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志情(しなさき)の海へ

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渡嘉敷流の型の違いがよく分りますね!なるほどです!【首里城の舞】 若衆特牛節 渡嘉敷流あけぼの乃会 2016.4.16

2017-09-22 14:24:55 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

【首里城の舞】 若衆特牛節 渡嘉敷流あけぼの乃会 2016.4.16

https://youtu.be/C35FecgMJts

渡嘉敷流の型の違いがよく分りますね!びっくり!渡嘉敷流が王府時代からの流れを継承していたのですね!足の動きに注目です。多良間の八月踊りがまた観たくなりました。足遣いが似ていますね!


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18 コメント

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能の歩き方ブログより (沖縄人)
2017-09-25 21:18:24
能の世界での運歩を「運び」という。
すり足をしながら、つま先が徐々に少しづつ上がる動きだ。
なぜつま先が上がるのか、上がらなくてはいけないのか?

それは人間の歩行の原則だから。
たとえば、あの北朝鮮の軍事パレードでの兵隊の歩行を
思い出していただきたい。
あの一糸乱れぬ動きの中で軍人の蹴り上げたつま先は天を向いている。
歩行の基本を忠実に守っている、

まあ~~あそこまでやらなくても!という声も聞こえてきそうだが、
基本形であることに間違いはない。

人間の足は片方の足が前に出始めると次第につま先が
上がる仕組みになっている。
つま先を上げずに動こうとすると、能舞台では足裏と舞台の板との間に
最後まで摩擦が生じスピードに乗れなくなり、ぎくしゃくした動きになる。
日常、一般には老人や病人はこの動きとなり、見ていて不自然さを感じるのではないだろうか?

能でも老人や精神が異常な様を表現するときは、
故意につま先を上げない運びをすることがあるが、
通常はきれいにつま先が上がらなくてはいけない。

現役時代の父の運びの美しさは忘れられない。
両足とも足の指のバラツキなどなく、それはきれいなものだった。
私も真似したいと思っているが、あそこまでは到底無理
と諦めてしまうほどのバランスのよさだった。

追伸:?さんへ
能は、すり足をした後につま先をポンとあげます。渡嘉敷流の動画「かぎやで風」の足は、かかとがあがり、つま先で歩み、すり足になっていませんでした。能は、歩みの時点で、かかとはあがりません、一旦すり足をしたあとに、つま先があがるのです。

能のつま先の上り方は、五本の指が揃っているようです。沖縄舞踊のつま先あがりは、能のそれとは違い、五本の指がそろっていません。指だけが上にあがる場合が大方です。能のつま先上りとは違いますね。

能のすり足デモ用動画もあるようですので御参考になるとおもいます。

琉球舞踊の歩み技法も時代とともに変化し進歩しているかもしれませんね。歩みについても解体し説明していく価値がありあそうですね。琉球舞踊に関してはまだまだ説明動画やアーカイブが少ないですよね。
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Unknown ()
2017-09-25 14:23:48
詳しくないから曖昧ですが能か狂言?どちらかの芸能の足使いは摺り足じゃなかったので驚いた記憶がある。ドラマとかCMで見て勝手に伝統芸能=摺り足とイメージしてたから
日本の伝統芸能といっても必ずしも摺り足じゃないのかもしれませんね
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すり足について (沖縄人)
2017-09-25 08:31:53
?さんへ

本部御殿手のブログによると、下記のような内容が載っています。

「上原先生も本部朝勇先生から琉球王国の礼法を学んでいました。そのうちの一つに、「膝行(しっこう)」がありました。膝行も武家礼法(小笠原流礼法)で定められた武士の歩き方です。膝行もすり足同様、琉球王国にもたらされていました。膝行は室内で貴人の前へ歩み出るときに使いました。合気道ではいまでも膝行を稽古するそうです。」

以上。

追伸:すり足で歩むこととは、相手方に隙(足の裏に空気を入れないこと)を見せないことと理由ずけているようです。

王府時代すり足が古典舞踊に導入されたこととして、それだけ古典舞踊が正式な舞であることの象徴だったのかもしれませんね。

沖縄舞踊芸能組踊は、「歩みの藝術」と言われています。

すり足で舞台の角を切り歩く踊りを道行と呼びますね。歩くことで配役の道中の様子を観客が想像しているのが組踊です。すり足なくして組踊は成立し得ないということなのではないでしょうか。


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 (Unknown)
2017-09-25 02:28:51
琉球礼法のすり足とは、いかなる時に
使うと書いてありますか?
興味があります
礼法のすり足が琉球舞踊に取り入れられたと
書かれているのですか?
知りたいです
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すり足について更なる資料を求めて (沖縄人)
2017-09-24 21:41:10
nasakiさんへ

貴方のコメント「すり足は新しい型ですね、王府時代はありえませんね、渡嘉敷流が古いのです」に対しとても興味のある題材だと思いますので、沖縄関連史料を探ってみました。

本部御殿手(Motobu Udundi)ブログより
日本から導入された琉球王国の礼法に、「すり足」がありました。すり足は江戸時代、武士の正式な歩き方でしたが、琉球士族の正式な歩き方でもあったのです。ちなみに、すり足は日本人には馴染みのある歩き方ですが、世界的に見ると特殊な歩き方です。すり足の名残は今日琉球古典舞踊に見ることができます。いまでも琉球舞踊家はすり足を使っていますね。

本部朝正宗家によると、本部朝基先生もすり足で歩いていたそうです。朝基先生の下駄は水平にすり減っていたそうです。普通は踵からすり減りますからね。このことは古流空手の運足を考える上でも重要な点です。

In one of the Reiho (manners) of the Ryukyu Kingdom that was introduced from Japan, there was "suriashi" (sliding steps). Suriashi was a formal way of walking of Japanese samurai in the Edo period and it was also a formal way of walking of Okinawan samurai. Suriashi is common for Japanese people, while it is an unique walking globally. Today we can see the traces of suriashi in the Ryukyuan classical dance. Dancers of the Ryukyuan classical dance still walk in suriashi.
According to Motobu Chosei soke, Motobu Choki sensei also walked in suriashi. It seems that his geta (wooden clogs) wore down on front and back sides equally. This is important in consideration of how steps of old karate were done.

追伸:こちらブログの良い点は、いろんな視点で討論がなされていることですね。本来、沖縄の媒体のサイトなどでも伝統芸能について率直に意見交換できるようになると良いと思いますね。nasakiさん、毎回、わたしの投稿も掲載してくださり有難うございます。
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沖縄人さんへ (わたし)
2017-09-24 02:41:40
わたしも小さい時から琉球舞踊をしています。踊る事が好きで、楽しくて、ただただ踊っています。沖縄人さんも舞踊家さんでしょうか?
いろいろなコメントをされていますが、ただ単に他の流派の踊りを受け入れられないだけのように感じます。
アーチストとして学ぶ姿勢が大事だと仰るなら、もっと他の流派の型も勉強して尊重するべきなのではないですか?
何が正しくて、何が間違っているのかを議論しているのではないのです。多様性があり、いろいろな踊りがあって琉球舞踊は素晴らしいのだと思います。
確かに自分が小さな頃から踊ってきた型が一番だと思いますが、わたしは渡嘉敷流の踊り、好きですよ。うちにはないおおらかさがあると思います。それぞれの良いところを認めあいながら発展していく舞踊界でありたいですね。
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人材育成こそが大事なのでは? (ぶちゃいく君)
2017-09-24 00:26:17
別の記事を読んだついでに、たまたま目に入ったので投稿しました。
私は素人なので、専門的な技法云々は知りませんが、若い舞踊家の方が、少なからず努力を重ねたであろう演舞に対して、沖縄人さんのおっしゃられる様な批評は、これからの未来へ向けて、あまり好ましくない様に思います。
いかなる分野でもそうですが、芸術に於いても最初から完成された人はいません。
私は長い間、教育現場に携わって来たため、若い人達に秘められた爆発的な可能性を、何度も目の当たりにしてきました。
当然、若手の方々は、まだまだ未熟であり、専門の方から見れば、指摘したくなるような点も多々あるかとは思います。
しかし、先にも述べたように、若手の方々は可能性の宝庫であり、未来の宝であると思います。
多少のミスや至らぬ点を責めるより、その可能性を伸ばしてあげる寛容さが必要なのではないでしょうか?
まして、他の方のコメントから推察するに、話題の若手舞踊家の方が演じた舞台は、若手育成のための舞台だと言うことでしたので、尚更に、若手に対する希望を持っていただきたいと思います。
加えて言うなら、その若手の方だけを捉えて、その流派そのものを批評するのは、入学したての小学1年生の幼稚さだけを見て、教師を含めたその学校全体を評価するのに等しい事であり、増してや、品格が無いと非難するのと変わらない事だと思います。
どうか今後は、様々な流派に於いても、若い人達の可能性を活かせる様な、琉球舞踊界となって戴きたいと、一、教育に携わる者として、お願いしたいと思い、長文ではありますが、投稿させていただきました。
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Re:前の浜の振り付けと足さばき (nasaki)
2017-09-23 19:31:21
前之浜、動画拝見したいと思います。*謝*琉球国時代は呉座の上で組踊や舞踊でしょうか。すると多良間の組踊が原形になりますね。
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前の浜の振り付けと足さばき (沖縄人)
2017-09-23 18:54:48
nasakiさんへ

「渡嘉敷流が古いのです」ということですので、別な動画もチェックしてみました。

前の浜の振り付けが独特で面白い。足さばきに独特の技法が継承されていますね。迫力のある足さばきだと思います。

前の浜はすり足で躍っています。

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Re:古典舞踊のすり足について (nasaki)
2017-09-23 07:20:42
すり足は新しい型ですね。王府時代はありえませんね。渡嘉敷流が古いのです。詳しい解説はいいですね。ただ琉球沖縄の芸能史はしっかり踏まえる必要がありますね。
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古典舞踊のすり足について (沖縄人)
2017-09-23 01:45:31
渡嘉敷流のかぎやで風動画も拝見しました。男性役の足さばきが確かに他流会の足さばきとは違っていますね。

いわゆる「すり足」になっていないのです。

伝統舞踊や武道(茶道なども含めて)、「すり足」は基本中の基本ですね。

すり足とは?

足の裏全体を地面に付け空気をいれずに歩むことです。能舞や狂言舞や日舞や歌舞伎舞も同じ技法です。

地面のパワーを身体に流しこみつつ、踊る側の「気とパワーを」観る側に(客席)に伝えることが、すり足の基本所作の意味だと理解しています。

ところがどっこい、渡嘉敷流のかぎやで風の足は、すり足になっていないのです。歩み手法が、かかと上り、つま先歩み、歩みの最後につま先がポンと上がる。

すり足をやらず、独特の足さばきが特徴とする流派であるならば、そのような足さばきに至った経緯とすり足をしないことへの解説をしていただきたいと思います。

普通に古典舞踊を嗜む人間において、かかとあがりの、つまさき歩み(足に空気が入っている歩き形)、観ていて違和感さえ感じると思います。

古典舞踊の基本所作からはずれた形をとられているわけですね。

形(振り付け)の違いは、流派の特徴を出す意味でよいとおもいます。

瓦屋の古典女性踊りのすり足は普通におどれていますね。が、かぎやで風の男性役の足さばきと古典女踊りの足さばきが違う流派って存在しているのですね。

沖縄舞踊の象徴である「かきやで風」の、すり足が守られていないことについて、とても興味深い点ですね。




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沖縄人さまへ (nasaki)
2017-09-22 23:59:36
投稿が重なったようです。貴方がかなり詳しくご研究されていることが分ります。ご指摘は最もだと考えます。ちゃんぷるー文化が舞踊の中にも生かされているのですね。

二才踊りの大和(本土)からの影響の変遷はまだ詳細に研究がなされていませんね。南方との関係は「コネリ手文化圏」の中で指摘されていますね。

渡嘉敷流の他の流派との違いに視線が向いています。

二才踊りに本土芸能の影響があり、コネリ手文化圏は奄美からインドまで?でしょうか?

琉球舞踊の良さをもっと味わいたいですね。

これからもご教示よろしくお願いします!

空手と琉球舞踊の類似や比較研究はいろいろなされていますね。空手の型の影響など、確か動画で観た事があります。
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空手の所作が基本ですか?その前にー。 (nasaki)
2017-09-22 23:37:22
今一度動画を観たのですが、可愛い素敵なお嬢さんですね。足遣いがいいですね!この若衆踊りは二才踊りなど、扇子を持っていますから大和芸能の影響があるのではないでしょうか?

たまたま『沖縄文化の古層を考える』の中の三隅治雄氏の「コネリ手文化圏と沖縄の芸能」を読み返したのですが、ガマクや足指の動き、違和感ないですね。空手が導入される前の原型があるはずですね。男芸と女芸の異なる系譜もあるのですね。

それから十分品格ありますね。
9月24日の渡嘉敷守良襲名公演でたっぷり渡嘉敷流の舞踊、その個性・特徴(型、わざ)を鑑賞したいと考えています。沖縄人さんも是非ですね。
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nasakiさんへの個人投稿です (沖縄人)
2017-09-22 23:34:02
わたしのコメントも掲載していただきありがとうございます。

個人的に読んで頂きたく再度の投稿です。

ダンスの基本は、バレエ、日舞、沖縄舞踊、あるいは他国の伝統舞踊も基本のところは同じです。

方向転換(身体の向きを変える)の際、バレエもターンを行うとき、顔が先に方向転換先に向けます。

そうでないと、おかしな踊りになるのです。身体のバランスが壊れ、上手にターンが行えないのです。

琉球舞踊が特殊だとおもいきや、実はそうではありません。琉球舞踊の古典女踊りは特殊な技法を保てていますが、若衆や二歳舞踊は、大和芸能の技が導入されつつ練り上げられています。

扇使い(手の多さ)は、日舞と琉球舞踊を比較してみると琉球舞踊は扇使いの形が非常に少ないです。いわゆる、琉球舞踊には、四季折々の風景を扇で表現していません、それは土地柄が背景にあります。雪が降らない沖縄県で雪の表現は合いませんね。

若衆くてぃ節は大和風の技法が導入された舞なんです。祝儀舞踊の演目として常盤なると、大和風の歌詞ではじまりますね。

琉球舞踊家さんたちが勘違いをしがちなこととして、大和と違うと思い込んでいるところです。

秋の踊りは沖縄舞踊らしくない演目ですね。二歳踊りの上り口説も大和の二歳踊りに似ているかとおもいます。着付けもまさに歌舞伎二歳どおりのコピーです。

動画の若い集の踊りの足幅(前立ち)は、二歳どおりのように広いですね。本来は、若い衆の役柄を演じる最には、足幅はすこし狭めに立つとおもいます。

ここでは流派の形について多くのコメントされているのですが、本来、踊りの基本所作さえ理解できていない舞踊家さんが人形のように仕込まれて、意味を解説できていないのではないでしょうか。

研究とは、けして上から教わるだけではありませんね、アーチストとして、自ら外に出て他国の伝統芸能と比較研究し、かつ、自分の国の伝統の歴史(沖縄のみならず他県とのかかわりかた)なども率先して学ぶ姿勢が大事だとおもいます。

沖縄舞踊は隣国の伝統芸能のチャンプルーです。空手所作、大和の踊り、インド舞踊、インドネシア舞踊、中国の伝統舞踊、それぞれの国の伝統芸能の形において、顔が先にターン先にむくことはダンスにおいて基本中の基本です。

では、わたしのコメントはこれくらいでおわります。




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空手所作が基本の沖縄舞踊 (沖縄人)
2017-09-22 22:36:48
空手の所作を基本とする沖縄舞踊の形についても深く追求してみたいと思います。

本動画の所作の一つ「ちりかえし」の時の身体の向きについて、心臓と身体が左角を向いているのですが顔が正面を向いたままですね。まず空手の基本とは、身体方向を変える前に顔が左角に向くべきですね。心臓と身体が左角向いているにもかかわらず顔が正面を向くことは空手の形として存在していないのでは。

流派や踊る年齢とは無関係なことだとおもいます。

若い方であっても舞踊解体ができるまで追求することが研究所のメンバーとしての責任なのではないですかね。
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そこまで言わなくても (沖縄人さんへ)
2017-09-22 19:16:38
沖縄人さんへ

映像を見た感じ、首里城の舞への誘いという、観光客の方々に見てもらうことを目的とした舞台の映像か
踊り子さんも見た目的にに若手の舞踊家さんではなかろうか、10?20代?
若手の舞踊家さんは、まだまだ まだまだ研鑽途中のはず
こういった機会に出演し、舞台経験を積んでいるところかと
それで、その流儀の品格まで問うのは、ちょっとどうかと個人的に思うが
観る人の好みもあるしですね

沖縄人さん
ベテランの方の踊りをみて、個人的批評(批判ではなく、批評)をするのは、まだいいとして、
まだまだ研鑽中の若手舞踊家ですから
温かな眼まなこで みてもいいと思いますよ

また、若い子達が伝統芸能に取り組む姿、それ自体がベテランにはない美しさがあると個人的に思ってる、貴重な人材です
厳しいコメントにも耳を傾け芸の肥やしにして頑張れ
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緊張しているのですね! (nasaki)
2017-09-22 18:55:09
踊っている舞踊家は十分品格を持っていると思いますよ。熱心に踊っています。ちょっと緊張しているように見えます。

着付けや化粧に関しては琉球芸能は総体的に問題がありますね。王府時代に化粧はどうだったでしょうか?戦前は?酒座での歓待芸能ですが、王府時代の舞踊の質やレヴェルは、どうだったでしょうか?矢野さんの『沖縄舞踊の歴史』では、盛重さんの言葉を引用して、近代以降がはるかに良かったとしていますね。

表情や顔の向き、姿勢も注視したいのですが、渡嘉敷流の個性なり特徴に関心があります。足遣いが目に入りました。最も他の流派と異なるかと思います。←貴重!

宮城流の能造先生の戦前の舞踊の録画がありますね。現在と差異がありますね。王府時代から近代、戦後、復帰後と変遷が見られますね。

着付け、化粧も含め歴史の変遷が纏められるべきだと考えています。県の文化財課の芸能担当はきちんと纏めてほしいですね。最近の組踊、舞踊の化粧は、ちょっと白塗りが凄いですね。個人差もありますね。

もっと自然の色合いは出せないのでしょうか?疑問です。
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衣装と化粧について (沖縄人)
2017-09-22 18:09:17
まず、動画の舞子さんの首にご注目。首の後部がご本人の地肌色で白塗りされていません。

若衆の赤の衣装の袖の部分に裏地が付いていなくて、ヒラヒラですね。初めて拝見した衣装です。

踊り形の特徴というより、顔の向きや表情に特徴があるといえましょう。右周り「ちり返し」のとき、正面をにらみつけるような表情を残していますね。全体的に踊子さんの表情が硬いです。

若衆の演目は王朝時代歓待の宴で最初に演じられた演目だということですね、そして、若くういういしく艶やかであるべき演目だと思いますが、正面をにらみつける目付けの踊り形そのものが怖い印象を受けました。

残念ながらこちらの動画の舞いには琉球舞踊の品格が備わっておりません。

流派に関係なく、踊りの「形」に関係なく、踊りとは?品が大事だという風に思います。




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