あせりました。
いやあ本当にあせった、きのう自分が書いた記事を読んで。
どう読んでも、ノラのペット化反対、ノラを家に閉じ込めてペットにするのはやめましょう・・、みたいな内容になっちゃってる。
とんでもないです。
全国すべてのノラに素敵な里親が見つかってみんなが幸せになる、それが自分の最大の夢なのに、いったいこれは何なんだ。
あらためて自分の作文力のなさを痛感しました。
(しかもだらだら長いし。)
里親探しに頑張っている人や里親になろうと検討している人、本当に変なこと言っちゃってごめんなさい。
昨日の自分の本意はこうでした。
家にお迎えしたニャンコは、ペットなんかじゃなくて家族なんです。ニャンコと暮らしている人ならとっくにわかってることだよね。 だから、ペットという表現に抵抗を感じる。
でも、メディアはいつも「ペット」という言葉を使い、「ペット虐待」などと言って批判的な報道をしたりする。 ペットという言葉には「所有物」のイメージがあって、だから自分のものをどうしようと勝手だろうと、それこそ虐待する変質者を煽りかねないんです。
確かに人間は保護者だ。
保護者としての責任はあるけど、だからと言ってニャンコの上位にいるとは考えない。
持ちつ持たれつの切れないしがらみで繋がった、対等な家族なんです。
ニャンコはもの言わない。
でも注意深く行動を観察していれば伝わってきます。
そして気付いたことに必ず対応すれば、コミュニケーションだって十分にとれます。
そう、家庭内ノラで大いに結構。
自分の家なんだから、何をしても勝手。
でも、人間の子だってそうなように、最低限のしつけは大事。
ニャンコ派の人ならとっくにわかってる、ニャンコって本当に頭がいいからね。
だから、いつしかそう遠くない日に、ニャーが自分の判断でこの家を自分の住処と認めてくれる日が必ず来るはず。 それまでは、その情報収集活動になるべく協力してあげよう、と思ってるわけです。
家の外周探検に余念がないニャー
おかあさんもいるし、ニャーはこれをしたくて仕方ないんです
まだリードを使いこなすまでには至ってない
咄嗟の変則的な動きはに細心の注意が必要
いやあ本当にあせった、きのう自分が書いた記事を読んで。
どう読んでも、ノラのペット化反対、ノラを家に閉じ込めてペットにするのはやめましょう・・、みたいな内容になっちゃってる。
とんでもないです。
全国すべてのノラに素敵な里親が見つかってみんなが幸せになる、それが自分の最大の夢なのに、いったいこれは何なんだ。
あらためて自分の作文力のなさを痛感しました。
(しかもだらだら長いし。)
里親探しに頑張っている人や里親になろうと検討している人、本当に変なこと言っちゃってごめんなさい。
昨日の自分の本意はこうでした。
家にお迎えしたニャンコは、ペットなんかじゃなくて家族なんです。ニャンコと暮らしている人ならとっくにわかってることだよね。 だから、ペットという表現に抵抗を感じる。
でも、メディアはいつも「ペット」という言葉を使い、「ペット虐待」などと言って批判的な報道をしたりする。 ペットという言葉には「所有物」のイメージがあって、だから自分のものをどうしようと勝手だろうと、それこそ虐待する変質者を煽りかねないんです。
確かに人間は保護者だ。
保護者としての責任はあるけど、だからと言ってニャンコの上位にいるとは考えない。
持ちつ持たれつの切れないしがらみで繋がった、対等な家族なんです。
ニャンコはもの言わない。
でも注意深く行動を観察していれば伝わってきます。
そして気付いたことに必ず対応すれば、コミュニケーションだって十分にとれます。
そう、家庭内ノラで大いに結構。
自分の家なんだから、何をしても勝手。
でも、人間の子だってそうなように、最低限のしつけは大事。
ニャンコ派の人ならとっくにわかってる、ニャンコって本当に頭がいいからね。
だから、いつしかそう遠くない日に、ニャーが自分の判断でこの家を自分の住処と認めてくれる日が必ず来るはず。 それまでは、その情報収集活動になるべく協力してあげよう、と思ってるわけです。
家の外周探検に余念がないニャー
おかあさんもいるし、ニャーはこれをしたくて仕方ないんです
まだリードを使いこなすまでには至ってない
咄嗟の変則的な動きはに細心の注意が必要