことを思った。←なるほどです。Five Eyesなんですね。英語が国際共通語になっているように見えるのだが、自国語を大切にする意味ですね!

本書を読んだ最大の衝撃は、エドワード・スノーデンという人物だ。この若さで、これだけの知性を備え、戦略的には行動力があってきわどい駆け引きや緻密な計算もできるリアリストで、信条的には命をも惜しまないアイデアリスト、という人格が、この時代のアメリカに誕生したのは奇跡的とも思える。ただスノーデンは、ここに書かれているとおりの知的で正義感に満ち溢れたヒーローという顔を持っていることは確かだが、そういうヒーローであり続けらえるのか、あるいは他の顔をもっていないのか、ということまではわからない。本書によれば、インテリジェンス・コミュニティでは、高度なコンピュータースキルに通じた人材が恒常的に不足しており、通常の教育の場からは疎外された独学でテクノロジーの専門的知識を身に付けた人間にまで触手を伸ばしているという。エスタブリッシュメント出身の人間が逆立ちしてもできないことを、スノーデンはまるでそうすることこそがごく自然な行為であるかのようにやってのけた。そう考えると、この一連の出来事は、インターネットがもともともっている非エスタブリッシュメント性による自浄作用とも見える。スノーデンがビデオゲームを通じて政治意識を養い、正義について深く考えるようになったという話は興味深い。←ここは興味深いですね!システム内部ではなく外部の頭脳の関与がウィキリークスのアサンジにも類似する。

スノーデンの学歴は高卒だが、腕一本でまたたくまにCIAのフルタイムスタッフの地位を得、赴任先のスイスではテクノロジーとサイバーセキュリティについて「スイス一の専門家」と見なされるようになる。新聞でスノーデンのことを最初に読んだとき、防衛部門の政府請負業者大手であるブーズ・アレン・ハミルトンの社員と書かれていたので、兵士派遣の民間委託のようなものを思い浮かべ、経済的に恵まれない人が他に選択肢がなくて選んだ仕事なのかと勘違いしていた。スノーデンはやがて公開するべき機密情報にアクセスするため、給料を下げてでもこの会社に入る必要があったのだ。本書にもあるが、大手メディアが最初に伝えたスノーデン像は「高校を中退した負け犬」「どこまでも孤独な人間」「誇大妄想型ナルシスト」といった非社会性を前面に出したものだった。要するに「こいつは異端である」というレッテルを早々に貼ったのである。

メディアによる人格攻撃の矛先は、スノーデンの協力者となった本書の著者、グリーンウォルドにも向けられ、家宅侵入や家族の拘束も経験した。ある程度予想がついていたことだろうが、実際に犯罪者同然の扱いを受けた恐怖と屈辱たるや、普通の神経の人間には耐え難いものだろう。第5章では、危険を冒してでも権力の乱用に立ち向かうというジャーナリズムの姿勢が失われつつあることに対して警鐘を鳴らしている。スノーデンが機密情報をリークする媒体として選んだガーディアン紙は、英国政府通信本部に文書の引き渡しを求められこれを拒否したため、文書の入ったハードドライブを破壊された。さらに悪いことに、その文書のコピーをアメリカ政府寄りということでスノーデンがわざわざ避けたニューヨーク・タイムズに送っていた。グリーンウォルドはスノーデンや自分たちが命をかけてリークした素材の無神経な扱われ方に怒りを爆発させている。ジャーナリズムがエスタブリッシュメントの一部に収まってしまい、その本来の機能を果たさなくなったという指摘はそのまま2011年来の原発事故の報道についても言われてきたことだ。しかも日本の場合は事故当時の政府内での議事録が存在しないなど(本当かどうかはわからないが)暴露すべき情報が政府内にも残されていないというのだから話にならない。

スノーデンによる機密文書の暴露は、政府によるテクノロジーの濫用に光を当てるとともに、ジャーナリズムの役割についての歴史的な問題提起をしたと思う。スノーデンは大量の国家機密をそのままばらまくことはしなかった。大量の文書を“ジャーナリズム風”に公表することが大事だと最初から考えていたと本書にはある。一般の人間がこの機密書類に書かれてあることが自分たちにとってどんな意味があるのかをきちんと理解するためには、記事の選択、構成、公開の順序、つまり緻密な編集作業が必要であると考えたのだ。そして情報提供者を法的に守るためにも国家権力と対峙できる機関としてのメディアは必要である。フリージャーナリストのゆるやかな連携によってボーダーレスに国家を監視するということも理論上は可能だが、個人対国家という闘いになった場合、個人に勝ち目はない。本書は今後長きにわたってテクノロジー、メディア、権力の関係についての議論を呼びこすだろう。
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この詳細な書評は後半悲観的で問題提起である。個人⇔国家の闘いの厳しさがあるのは確かだろう。その個人が連携PLAYをする可能性のありかが問われる。OCCUPY運動のその後の在り様も気になる。日常のルーティーンがあり、構造的な社会のシステムそのものの改革がなされないかぎり、監視するBig Eyes と、監視される一般市民の構図は変わらないのだろう。双方性は小さな組織でも厳しいところがある。まして大規模な国民国家の様々な組織体の横の連携・リンクがどのようにより民主的で開かれた関係性・富の分配を実践できるか、問われ続けている。メディアの在り方がまた問われている。権力を監視する第三局になりえるか?沖縄の新聞は常に第三極を維持していると信頼しているがー。東京新聞などもー。

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