志情(しなさき)の海へ

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リアリティーと観念の相克→「シラノ・ド・ベルジュラック」→「月夜の人生」へ

2017-11-01 03:41:25 | 沖縄演劇
鈴木忠志の「シラノ」の舞台や渡辺守章、主演・橋爪功の舞台ともまた一味異なる沖縄の「シラノ」である。フランス語から翻訳された岩波の「シラノ」を読み、渡辺さんの翻訳本を読み、舞台も見た。渡辺先生と世田谷の劇場でお話した。大城立裕作品は歌劇である。しかも長い作品ではない。小作品ながら、エキスが輝いている。西洋演劇の受容と沖縄演劇は西欧演劇と日本演劇のクロスカルチュラルな相克でもあるのですね。
 
確かに思想的な演出の鈴木忠志の舞台とは異なる。鈴木さんの舞台は日本と西欧の相克がシラノに埋め込まれていたと記憶している。沖縄ではじめて演出したのは北村三郎さんである。シラノに扮したのは嘉数道彦で、美しき女性ロクサーヌは新垣悟、偽の手紙の美男クリスティアンは佐辺良和だった。当時新垣さんの女形にぎこちなさを感じた。佐辺さんをなぜ女性として抜擢しなかったのか、疑問に覚えた。美男子が必要な作品だが、まだ女形の魅力が出せないのだと、少し残念だったが、歌はよかったね。時代背景も巧い具合に出来ていた。詩はツラネになった。
 
あれから16年も経ったのだ。時間の速さを感じる。あれから「劇団うない」で「月夜の人生」が上演された。女性だけの「シラノ」である。大城先生も御覧になっていた。男性だけの「シラノ」と女性だけの「シラノ」の差異がもちろんあった。演出も異なった。音楽ももちろん異なる。その作品の違いが作品の捉え方の差異にもなるのだろう。
今回また松門さんは「月夜の人生」を再演する。
観念の残酷さだろうか?作品にはリアリティーと観念の相克がいつまでもあり続ける。単なる寸評ではなく、以前小論を書いた覚えがあるが、今一度この作品に向き合いたい。
 
「歌ごころ 月夜の人生」-21世紀の序曲

 九月二十六日、沖縄市民会館大ホールで「歌ごころ 月夜の人生」(作・大城立裕、演出・北村三郎)を見た。多分に、沖縄の二十一世紀の初頭に華を添えることになった大城立裕氏の「琉球楽劇集真珠道」に収録された唯一の歌劇である。世界的に著名なフランスの戯曲シラノ・ド・ベルジュラック(一八九六年、エドモンド・ロスタン作)をヒントに大城氏が創作したこの歌劇は、シラノの名場面を沖縄の様式に周到に再構成した作品である。

 実は「西洋演劇の受容と沖縄芝居」は私の研究テーマの一つで、真喜志康忠氏の「按司と美女」とシェークスピアの「オセロ」、などの比較とともに、非常に関心をそそられた作品で舞台上演を楽しみにしていた。

 北村さんの演出は沖縄芝居のスタイルにうまくのせ、観客を笑いに包み、かつ泣かせた。乳母の登場のさせ方を工夫し、踊りとアドリブも適度に取り入れ、美しくも悲しい愛の物語を叙情的に描いた。詩歌を好む女性(乙鶴)と彼女を愛する二人の対照的な男性(花城と高志保)、薩摩の侵入による死も含め、虚構と現実のあわいが心を打った。

 シラノは戯曲「オイディプス昇天」で読売文学賞を受賞している山崎正和 (東亜大学学長)をして、「戯曲を書くきっかけになった」と言わしめるほどの作品である。今年二月、東京で訳、演出・渡辺守章、主演・橋爪功でシラノの上演を見ることができたのは、またとない偶然の采配に思えた。言葉の持つ力と人間の悲しいほどの道化的観念性が痛切だった。

 一方、歌劇の様式は、つらねと歌が心を満たした。芸大生の嘉数道彦、佐辺良和、同OBの石川直也、阿嘉修、新垣悟のさわやかな歌、舞踊、そして演技は、琉球歌劇再生(新作)の可能性を十二分に暗示した。

2001年11月1日 沖縄タイムス(夕刊)「島風(しまかじ)」掲載
 
 
 
「シラノと共にやってきたクリスティアンは、シラノのアドバイスに「もういやだ、いつも役を演じるのは疲れた、今日こそ自分で彼女に話す!」と言って一人で彼女の元へ行きます。
胸を高鳴らせたロクサーヌは、「さあ、お話してください、愛について・・!」と促しますが、クリスティアンは「愛しています・・・とても・・・君をとても愛しています」と繰り返すばかり。 詩的な愛のささやきを期待しているロクサーヌは、失望して帰ってしまいます。

「助けてくれ!」とクリスティアンにすがられたシラノは、「やなこった!」と言いつつも「死んでしまう!」と懇願されて助けてやることにします。
「闇夜だから大丈夫だ。俺が下からセリフを教えてやる」と言って、ロクサーヌを呼ばせます。

シラノが小声で言う通りに愛の言葉を繰り返すクリスティアンに、「まあ、さっきよりもお上手だわ。でもなぜ、そんな切れ切れにおっしゃるの?」と訝るロクサーヌに、ついにシラノが彼に代わって自分で語り始めます。

朗々と語るうちに熱し、我を忘れたように夢中に愛を歌う詩人シラノの情熱に、「ああ、なんて甘美なんでしょう、これが真の愛だわ。私はあなたのものです!」とロクサーヌが陶然となったところで、シラノはクリスティアンに「(バルコニーに)上がれ!」と促します。躊躇するクリスティアンをド突いて上らせると、二人は「ああ、愛する人!」と熱く抱擁し口づけを交わします。」
 
 
 

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