スピーチコンテスト(独語・伊語)の思い出
「第3回ドイツ語スピーチコンテスト」(日独協会主催)に初挑戦で本選出場したのが2000年12月9日(土)(東京では今は開催せず、地方や大学のみ) その後イタリア語を学び2回目の挑戦で一次予選通過ならず この区切りに今までのスピーチコンテストにまつわる思い出をまとめてみました:
ドイツ語は 1989年11月9日のベルリンの壁崩壊直後にドイツの人々と連携して日本で始めた あるボランティア活動について語り 初挑戦にて本選出場 原稿提出が早かったためトップバッターで 浜離宮朝日小ホールで慣れないスポットライトを浴びて緊張し足が震えました(笑) 直前に子供が入院してしまい 実家にお願いしての出場で夫が付き添ってくれました この時優勝したのがなんと小学生! 傍には両親とドイツ人家庭教師がびたりと寄り添っていました
翌年の特別賞(朝日新聞社賞)は同年代の主婦 ママさんバレーのユニフォームを着てボールをポンポンついてからスピーチを始めるパフォーマンスはマジメな私には衝撃でした(笑) またある年優勝した大学生のテーマはなんと 連続殺人事件報道におけるマスコミの功罪という硬派のテーマ 内容が申し分なくドイツ語も完璧との評
また2003年の第6回では 私がかつて携わったボランティア活動がきっかけでドイツに留学したという大学生が出場し 終了後にOAGホールの客席で運命の出会いがありました(その当時彼女はまだ小学生) 彼女は私のことをずっと探していたそうで 当時ネットもなくまさに劇的な出会いで忘れられません...
次に始めたイタリア語では シチリアで出会ったマフィアに親切にしてもらった話 ヴェネツィアの運河に落ちた話 また日独伊の老人ホームを比較したスピーチが入選し秀逸でした
イタリアとは直接関係のないテーマでも素晴らしいものがあり ある大学生が100才の祖父との交流を語り 会場最後列にはその祖父ご自身がいらして 皆さんから拍手で迎えられていました その翌年にはその祖父の死去をスピーチした彼は万感の思いをこめ 聞いていて涙が… スピーチの陰には様々なドラマがあるものです
2010年の第20回イタリア語スピーチコンテストでは 例年になく中堅・シニア世代が約半数参加 原稿量が多いためかイタリア人より早口の方もいて 日本の竹をイタリアに紹介する話をした大学生が一位 またイタリア語で落語を披露された方もあり 会場が笑いで包まれました
緻密な構成と論理的な内容で完璧にまとめたものがよいのか 表現力で勝負するのがよいのか イタリアの話をするのかそれ以外のテーマでよいのか あるいはひたすらイタリアへの熱き思いを語るのか イタリアの負の面と日本のそれを冷静に比較するのがよいのか スピーチの分量も短すぎず長すぎず(時間制限は5分) またもし緊張のあまり文章をド忘れしたらどうするか(ドイツ語は原稿なし イタリア語は原稿あり) これは人前で何度もスピーチをしてとにかく場数を踏むことで (演奏や歌もそうですが 自分だけで鏡の前で練習していてはダメです) 録音するのもよいですね
また年を取るとあちこちに遠慮して当たり障りのない内容になりがちで 物おじせずに意見を言えるのは若さの特権ではないかと思います 中堅・シニア世代の方も 深い考察や専門分野についての紹介等 味わいのあるスピーチが多く またモチベーションもとても大切な要素ですね
質疑応答も重要なポイントで 原稿をどうにか覚えても 質疑応答で聞き取りができないとアウトで そのためにもどんな質問が来るか 一度会場に足を運んでみるとよいかもしれません まずは質問の内容が聞き取れるか そしてそれにちゃんと答えられるかも大切ですね
ドイツ語の時は原稿提出順でしたがイタリア語は当日くじ引きです さっさと自分のスピーチを終えて他の人のをゆっくりと聞きたいので あとの順番になるとヘビの生殺しのようでイヤですね~(;^_^A
出場者は年代も職業も内容も様々ですが 検定試験等と違い ただ点数を取って合格できるものではなく それこそフィギュアスケートのように 表現力や演技力 説得力ある内容 そして将来性や態度まで 総合的に判断されるのではないかと感じています
* * *
今回私は昨年の一次落選直後から次の原稿を作成し 準備が早すぎたためか(1,2カ月では集中暗記できないと思いまして) 反対にそれに縛られてしまい内容を大きく組み変えたり掘り下げるのに足かせとなりました
でもスピーチコンテストのこの日 一年がかりで作成し暗記したスピーチを友人たちの前で本番さながらの迫力で発表させていただき この一年間の努力に対して出場は叶わなかったものの一区切りをつけることができました 今まで助けてくださった多くの方々に心から感謝いたしますm(_ _)m
病院の待合室ではいつも原稿を手に暗記し キッチンタイマー片手に5分で納めるよう必死で練習 イタリア人たちに聞いてもらった時は イタリアでのエピソードがウケてゲラゲラ笑ってくれたり(^^ゞ これでいつでもどこでも余興としてこのスピーチを披露でき 私にとってはひとつの大きな財産になりました 挑戦してよかった! 年齢がいってくるとなかなか真剣に純粋に物事に取り組むことができなくなってくるので とてもいい機会でした
ともあれ義母もいよいよ高齢になり ここでひとまずお休みして力をためることに致します 長い文を読んで頂き有難うございましたm(_ _)m
「第3回ドイツ語スピーチコンテスト」(日独協会主催)に初挑戦で本選出場したのが2000年12月9日(土)(東京では今は開催せず、地方や大学のみ) その後イタリア語を学び2回目の挑戦で一次予選通過ならず この区切りに今までのスピーチコンテストにまつわる思い出をまとめてみました:
ドイツ語は 1989年11月9日のベルリンの壁崩壊直後にドイツの人々と連携して日本で始めた あるボランティア活動について語り 初挑戦にて本選出場 原稿提出が早かったためトップバッターで 浜離宮朝日小ホールで慣れないスポットライトを浴びて緊張し足が震えました(笑) 直前に子供が入院してしまい 実家にお願いしての出場で夫が付き添ってくれました この時優勝したのがなんと小学生! 傍には両親とドイツ人家庭教師がびたりと寄り添っていました
翌年の特別賞(朝日新聞社賞)は同年代の主婦 ママさんバレーのユニフォームを着てボールをポンポンついてからスピーチを始めるパフォーマンスはマジメな私には衝撃でした(笑) またある年優勝した大学生のテーマはなんと 連続殺人事件報道におけるマスコミの功罪という硬派のテーマ 内容が申し分なくドイツ語も完璧との評
また2003年の第6回では 私がかつて携わったボランティア活動がきっかけでドイツに留学したという大学生が出場し 終了後にOAGホールの客席で運命の出会いがありました(その当時彼女はまだ小学生) 彼女は私のことをずっと探していたそうで 当時ネットもなくまさに劇的な出会いで忘れられません...
次に始めたイタリア語では シチリアで出会ったマフィアに親切にしてもらった話 ヴェネツィアの運河に落ちた話 また日独伊の老人ホームを比較したスピーチが入選し秀逸でした
イタリアとは直接関係のないテーマでも素晴らしいものがあり ある大学生が100才の祖父との交流を語り 会場最後列にはその祖父ご自身がいらして 皆さんから拍手で迎えられていました その翌年にはその祖父の死去をスピーチした彼は万感の思いをこめ 聞いていて涙が… スピーチの陰には様々なドラマがあるものです
2010年の第20回イタリア語スピーチコンテストでは 例年になく中堅・シニア世代が約半数参加 原稿量が多いためかイタリア人より早口の方もいて 日本の竹をイタリアに紹介する話をした大学生が一位 またイタリア語で落語を披露された方もあり 会場が笑いで包まれました
緻密な構成と論理的な内容で完璧にまとめたものがよいのか 表現力で勝負するのがよいのか イタリアの話をするのかそれ以外のテーマでよいのか あるいはひたすらイタリアへの熱き思いを語るのか イタリアの負の面と日本のそれを冷静に比較するのがよいのか スピーチの分量も短すぎず長すぎず(時間制限は5分) またもし緊張のあまり文章をド忘れしたらどうするか(ドイツ語は原稿なし イタリア語は原稿あり) これは人前で何度もスピーチをしてとにかく場数を踏むことで (演奏や歌もそうですが 自分だけで鏡の前で練習していてはダメです) 録音するのもよいですね
また年を取るとあちこちに遠慮して当たり障りのない内容になりがちで 物おじせずに意見を言えるのは若さの特権ではないかと思います 中堅・シニア世代の方も 深い考察や専門分野についての紹介等 味わいのあるスピーチが多く またモチベーションもとても大切な要素ですね
質疑応答も重要なポイントで 原稿をどうにか覚えても 質疑応答で聞き取りができないとアウトで そのためにもどんな質問が来るか 一度会場に足を運んでみるとよいかもしれません まずは質問の内容が聞き取れるか そしてそれにちゃんと答えられるかも大切ですね
ドイツ語の時は原稿提出順でしたがイタリア語は当日くじ引きです さっさと自分のスピーチを終えて他の人のをゆっくりと聞きたいので あとの順番になるとヘビの生殺しのようでイヤですね~(;^_^A
出場者は年代も職業も内容も様々ですが 検定試験等と違い ただ点数を取って合格できるものではなく それこそフィギュアスケートのように 表現力や演技力 説得力ある内容 そして将来性や態度まで 総合的に判断されるのではないかと感じています
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今回私は昨年の一次落選直後から次の原稿を作成し 準備が早すぎたためか(1,2カ月では集中暗記できないと思いまして) 反対にそれに縛られてしまい内容を大きく組み変えたり掘り下げるのに足かせとなりました
でもスピーチコンテストのこの日 一年がかりで作成し暗記したスピーチを友人たちの前で本番さながらの迫力で発表させていただき この一年間の努力に対して出場は叶わなかったものの一区切りをつけることができました 今まで助けてくださった多くの方々に心から感謝いたしますm(_ _)m
病院の待合室ではいつも原稿を手に暗記し キッチンタイマー片手に5分で納めるよう必死で練習 イタリア人たちに聞いてもらった時は イタリアでのエピソードがウケてゲラゲラ笑ってくれたり(^^ゞ これでいつでもどこでも余興としてこのスピーチを披露でき 私にとってはひとつの大きな財産になりました 挑戦してよかった! 年齢がいってくるとなかなか真剣に純粋に物事に取り組むことができなくなってくるので とてもいい機会でした
ともあれ義母もいよいよ高齢になり ここでひとまずお休みして力をためることに致します 長い文を読んで頂き有難うございましたm(_ _)m