今日9日も、朝から気温が上がり始めていて、真っ青とはいきませんが、晴れた日になっているこちら長野です。
その暑い中、遅い朝から小1時間ばかり庭の草刈りなどして、汗びっしょりになり、全部着替えで、これで夕方風呂に入るとまた着替えで、洗濯物がどんどん溜まるようになってしまいます。
最近、報道番組でも新型コロナの話題以外の情報発信も増えて来たような感じで、とてもいい流れかと思います。
でも、相変わらず第2波、第3波への警戒心は怠らず、3密を基本として、こちら地元でも防災無線放送で連日注意を呼び掛けています。
さて、今日の画像ですが、過去の2015年6月に撮りましたphoto stockから、「信州・東御市(とうみし)の海野宿(うんのじゅく)」の様子をご紹介させていただきます。
この「海野宿(うんのじゅく)」は、江戸時代に、日本橋から東海道五十三次の裏街道的な中山道の軽井沢地籍の追分宿から分かれて、越後方面の高田宿への道のりを北国街道と云うようになったようですが、その街道の一つの宿場町になっています。
北国街道は、追分宿~海野宿~上田宿~坂城宿~屋代宿~善光寺宿~越後・高田宿と、概略のルートですが、当時は、徳川幕府によって、善光寺さんへの参詣などの道として整備されたようで、また、佐渡の「金」を江戸に運ぶ道としても、重要視されていたようでした。
photo stock 1
photo stock 2
photo stock 3
photo stock 4
photo stock 5
photo stock 6
photo stock 7
と、5年前の6月に、こんな感じで撮って来ました。
この海野宿は、歴史的には、1625年(寛永2年)に江戸幕府によって設置されたようで、街並みは約650mあり、そこに本陣や脇本陣、問屋、旅籠が置かれたようでした。(WEBより)
ここへ撮影に行った当時は、単なる宿場町だと思い、気楽な感じで撮って来たもので、本陣や脇本陣などの址があったと思うのですが、その辺は撮り忘れたと思います。
この海野宿は、昨年の10月12~13日の台風19号で、ここへの道路の一部(海野宿橋)が崩落していて、現在は修復中のようです。
でも、上田市方面からでしたら、第二駐車場へクルマも停められて、ゆっくりとした雰囲気で、海野宿を景色を楽しみながら、散策出来るようです。
「うだつ」と云う防火壁も見れて、慣用句の「うだつが上がらない!」の語源が、どうしてこれから考えられるようになったのか、ご推理いただきたいと思います。
(お知らせ)
いつもこの拙いブログにお立ち寄りいただき、その上「コメント入れ」や、「いいね」「応援」「続き希望」「役立った」をボッチしていただきまして、ブロ友の皆様やgoo blogお仲間の皆さまには、誠に有難く厚く感謝申し上げます。
それで、当方の都合で甚だ恐縮ですが、しばらくの間、コメント欄を閉じさせていただくように決断致しました。また、理由は後日お話し申し上げますが、基本的には自分の眼に負担をかけられなくなったので、調子が上がって来ましたら、goo blogお仲間のブログへはお伺いさせていただこうと思っています。
何卒、その辺もご理解いただき、今後も交流をはかっていただければ幸いですので、宜しくお願い申し上げます。
その暑い中、遅い朝から小1時間ばかり庭の草刈りなどして、汗びっしょりになり、全部着替えで、これで夕方風呂に入るとまた着替えで、洗濯物がどんどん溜まるようになってしまいます。
最近、報道番組でも新型コロナの話題以外の情報発信も増えて来たような感じで、とてもいい流れかと思います。
でも、相変わらず第2波、第3波への警戒心は怠らず、3密を基本として、こちら地元でも防災無線放送で連日注意を呼び掛けています。
さて、今日の画像ですが、過去の2015年6月に撮りましたphoto stockから、「信州・東御市(とうみし)の海野宿(うんのじゅく)」の様子をご紹介させていただきます。
この「海野宿(うんのじゅく)」は、江戸時代に、日本橋から東海道五十三次の裏街道的な中山道の軽井沢地籍の追分宿から分かれて、越後方面の高田宿への道のりを北国街道と云うようになったようですが、その街道の一つの宿場町になっています。
北国街道は、追分宿~海野宿~上田宿~坂城宿~屋代宿~善光寺宿~越後・高田宿と、概略のルートですが、当時は、徳川幕府によって、善光寺さんへの参詣などの道として整備されたようで、また、佐渡の「金」を江戸に運ぶ道としても、重要視されていたようでした。
photo stock 1
photo stock 2
photo stock 3
photo stock 4
photo stock 5
photo stock 6
photo stock 7
と、5年前の6月に、こんな感じで撮って来ました。
この海野宿は、歴史的には、1625年(寛永2年)に江戸幕府によって設置されたようで、街並みは約650mあり、そこに本陣や脇本陣、問屋、旅籠が置かれたようでした。(WEBより)
ここへ撮影に行った当時は、単なる宿場町だと思い、気楽な感じで撮って来たもので、本陣や脇本陣などの址があったと思うのですが、その辺は撮り忘れたと思います。
この海野宿は、昨年の10月12~13日の台風19号で、ここへの道路の一部(海野宿橋)が崩落していて、現在は修復中のようです。
でも、上田市方面からでしたら、第二駐車場へクルマも停められて、ゆっくりとした雰囲気で、海野宿を景色を楽しみながら、散策出来るようです。
「うだつ」と云う防火壁も見れて、慣用句の「うだつが上がらない!」の語源が、どうしてこれから考えられるようになったのか、ご推理いただきたいと思います。
(お知らせ)
いつもこの拙いブログにお立ち寄りいただき、その上「コメント入れ」や、「いいね」「応援」「続き希望」「役立った」をボッチしていただきまして、ブロ友の皆様やgoo blogお仲間の皆さまには、誠に有難く厚く感謝申し上げます。
それで、当方の都合で甚だ恐縮ですが、しばらくの間、コメント欄を閉じさせていただくように決断致しました。また、理由は後日お話し申し上げますが、基本的には自分の眼に負担をかけられなくなったので、調子が上がって来ましたら、goo blogお仲間のブログへはお伺いさせていただこうと思っています。
何卒、その辺もご理解いただき、今後も交流をはかっていただければ幸いですので、宜しくお願い申し上げます。