今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

ペットだなんてご免だニャー

2016年12月01日 | ニャー
ニャーが我が家に越して来て1ヶ月。
家猫生活もだいぶ板についてきました。
遊ぶときは夫(私)、眠くなってくっつくのは妻と、使い分けるところは晩年のテツに似たかも? 他にも何かとテツに似た行動があるのは、無意識のうちに我々がしむけているのかもしれません。

でもニャーは主張します。
自分はペット(=愛玩動物)なんかじゃない、自分は自分(猫)だと。

そうです。
ニャーのプライドを傷つけない。
それが一番大事なこと。

でも、ままならないこともある。
店時代の自由気ままな生活を、ニャーはまだ忘れられないでいるようです。
危険も苦しいこともあったのに、そんなこときっと忘れてるんだろうな。

外に出たい。
そんな仕草(主張)がニャーの日課になりました。
騒ぐわけでも暴れるわけでもなく、ひたすら外を見つめます。

         朝から晩まで 

         雪の日も    

         2階の窓からも

   たまにはこんなポーズで
                      (ニャー得意の逆さ寝)



「どうして外に出れないの?」とニャーが訊く。
「それはね、人間の都合だよ」と答える。

でも、そればかりでもなさそうだ。
投稿サイトでニャンコの外飼いのスレが立つと、だいたい山のように反対のレスがつく。普段は言いたくても言えない人たちがそれだけ多いということだ。 しかしよく見るとその半数はニャンコ好きで、ケガや病気、ニャンコの身を案じて反対しているのです。

こうなるともう、(ニャンコと人間の)価値観の相違としか言いようがなくなる。

人間の社会でも「終活」だとか「尊厳死」だとか言われる昨今で、自分も他人事ではなくなってきた。先日書いたシャッポの話じゃないけど、生きとし生けるもの、命よりも大事な矜持があるのかもしれない。

すると、ニャーの声が聞こえてきます;
「人間のペットなんかになるくらいなら死んだ方がましだい!」




翌日追記)
この記事の内容は、ノラを家に入れることに疑問を投じたわけではありません。ましてや、ノラを保護する人たちの尊い行動を否定するものでは断じてありません。保護したノラとの接し方について書こうとしたのですが、誤解を招くような書き方をしてしまいました。翌日の補足記事も読んで頂けると幸いです。

コメント
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