その後山城知佳子さんの≪肉屋の女≫の映像や対談を拝聴、キャサリンの分析は鮮やかでびっくり!新城郁夫さんの解説や山城さんの生の声でのやり取りなど、興味深かった。キャサリンは名護の宿のことが気になっていて、早く車に戻りたがっていた。購入した冊子の英文に目を通し、素早く中身を...
その映像を始めてみたので、懐かしい役者の顔があったり、肉屋の女性の表情が素敵だなと思って見ていたが、リアルとシュールが混ざった映像は生々しくかつ戯画的でも抽象的でもあり、肉にまつわる、豚肉に纏わる文化圏の中のサイクルをイメージした。ただ肉は豚だけではないと思うが、海岸端の洞窟の場面など、女たちがなぜかそこを通って、そこで蘇生して海で息を吹き返すサイクルは、生命輪廻の暗示か、ドキッとする映像だということは確かだ。食べられる女たち、だが肉から一挙に肉感のない主人公が食われるは暗示だが、食べる行為の貪欲さ、の行き着く果ての解放は、自然、生命サイクルの肯定に行き着くのだろか?ヴェジタリアンの環境コンシャスなキャサリンは、解釈はしたが、知佳子さんに話しかける素振りはなかった。このような映像はドイツでも見たとの事だったが、今一、彼女の反応がストレートにわからなかった。名護の宿の事が気になっていたのだろう。1年が早い!