
女性舞踊家として波照間永子さんが紹介したのはいわゆる芸妓以外の舞踊家の女性たちです。1672年、公に辻遊郭が設置されて以来、遊郭の女性たちが育んできた女性芸能の歴史を全く無視し、「近現代の女性舞踊家」を取り上げています。興味深いのですが、その中で芸妓は無視されています。片手落ちです。玉城盛重から舞踊を教わったのは、真境名佳子以前に上間郁子や翁長玉子、上江州文子、他がいます。なぜ彼女は上間郁子を取り上げないのでしょうか。1949年にかの瀬長亀次郎さんは、乙姫劇団の創設者の上間郁子を筆頭に舞踊団を組織して奄美での舞台公演を実施しています。なぜ亀次郎さんは真境名佳子に声をかけなかったのでしょうか。
戦後、プロの芸能者として、戦前からの遊郭の芸妓の舞踊、芸を蔑み、拒絶したのは沖縄のジャーナリストやインテリ層でした。その中で贔屓にされたのが真境名佳子だったのですね。沖縄タイムスの芸術祭にもプロだという事で乙姫の舞踊家たちはエントリーさえ阻まれた戦後史です。詳細は割愛しますが、歪な戦後沖縄舞踊史です。女性芸能史についてはすでに博論でまとめたのですが、出版を早くしなければです。いかにも第一世代のパイオニアのみなさんが先陣を切ったようなご発表では、この間芸妓として蔑まれながらもプロの芸能者として芸を観せて(魅せて)きた芸妓の女性たちが浮かばれません。戦前、彼女たちは、大阪や名古屋でも芸を披露してきたのです。
多様な芸系についての調査の必要性は、このブログでもよくアクセスされている琉球舞踊保持者認定問題でも明らかです。渡嘉敷流については板谷徹先生が緻密にご研究をされている様子です。矢野輝雄さんの見解の中には、芸妓は無視されています。戦後の上間郁子の雑踊りの公演は評価されていますが~。
玉城盛重だけではなく、玉城盛義と氏が育てた舞踊家の皆さんについても詳細が言及されるべきですね。

