ヒーラーモーイ親方からの長いメールをご紹介します!琉球舞踊保持者の問題です!どうなっているのでしょうか?コメントを紹介します!それで更新します!コメントが増えて活気があります。なるほどと思えるコメントもあり、ウチアタイしますね。それで今日のトップにまた持ってきますね!5月25日→5月31日へ!保持者の発表が6月にあると聞いたのですがー。コメントくださったみなさん、ありがとうございます。今回は盛重系統なり玉城流以外の他の系統、例えば渡嘉敷流や松含流などを中心に選考するというのも、なるほどですね。戦前からの芸能の歴史を考えると、なるほどと第三者としては考えるのですがー。、→6月6日、ブログのトップへもってきますね!→6月17日へ
琉球舞踊界の不都合な真実。伝統を守らない強者が、伝統を守る弱者を殺していく。
by ヒーラーモーイ親方
今の琉球舞踊界を牛耳っている主流派は、かつて、琉球舞踊界の大物に近づいて権力を手にした舞踊家たちだ。「大物に近づく」というのは、具体的には「自分の師匠から教わった大切な技を、大物の流儀にあわせて変えること」。(それ以外のことは、ここには書かない。)「師匠の技を変える」。これは、大変な裏切り行為だ。伝統文化とそれを命がけで守ってきた師匠に対する裏切り行為。それをよしとしなかった舞踊家の多くが非主流派になった。これは暴露ではない。沖縄の舞踊家なら誰でも知っていることだ。
主流派は、自分たちの立場の安泰と私欲のために、邪魔な非主流派を追い落とそうとしている。
今回の琉球舞踊保持者の選考問題は、そのことを明確にした。
「琉球舞踊は滅びるのではないか」(このブログの昨年の12月15日)という島元要さんの危機感に同感する。それに反論する狩俣恵一さんの見解(このブログの今年1月31日の記事)は、あまりに楽観的ではないか?
この問題に関心のある方は、上記の2つの記事と、沖縄タイムスと琉球新報に掲載された記事、そして舞踊家有志による嘆願書が掲載された記事を、是非読んだ上で、以下の文章を読んで頂きたい。
琉球舞踊には、王国時代からの7系統があるという話は、以前から聞いていた。しかし、平成21年に国の重要無形文化財に指定された「琉球舞踊」の技能保持者は、7系統の内、ほぼ玉城盛重の1系統のみで占められている。これは島元さんの記事で初めて知って驚いた。7系統すべてが貴重な沖縄の文化ではないか。琉球舞踊の望ましい継承を考えると、盛重系統以外の6系統からも保持者に相応しい人材がいれば、選ばれるべきだと考える。
ところが、現在の保持者から成る「琉球舞踊保存会」は、国が進めている次期保持者選考に、「身内」や「自分たちの弟子」「仲のいい他流派」という偏った候補者を推薦しようとして伝承者(保持者育成のための研修を受けている実演家)から抗議を受け、何度も候補者選びをやり直している。今回は、伝承者有志から嘆願書が文化庁長官、県教育長、保存会会長宛てに出されたことも新聞記事で知った。状況はさらに深刻になっていないか。記事によると、推薦資料の国への提出は、1,2月中が締め切り。だから、資料はすでに国に提出されたと見られるが、果たして、候補者選考は改善されたのだろうか。いまだにその選考方法は、伝承者の尊厳を傷つける全国でも異例な(沖縄タイムスの記述)そして不透明な方法という声は私の周辺でも多い。これらの記事を読むと、保存会は抗議を受ける度に、本質的な反省や改善を行うのではなく、手を変え姑息なやり方で自分たちの私欲を通そうとしているように見える。
島元見解、そしてそれを踏まえたと思われる嘆願書の「盛重系統以外の6系統の演目や技芸が失われると、琉球舞踊は途絶えてしまう恐れがある」という見解に対して、狩俣さんは、「日本舞踊の例を見ても分かるように、芸統の存続と保持者に指定されることには直接不可分な関係ではない」と書く。
しかし、日本舞踊と琉球舞踊はちがう。日本の伝統舞踊の中で、重要無形文化財に指定されているのは、琉球舞踊だけである。日本舞踊には、琉球舞踊にある「保持者選考問題」は存在しない。「国の保持者」という「権威」を手に入れるための暗闘はない。
琉球舞踊には、保持者になるための「権力闘争」がある。これは、以前にも見た景色だ。琉球舞踊は、国指定無形文化財になる遥か前、昭和四七年に沖縄伝統舞踊として県指定無形文化財になった。それ以降、「県の保持者」という権威を手にするために、有力な保持者に取り入り、守るべき伝統の技を変える人たちが現れた。
もちろん、琉球舞踊も生きた芸能である以上、変化の波に曝されている。基本の崩れという嘆かわしい理由だけでなく、流会派に分かれる中で特色を出すための変化、実演家それぞれの資質による変化や、技の研鑽や探求による深化や進化という文脈で検討されるべき変化もあるだろう。しかし、権威を手に入れるための変化は、その芸能の豊かさに何の貢献もしない、逆に大きな問題を作り出すだけではないか。
具体的に書く。
琉球舞踊界の女帝であった故真境名佳子先生が、この県指定保存会の会長の頃、玉城盛重系統で中心的な流儀である玉城流(盛重師の甥の盛儀師が開祖)の四天王と呼ばれる花形舞踊家たちが、こぞって佳子師詣でをした。佳子師の指導を仰ぎ、盛儀師の技を変えたのは、玉城秀子、玉城節子、谷田佳子、金城美枝子(敬称略)の4人の方々だ。
盛儀師の門下で、師の手を変えることをを良しとしなかった方々が、宜保雅子、金城清一、金城千寿子、宮里敏子の4人の方々である。
結果として、四天王(玉城秀子、玉城節子、谷田佳子、金城美枝子)の方々は県指定沖縄伝統舞踊の第3次認定保持者になった。宜保雅子、金城清一、金城千寿子、宮里敏子といった方々は、四天王と同世代か年上でありながら、その下の世代とともに、遅れて第4次、5次認定保持者である。
県指定の保持者の選考は、県の教育委員会の文化課(現在の文化財課)で行われている。選考の資料として芸歴書や公演実績や年譜を精査して、有識者を交えて総合的に慎重に審議しているという。ただし、選考資料は、県の保存会から推薦があった者たちのみに限られる。推薦がなかった方々は審議の対象にならない。4次、5次認定の方々は、果たして3次認定の選考の際に県の保存会から推薦されたのだろうか。
歴史は繰り返す。今回の国の重要無形文化財「琉球舞踊」保持者選考に際しても、主流派詣でをして、師の技をすてた人がいる。そうやって流儀の名前は残っても、中身が変わっていれば、その流儀は滅んだも一緒じゃないか。
1次認定、2次認定保持者である大きな先生方のほとんどが亡くなると、県の沖縄伝統舞踊保存会は、3次認定保持者になった主流派の天下になった。会を動かす役員は、大半が3次認定保持者。4次、5次から役員になっているのは、3次認定保持者の弟子だけである。目には見えないが、3次対4次5次という対立構造ができた。
そんな折り、平成21年に、県指定だった沖縄の舞踊が国指定になった。そこで国指定保持者として選ばれたのが、県の3次認定保持者。4次、5次の保持者は、県の保持者として残った。
国の重要無形文化財「琉球舞踊」の指定は、県指定に潜在していたこの対立構造を顕在化させた。
県指定の沖縄伝統舞踊。国指定の琉球舞踊。この二つは名前は違っても、実は同じものだ。指定が国か県かという違いだけだ。なぜ、同じものが二つある理由がよく分からない。琉球舞踊として一本化すればよい話ではないか。組踊のように、沖縄での指定(当時は琉球政府指定)がそのまま国指定になっていれば、今回の問題は起こらなかった。国は、文化庁はいったい何を考えているのか。
国指定の保持者が、県指定とは全く関係なく、国独自の人選で選ばれたのなら話は分かる。国の保持者の全員が、県の3次認定保持者だ。それ以外から保持者になった舞踊家はいない。県指定の保持者以外にも優れた舞踊家はいる。それらの方々を選んでくれたらよかったのに、そうはなっていない。明らかに、県指定の保持者からの人選だ。国、文化庁は、県指定を踏まえながら、3次の方々だけみて、4次5次をなぜ切り捨て、尊重しないのか。県の教育委員会、中でも文化財課はどう考える。県指定の誇りは大きく傷ついた。
県指定の「3次対4次5次」が、そのまま国指定の「保持者対伝承者」に
なってしまった。これはまた、冒頭で述べた「主流派 対 非主流派」の対立構造と重なる。力関係から言うと、主流派である「保持者」に対して、「伝承者」の中の非主流派は、圧倒的に弱い立場にある。そんな弱者をなぜ、同保存会は、「いじめる」のか。(この「いじめ」の内容や実態については後述する。)
単に身内を優先したい「保持者の私利私欲」だけでは説明がつかない。根はもっと深い。一言で言うと、非主流派の存在自体が、主流派である保持者にと不都合だからだ。
師の技を変えることで保持者になった主流派は、師の技を守っている非主流派がいては、自分たちの正当性(本物であること)を主張できない。非主流派が伝承者という弱い立場にいるうちは心配ないが、自分たちと同格の保持者になって、正当性を主張をされては困るのだ。だから主流派は水面下で、非主流派に対して「技を自分たちに合わせる」ように懐柔したり強要したりする。それが効かない場合は、保持者候補者から外す暴挙に出る。潰すしかないのだ。
この投稿のタイトル「琉球舞踊界の不都合な真実。伝統を守らない強者が、伝統を守る弱者を殺していく」は、皮肉でも冗談でもない琉球舞踊界の現実だ。
伝統を守る手本であるべき「保持者」たちが、伝統ではなく自分たちの権威や利益を守るために、伝統を守っている人たちを潰していこうとしている。
これを指導すべき行政は何をしているのだろう?
「琉球舞踊は滅びるのではないか」と警鐘を鳴らした県の元担当者の島元さんの新聞記事が出た日、島元さんの上司の野原忠班長という人が、保持者候補者の実技選考の会場に駆けつけ「勘違いをした部下が、でたらめなことを書いてしまった。我々の指導不足があり、誠に申し訳ない」と謝罪したという話を複数の保持者や保存会以外の芸能関係者から聞いた。それどころか、琉球舞踊保存会は口頭の謝罪ですまさず県庁まで抗議に行き「謝罪文」を県教育委員会に出させたと言っている保持者もいる。本当だろうか?
あの記事が「でたらめ」というのは、県教育委員会の公式見解か?ちゃんと事実関係を調べたのだろうか?あの新聞記事の内容は、個人の意見や「でたらめ」ではなく忌まわしい「舞踊界の現実」でありながら、誰もこれまで書かなかったことだ。私の周辺の関係者たちはそう言っている。「でたらめ」という否定的な意見は聞こえてこない。
琉球舞踊保存会も一枚岩ではない。舞踊家の暴走を快く思わない保持者もいる。候補者名簿等の重要な情報が外に漏れる(というより確信犯的に白日の下にされた)のは、そのことを表していないか?狩俣さんの寄稿文では、この保存会内部の情報の漏洩を問題視しているが、私はむしろ、琉球舞踊保存会(保持者)の中にも、この不正な選考方法に疑問を持つ人間がいることは、一つの希望だと思う。そこに琉球舞踊保存会の再生の可能性がある。琉球舞踊保存会が健全な組織であり、公正な保持者選考を行っているのなら、そこでの情報の漏洩は大問題だが、現在のこの不健全な団体が疑念をもたれるような選考を行っている状況なら、どんどん情報を外に出してほしい。不正をはびこらせないために是非そうしてほしい。心ある保持者には是非そうしてほしい。
問題は、県の教育委員会だ。文化財課は、保持者と伝承者双方に聞き取りをすれば様々なことが分かるはずだ。それをやった上で「でたらめ」と断じているのか。行政の中立性は守られているか?
伝承者によると、文化財課は市町村に指示を出して、適正な保持者選考を求める「署名」や「嘆願書」(記事にある嘆願書を伝承者有志で文化財課に直接持って行ったのにお座なりに対応されたので市町村経由で提出しようとした)を握りつぶしているという。
また、衝撃的な噂がある。
島元さんは、県教育員会内部で孤立し、精神を病んで休職に追いこまれたという。
事実だろうか?本当なら県の文化行政の唯一の希望が消えたとすら思う。
琉球舞踊が滅びる以前に、沖縄の文化財行政は死んでいないか?
文化財保護の観点だけでなく、文化振興、産業の面でも大きな打撃ではないか?沖縄の宝である舞踊の「7系統」が「1系統」になるかもしれない瀬戸際だ。言い換えると「7」あるコンテンツ(実はコンテンツどころかその源泉になるもっと大きな存在だが)が「1」になるというのは、大変な損失ではないのか?系統が一つになれば、系統同士で切磋琢磨して進化することはのぞめない。いったん形骸化してしまえば元に戻らない。薄っぺらな観光土産のような舞踊が残っても、それを琉球舞踊と呼べるだろうか。世界に誇れるだろうか?
沖縄県の文化行政は、文化財保護が県教育委員会の文化財課、文化振興が県の文化振興課と分けられているが、この二つは取り組みとしてはわけられても、無関係ではない。どちらの取り組みが空洞化しても、双方に及ぼす悪影響は甚だしい。県教育委員会の文化財課だけでは無理なら、振興課の力も必要ではないか。この二つの部署が手を取り合って、状況を改善してほしいと切に願う。
マスコミはどうだろうか。琉球新報、沖縄タイムスともこれまでになく、担当記者がかなり踏み込んで、問題を浮き彫りにしていた。ただ、その後トーンダウンした感がある。両新聞とも舞踊のコンクールを事業として行い保持者との関係も深い。マスコミ人の中には、「正直言って舞踊の問題にはもう触れたくない」と漏らす人もいる。これ以上の追究はマスコミに期待できないのか?
では、有識者に期待できるか?
芸能関係の有識者といった人たちの中で今回の件で発言したのは、ただ一人狩俣さんだけである。私とは認識は異なるが、打開策としての具体的な提言もあり傾聴に値する。しかし狩俣さん以外の方々はどうしたんだろう?
有識者も琉球舞踊との関係が深い。保持者に不都合なことは言えない、書けないのか?琉球舞踊保存会の顧問である三隅治雄、宜保栄治郎、田中英機、織田絋二、波照間永吉といった方々は、この状況をただ看過しているだけか?新聞記事では、この件については保存会から連絡が無かったとあったが本当だろうか?保存会としめしあわせて責任逃れをしているのではないか?とすら勘ぐってしまう。顧問以外の大城學、当間一郎といった方々はどう考えておられるのか。手をこまねいていると、研究対象である沖縄の芸能はひからびていく一方ではないか?後進である研究者たちに豊かな裾野を残すため、いや琉球舞踊そして沖縄の芸能文化を愛するのなら、重い口を開いて前向きな提言をしてもらえないか。保持者との関係悪化が気になるのなら、有識者のお一人お一人が少しずつでもいい。できる範囲ででも提言をしていただけないか。
現状は厳しい。国の保持者、文化行政、マスコミ、有識者の対応について見聞きするたびに絶望的な気分になる。その気持ちを振り払って、これら関係者各位にお願いしたい。現実を直視しそれぞれの立場で出来ることをして欲しい。
最も気になるのは、もう一方の当事者である県の保持者(伝承者)の動向。
非主流派(国保持者に選ばれなかった県指定の3次4次保持者)が、国の保持者に選ばれるには、国の保持者の団体「琉球舞踊保存会」の伝承者養成研修を、研修生(伝承者)として受講し、同保存会から保持者候補者として推薦されることが絶対条件だと記事にある。これは、県の3次4次保持者にとっては衝撃だったにちがいない。これまで、同じ保持者同士であった人たちが、先生(保持者)と生徒(研修生)に峻別され、自分たち(3次4次)は生徒(伝承者)側として扱われる。芸能家としての晩年に辱めを受けるという精神的苦痛は、ブログ記事にあるように察するにあまりある。
もちろん県の保持者には、研修生(伝承者)にならず、文化財の指定認定と距離をもって我が道をゆくという生き方もある。しかし、不要な権威をもった者達が保持者として舞踊界を牛耳って、自流派のことを優先している現状では、伝承者それぞれが先達から受け継いだ芸の未来、特に弟子達の将来のことを考えると、舞踊の伝統を継承するための「保持者認定」から脱落することは大きな心配がある。嘆願書にある「公平な選考」を望むのは無理はない。
芸の研鑽は芸の向上のためであり、保持者に認定されるためではない。ひたすら芸を研鑽すれば、結果として保持者に認定される。という世界をつくらねば、この悩みは続くであろう。国の保持者としての「権威」獲得という私欲より「先達のわざを何としても残さなくては」という強い意志を持つは存在する。私が知っているだけでも、県の保持者以外の伝承者にも、また伝承者以外の実演家の中にも何人もいる。その人たちこそ沖縄の宝ではないか。誇りに思う。そういう人たちにこそ、国の保持者なってほしい。
ところで、研修生(伝承者)の話では、研修は開始当初から波乱の連続であったという。県の保持者の方々は、他の研修生とは別格に「特別研修生」という特別扱いを受けたと記事にはあったが、何かにつけ絶えず国保持者との間に精神的な齟齬があり、指導する側(国保持者)と指導される側(県保持者)も、疲れ果てた(先述の研修生の言)25年度に、晴れて研修を修了となり、研修修了生として「保持者候補者名簿」に載せたという報告が、26年度研修の開校式であり、多くの人が胸をなで下ろした。だから今回の「保持者候補者」を選ぶ実技選考、そのための「実技発表」に多くの人(伝承者以外の人も)が衝撃を受けた。なぜ、研修終了時の研修修了生全員の名前がある「保持者候補者名簿」が反故(無し)にされたのか。何の説明もない通知文に「裏切られた」と感じた伝承者は多い。「やっぱり」とか「またか」という反応も。研修修了の際の琉球舞踊保存会からの説明では、修了生に対して、今後研修の場に立たせて実技の披露を強要したりはしないという約束があったからだ。
選考会についての通知も不公平だ。この「実技発表」が保持者候補者選考のためのものだと、発表会当日の2ヶ月前から知っていた国の保持者の弟子と、数日前に知らされた国の保持者の弟子以外の研修修了生。これは事務局のミスにしても大きい。意図的なものではないか勘ぐってしまう。通知文と一緒に、選考を辞退する届け文の様式も添付されている。「欠席届」ではなく「辞退届」であることが衝撃である。事務局の連絡や通知の不備を謝罪もせず、選考会に参加できない場合は、「保持者になることを諦めろ」という訳だ。
このパワハラと言っていい処遇に、伝承者の嘆願にこめられた思いは切実だ。
「インターネットには、文化庁など宛の嘆願書提出の有志15人の実名を掲載しているが、盛重系は12人、成重系以外の芸統は3人だけである。」(狩俣)この「だけである」というのは誤解だ。この15人の有志というのは、県の保持者(研修修了生)31人の中で今回の嘆願書に賛同し署名をした15人のことだ。その系統の内訳は、盛重系が27人中12人、盛重系以外の芸統は4人中3人。半分に満たない盛重系に対して、盛重系以外の芸統はご高齢の仲宗根文子先生以外は全員賛同している。もとより盛重系以外の芸統は少数派だ。しかし総員の数では負けても、団結の強さでは勝っている。
この署名の人数から「本当に流派存続の危機ならば、盛重系以外の芸統は伝承者も含めて一致団結すべきではないか」(狩俣)というのも的外れだ。この嘆願書は、県の保持者(研修修了生)有志のもの。県の保持者でもない伝承者の名前がないのは当然だ。名前がないというだけで一致団結していないということにはならない。新聞記事では、嘆願書は県の保持者有志から県教育委員会、文化庁、琉球舞踊保存会に提出されたとあるが、その後、有志だけではなく、県の沖縄伝統舞踊保存会から会長名で、県教育委員会(文化財課)を経由しないで、直接文化庁の吉田担当官に手渡したという。思わしくない状況の中で、県の保持者は諦めずに、未来を見て頑張っておられる。
むろん県の保持者だけでなく、伝承者全員あるいは出来るだけ多くの伝承者の署名をあつめるべきだという意見はあるだろう。しかし、伝承者の立場は弱い。特に、県の保持者ではない伝承者は、県の保持者から成る県指定沖縄伝統舞踊保存会のような流派をこえた大きな統一団体を持たない。狭い沖縄の芸能界。様々な団体合同による公演の場合、トップに立つ国の保持者の機嫌を損なうと、あからさまな虐めに会う。自流派の師匠の庇護が及ばないところで傷つけられることも多い。伝承者が自らの名前を出して抗議するのは実に難しい。だから連帯や団結は見に見えないところで行われる。一般の人にはこの特殊な事情や問題は見えないゆえんだ。だからこそ、非主流派、特に盛重系以外の県の保持者は、弟子を守りつつ、不正義と闘っていかなければならない。
だから、この苦しい闘いを続ける全ての芸能家にエールを送りたい。
そして、一般の方も、もっとこの問題に関心を持ってほしい。琉球舞踊が変わり果て滅びることは、沖縄の大事な心がなくなるに等しい。実は、琉球舞踊保存会には毎年税金から700万円以上の公費が投入されている。これを芸能の私物化に使われてはたまらない。同保存会の動向を注視してほしい。
ここまで、この拙い文章を読んでいる方々にお願いしたい。琉球舞踊保存会、マスコミ、有識者に失望や期待だけするのではなく、このブログのコメント欄に思うところを投稿してほしい。反論。訂正。異なる意見。新しい情報。匿名でかまわない。そうして、沖縄の大切な宝、琉球舞踊を守る力になってほしい。一人でも多くの方が。切なる願いだ。
まだまだ書き尽くせない。コメントで指摘いただければ、いずれ補足したい。
ヒーラーモーイ親方
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文化行政の場で真実を追究すべく、勇気をもって現状を社会に訴えた島元先生の立場が気になります。沖縄芸能、この琉球舞踊保持者問題について沈黙している専門家の方々は責任をもってしかるべき方向性を指し示してほしいものです。県の文化行政担当の責任者、文化庁の責任者、担当者も含め、このヒーラーモーイ親方の問いに真摯に応えてほしいものですね。
芸能史や演劇史をまとめたいと考えています。女性芸能史は遊里を中心にまとめてみました。
元々は王府時代の冠船芸能者から近代以降は『沖縄芝居』の中で、大衆芸能は雑躍も含めて誕生ですよね。沖縄芝居役者として、大衆の趣向を取り入れながら近代の形ができたのですね。その中で組躍も古典舞踊も継承されてきたのですね。渡嘉敷守良さんや新垣松含さんが玉城盛重さんなどと肩を並べていたのですね。近代の芸能の中身は史料が残っていますね。盛義さんが遊里のお座敷で人気があり芸妓に舞踊を指導しているのですが、松含さんもかなり勢いがあり、芸妓に舞踊を指導したことも事実ですね。
1930年代の真楽座や珊瑚座の隆盛があり、その中軸を担った方々が戦後のリーダーになっていったのですね。真境名由康さんや伊良波尹吉さん、親泊興照さん、宮城能造さん、島袋光祐さん、少し遅れて大宜見小太郎さんや真喜志康忠さんなどでしょうか。舞踊の型が纏められた50年から60年代が沖縄タイムスの豊平良顕【1904-1990】さんたちが真境名佳子【1919-2005】さんを中心にピラミッドを構成したということになるのでしょうか?
戦前佳子さんより抜きん出ていたのが遊里の芸妓だった上間郁子さんたちですね!沖縄内の差別(の眼差し)があり、芸妓の芸を軽んじてきた戦後ですが、遊里270年の歴史(女性芸能)を踏襲したのが『乙姫劇団』ですね。乙姫の女性たちの『舞踊』はいいですね!玉城流にその流れはある様子ですが、綺麗な造花の美と品の良さ、格式、しかし、古典女踊のほとんどはその歌詞を見るとユカッチュから美らジュリへの愛の歌が基軸になっていますね。琉歌を吟味するとこの間の曖昧さが見えてきますね。
琉球舞踊の問題でした。現在は新聞社を中心にコンクール制度で、継承・発展のシステムが出来ているのですね。家元制度も盛んです。どれほど舞踊の型や手、元歌が異なるのか、その差異を払拭してきたのが、コンクール制度だともいえるかと思います。
それぞれの流派固有の個性(美や型)が統一されているのならば、家元制度もおかしくなりますね。似たような雑踊や古典躍りですから、誰が抜きん出ているのか、差異があまりありませんね。型があるとしたら沖縄タイムス系と琉球新報系があるのでしょうか?
盛重系以外の型や手の特徴を吟味し、その舞踊を継承している方々を招聘し、多くの皆さんに披露する会を持ってほしいですね。盛重系の躍りと渡嘉敷系や松含系、その他の躍りの違い(差異)をじっくり鑑賞したいですね。←是非実現を!
ここで琉球舞踊の国保持者から国宝が誕生すると、状況は変わってくるのだろうか?権威に媚びる傾向があるのも沖縄芸能の特性でしょうか?ヒーラーモーイ親方がこの可能性(流れ)についてどう考えているか、知りたいですね。
6・6:現琉球舞踊保存会の問題がかなり指摘されてきていますね。コメントも増えているので、このブログのトップへ今日の日付でもってきますね。コメントを御覧ください!どう結果が反映されるのか、見守りたいと思います。
県は、公開討論会を開催すべきかと考えます。
各流派や新聞社、保存会、そして芸能関係の研究者も含め、多かれ少なかれ利得(利害)も絡んでいると見受けられるのですが、沖縄の戦後の芸能史を真摯に見据える画期的機会と捉え、真摯に向き合ってほしいものです。
もし関係しているどの機関や組織も誠実に対応することがなければ、独自にこの問題をテーマにシンポジウムを開催したいですね。
盛重系統に偏る国の琉球舞踊保持者の問題ですね。また選考過程での不合理な候補者選定かと考えます。ヒーラーモーイ親方の文書を読むと、琉球舞踊の形の変質と政治的な力学も裏に潜んでいるのですね。
「非主流派、特に盛重系以外の県の保持者は、弟子を守りつつ、不正義と闘っていかなければならない」とヒーラーモーイ親方は書いていますね。
「琉球舞踊保存会の顧問である三隅治雄、宜保栄治郎、田中英機、織田絋二、波照間永吉といった方々は、この状況をただ看過しているだけか」とも問いかけていますが、有識者は是非応答してほしいですね。道筋を示してほしいですね。
「沖縄の文化財行政は死んでいないか」とも問うています。文化財審議委員が永久就職のように何十年も同じ人物がその席にある現実も異常ですね。アメリカ大統領並に二期8年か6年位で交代すべきですね。それが何十年も同じ方が独占する沖縄の文化行政です。←権力は文化行政でも腐敗するのかもしれませんね。背後に党派も地縁・血縁も絡みますね。 強者が弱者をいたぶる文化(財)行政は返上したいものです。
その代わり、真剣に師匠の技を守り抜こうと、強大な敵と戦っている先生方に、その資格を、今すぐあげて欲しい。あげないのは、沖縄県民として恥ずかしい。いいかげんにしてくれ!本当に!琉球舞踊保存会が、あまりにも、自分達のやりたい放題した結果が、全ての元凶だ!責任転嫁するな!全ての元凶はあなた達だ!あなた達が、平等に、そして真剣に考え行動したのなら、今回のような騒動はおきなかったはず。責任は全てあなた達にある。
良い案がウカビマシタ。
琉球舞踊保存会は、玉城流保存会に即刻、改名したほうがいいですねー。琉球舞踊を名乗ってはいけないですよ。
脈々と現代まで先人達が命をかけて守り抜いた伝統を、現代人の安易な考えで、握り潰す行為はいかがなものですか