映画上映会『ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿(Teatro alla Scala: Il tempio delle meraviglie )』に行きました(2019.10.22)@イタリア文化会館
ミラノ・スカラ座(Teatro alla Scala)
18世紀に誕生して以降 音楽史に残る偉人たちを輩出し続け オペラの最高峰とされる ミラノ・スカラ座(La Scalla) その全貌に迫ったドキュメンタリーです
マリア・カラス ルキノ・ヴィスコンティをはじめとする偉大なアーティストたちに加え リッカルド・ムーティ プラシド・ドミンゴ ロベルト・ボッレなど スカラ座とゆかりのある多くの著名人のインタビューやアーカイブ映像で綴られ スカラ座240年の歴史を多角的に紐解いてゆきます
12月7日 聖アンブロジウスの日(ミラノの守護聖人)は ミラノ・スカラ座の幕開け シーズンの始まる日
ワーグナー カラス アバド...多くの人がこの舞台に立った 他の舞台とは違うスカラ座(公国立スカラ新劇場(Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala)の舞台
1776年の火事 初代の歴史的建築物テアトロ・ドゥカーレ(Teatro Ducale)は消失した
裕福な90人のミラノ市民が オーストリア大公フェルディナントに新しい劇場の建設を依頼し 以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設された マリア・テレジアに跡地を使う許可を得たという
1842年 ヴェルディのナブッコ 初演
第3幕での合唱「行け 我が想いよ 黄金の翼に乗って(Va, pensiero)」は 今日のイタリアにおいて国歌並みに あるいはそれ以上に有名な旋律となった
エジソンとの出会い 初めて照明がすべて電気で照らされたのが1883年のこと 2880個のランプが配置されたという
最初は油のランプ その後ガス灯に替わり 1883年には電灯に交換された
1901年 ヴェルディの死に ミラノの街が泣いた
国葬の前に ミラノ市民はヴェルディとの別れをすませたのだ
ヴェルディのあとに来たのが プッチーニ トスカニーニの2人だ
台本作家の嘆き 成功しても自分の手柄ではなく 同じギャラで何度も書き直させられたと...
プッチーニの評価は彼の死後だった トスカニーニが「トゥーランドット」を評価した
1926年初演 プッチーニは天国にいたので自身の再評価を知らない
トスカニーニがスカラ座を改革し ワーグナーが登場
1946年5月 第二次大戦後に再建されたスカラ座 なによりもまずスカラ座を!とのミラノ市民たち
マリア・カラスの衣装係は 衣装のせいもあり彼女は美しく見えたとの言葉
「椿姫」では ハイヒールを脱いで客席に投げるという演出
そしてパヴァロッティ 世界で一番美しい声と評される 若い頃のパヴァロッティの声...
1963年 プラシド・ドミンゴがスカラ座に呼ばれた
そして続くダンサーやバレリーナの物語 ヌレエフ登場
1813年にできたバレエ学校がスカラ座アカデミー(Accademia Teatro alla Scala)へと続く
1981年9月に 「オテロ」が東京公演 20年かけて招致した日本人がいた C.アバド
そしてまた12月7日が来る それは毎年違う12月7日であり ミラノ・スカラ座は 今も進化し続けている...
開催のお知らせは こちら
映画は こちら
素晴らしい上映会を開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます
映画(全般)ランキング
にほんブログ村
ミラノ・スカラ座(Teatro alla Scala)
18世紀に誕生して以降 音楽史に残る偉人たちを輩出し続け オペラの最高峰とされる ミラノ・スカラ座(La Scalla) その全貌に迫ったドキュメンタリーです
マリア・カラス ルキノ・ヴィスコンティをはじめとする偉大なアーティストたちに加え リッカルド・ムーティ プラシド・ドミンゴ ロベルト・ボッレなど スカラ座とゆかりのある多くの著名人のインタビューやアーカイブ映像で綴られ スカラ座240年の歴史を多角的に紐解いてゆきます
12月7日 聖アンブロジウスの日(ミラノの守護聖人)は ミラノ・スカラ座の幕開け シーズンの始まる日
ワーグナー カラス アバド...多くの人がこの舞台に立った 他の舞台とは違うスカラ座(公国立スカラ新劇場(Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala)の舞台
1776年の火事 初代の歴史的建築物テアトロ・ドゥカーレ(Teatro Ducale)は消失した
裕福な90人のミラノ市民が オーストリア大公フェルディナントに新しい劇場の建設を依頼し 以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設された マリア・テレジアに跡地を使う許可を得たという
1842年 ヴェルディのナブッコ 初演
第3幕での合唱「行け 我が想いよ 黄金の翼に乗って(Va, pensiero)」は 今日のイタリアにおいて国歌並みに あるいはそれ以上に有名な旋律となった
エジソンとの出会い 初めて照明がすべて電気で照らされたのが1883年のこと 2880個のランプが配置されたという
最初は油のランプ その後ガス灯に替わり 1883年には電灯に交換された
1901年 ヴェルディの死に ミラノの街が泣いた
国葬の前に ミラノ市民はヴェルディとの別れをすませたのだ
ヴェルディのあとに来たのが プッチーニ トスカニーニの2人だ
台本作家の嘆き 成功しても自分の手柄ではなく 同じギャラで何度も書き直させられたと...
プッチーニの評価は彼の死後だった トスカニーニが「トゥーランドット」を評価した
1926年初演 プッチーニは天国にいたので自身の再評価を知らない
トスカニーニがスカラ座を改革し ワーグナーが登場
1946年5月 第二次大戦後に再建されたスカラ座 なによりもまずスカラ座を!とのミラノ市民たち
マリア・カラスの衣装係は 衣装のせいもあり彼女は美しく見えたとの言葉
「椿姫」では ハイヒールを脱いで客席に投げるという演出
そしてパヴァロッティ 世界で一番美しい声と評される 若い頃のパヴァロッティの声...
1963年 プラシド・ドミンゴがスカラ座に呼ばれた
そして続くダンサーやバレリーナの物語 ヌレエフ登場
1813年にできたバレエ学校がスカラ座アカデミー(Accademia Teatro alla Scala)へと続く
1981年9月に 「オテロ」が東京公演 20年かけて招致した日本人がいた C.アバド
そしてまた12月7日が来る それは毎年違う12月7日であり ミラノ・スカラ座は 今も進化し続けている...
開催のお知らせは こちら
映画は こちら
素晴らしい上映会を開催してくださいましたイタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます
映画(全般)ランキング
にほんブログ村