お米屋さんからの投稿で、以下のようなものがあった。
【お米は加工食品ではありません】
先日、テレビを見ていると「お米マイスター」なる人物が登場してきた。その人物曰く「お米はブレンドしたら美味しくなる。今年はこのブレンドがお勧めです」と語っていた。
資格を作るのは自由だし、その資格に文句を言うつもり全くないが、なぜそんないい加減なことを言うのかという違和感しか起きなかった。
お米は1年草で、去年が美味しくても、今年も美味しという保証はない。また、仮にある県のコシヒカリでもその県内すべてのコシヒカリが同じ品質、食味ということはありえない。また、同じ村の田んぼでもほんの少しの位置がずれることにより、同じ品種でも違う品質のお米になる。
理由は、お米は農産物で自然の気候風土の影響を受けるからです。先のコシヒカリでも海岸寄り、市街地、山間部の各たんぼでは食味だけでなく品質も変わる。厳密に言えば田んぼごとに品質が違う。
だが、産地指定して仕入れできる米はせいぜい農協単位での指定しかできない。どんな田んぼで作られたかわからないお米を使っても1+1=2のブレンドになるなど単純に決められるわけがないのです。
我々も入荷する度にその袋ごとの試食を毎回してからブレンド特性をテストしてからでないと怖くて使いませんでした。さもないと、1+1が-10になることも頻繁に起きます。その為に、同じ産地、農協のお米でも試食して品質を確認してから使うのが常識なのです。
マイスター試験がどんなものかは知りませんが、根本的にお米が農産物であるという認識が欠落しているマイスター氏の発言で一番迷惑するのはそのブレンドを鵜呑みして食べる購買者さんです。
まず、お米は加工食品でなく農産物で、毎回品質は変化するもので、同じ品種、場所のお米でも全く同じものはできないことを理解して、自分に美味しいお米を見つけて欲しいものです。
農林業コンサルタント・フリーライター 岸田 稔
というもの。
これを読んで自分は、以下のように感じた。
ブレンドについての話は、この頃あまりしていないから、多分自分ではないだろうと思うのだが、もし自分に対して言っているのであるのなら、言っていることは判るし正論であると言っておくが、「だから何?何が言いたいの?」という感じ。
誰々さんの、この水田のお米というものであれば、その人だけのお米というのであれば、言うのは簡単。
しかし、実際に流通しているお米の多くは、カントリーの段階で、既にブレンドされている。
ブレンドされていることによって、出来の悪いお米が、カバーされているという現実もある。
内容から推測すると、どんな番組だったのかは判らないとしても、多分、飲食店への情報発信ではなく、消費者に対しての情報発信だったのだろうと思う。
お米の消費量が伸びないのだから、お米は既に主食であるとは言えないだろう。
また、地域によっては、昔からブレンド文化がある所もある。
不作で出来の悪いお米を、最後まで美味しく食べてもらうためにも、ブレンドという技術もある。
たとえば「粘るお米を買ってしまって、自分の好みに合わなかった。それを粘りを抑えた自分の好みに直して食べる」というものブレンドである。
家にある古くなったお米を、新米を混ぜたりして、少しでも美味しく食べきってもらうための方法も、ブレンドである。
もしも、こういう情報を言っていたというのなら、「いい加減」というのは可笑しな話となるし、どうして「いい加減」言えるのだろうか。
確かに「これが絶対に美味しいという事は言えない」。
それは単一銘柄米でも、ブレンド米でも同じこと。
さらに、年によっても、気候によっても、地域によっても、生産者によっても、田んぼによっても異なる。
そして、消費者の好みという、どうにもならない部分もある。
そんなことは100も承知のことだ。
お米の美味しさの感じ方は、100人100通り。
分析したからデータを弾いたからといっても、100人が100人美味しいとは言うはずもない。
いい例が「魚沼産」の評価であろう。
味の薄い産地もある。
柔らかさばかりが目立つ産地もある。
硬くしか炊けない産地もある。
モチモチすぎる産地もある。
元々出来の悪い産地や出来の悪い品種は、なら、切り捨ててしまえばよいのか。
その産地の将来は考えなくてよいのか。
そんな権限は米屋ごときには無いし、マイスターにもない。
マイスターは、自分は、全ての産地が明るくなることを考えている。
だから、お米についても、ブレンドについても、厳密にガチガチに考えていない。
お米を食べなくなった消費者に、少しでもお米に関心を持ってもらうために、消費者の遊び心を取り入れて、お米に興味を持ってもらって、もっとお米を楽しく食べてもらいたい。
色々可能性を知ってもらいたいと思う事は、ダメな事なのだろうか。
それも許されないというのなら、もうお米の情報発信なんて、しない方が良いし、もう出来ない。
「コシヒカリ」も「ゆめぴりか」も「つや姫」も、個性だの、美味しさだの、特徴だのという面倒くさいことを言わずに、だたの日本の米として考えればよいだけ。
しかし、情報発信しなければ、お米の可能性を知ってもらえなければ、お米業界は外国産米に呑み込まれていくだけだろう。
と、アホな自分は思うのだが。
心底、ガッカリとした記事に出会ってしまった。
提供してくれたお米屋さんには、本当に感謝する。
自分の中のモヤモヤも無くなったし、気分も楽になった。