一時期は自分の店の看板商品にまでなっていた某産地があるのだが、この数年間、自分の納得いく対応がしてもらえずに、悔しい思いをし続けている。
自分が納得出来ていないのであれば、当然売り上げも落ち込んでいってしまうのは当たり前のこと。
よって、取り扱っている某産地の、全銘柄米の売り上げは、毎年落ち続けてしまっていて、酷い落ち込みの銘柄米については、全盛期の半分以下となってしまっている。
だからこそ、何度も何度も産地に対して、消費地で販売していくための注意点や、消費地の考え方、ブランド化していくための問題点、産地が実行しなければならないことなどについて、事あるごとに細かく注文をつけていて、少し前も、玄米品質が落ちてきていることから、消費地で売っていくために必要な品質として、実際にサンプルまでも作って渡して、産地で検討してもらったはずなのだ。
なのに、今回入荷してきたお米の品質は、自分の努力や思いは一切無視されてしまったようで、今までと何一つも変わっていなかった。
天候不順が続いているため、なかなか思ったようなお米が出来ないのは十分に分かっている。
しかし、だからと言って、甘えて良い部分と悪い部分は絶対にある。
お米の出来が悪くても、玄米の選別を丁寧に実行することで、品質を修正することは、いくらでも出来る。
修正できるからこそ、実際にサンプルまでも作って、産地に渡したのだ。
全ては、やる気持ちが、有るのか無いのかなのだ。
正直言って、今回入荷してきたお米の品質については、心底ガッカリさせられてしまったと共に、無性に虚しくなってしまって、「もう、取り扱わなくていいや、売らなくてもいいや」という、絶対に考えてはいけない事として、心の中で一線を引いて止めてあった思いが、ついに吹き出してしまった。
自分の「ブランド米産地として伸びていってほしい」という思いは、どうしても産地には届かないようだ。
こんな気持ちになりたくなかったからこそ、産地に色々と注意をし続けて、何度も何度も警告を発信していたのだが、産地には理解してもらえなかったようだ。
自分と一緒に、産地のブラント化を始めた、最初の担当者は言っていた。
「もともとゼロだったのだから、失敗したとしてもゼロに戻るだけ。だから、なんでも恐れずに出来る。やったことは全てプラスになるのだから」
この言葉が、この言葉の意味が、今の産地に人たちには、シッカリと理解できるのだろうか。
一時期は自分の店の看板商品にまでなっていた某産地のお米が、今、確実にゼロになろうとしているのだ。
消費地の一人一人の食べる量は決まっている。
1つの産地が消費地から消えれば、その分だけ、生き残りたいと必死になっている産地の、生き残れ可能性が、若干だが増えるのだ。
だから毎日、その一人の食べる量を奪い取るために、全ての産地が戦い続けているのだ。
よって、産地が努力をしないというのであれば、この戦いから、自ら尻尾を巻いて逃げることと同じ。
そして、逃げる産地を、いつまでも支えるほど、自分は暇ではないし、お人好しでもない。
自分の力を必要としている産地が、まだまだ沢山待っている。
その中で、自分の声を聞いてくれる産地を選んで、移る時が来たのかもしれないな。
自分が納得出来ていないのであれば、当然売り上げも落ち込んでいってしまうのは当たり前のこと。
よって、取り扱っている某産地の、全銘柄米の売り上げは、毎年落ち続けてしまっていて、酷い落ち込みの銘柄米については、全盛期の半分以下となってしまっている。
だからこそ、何度も何度も産地に対して、消費地で販売していくための注意点や、消費地の考え方、ブランド化していくための問題点、産地が実行しなければならないことなどについて、事あるごとに細かく注文をつけていて、少し前も、玄米品質が落ちてきていることから、消費地で売っていくために必要な品質として、実際にサンプルまでも作って渡して、産地で検討してもらったはずなのだ。
なのに、今回入荷してきたお米の品質は、自分の努力や思いは一切無視されてしまったようで、今までと何一つも変わっていなかった。
天候不順が続いているため、なかなか思ったようなお米が出来ないのは十分に分かっている。
しかし、だからと言って、甘えて良い部分と悪い部分は絶対にある。
お米の出来が悪くても、玄米の選別を丁寧に実行することで、品質を修正することは、いくらでも出来る。
修正できるからこそ、実際にサンプルまでも作って、産地に渡したのだ。
全ては、やる気持ちが、有るのか無いのかなのだ。
正直言って、今回入荷してきたお米の品質については、心底ガッカリさせられてしまったと共に、無性に虚しくなってしまって、「もう、取り扱わなくていいや、売らなくてもいいや」という、絶対に考えてはいけない事として、心の中で一線を引いて止めてあった思いが、ついに吹き出してしまった。
自分の「ブランド米産地として伸びていってほしい」という思いは、どうしても産地には届かないようだ。
こんな気持ちになりたくなかったからこそ、産地に色々と注意をし続けて、何度も何度も警告を発信していたのだが、産地には理解してもらえなかったようだ。
自分と一緒に、産地のブラント化を始めた、最初の担当者は言っていた。
「もともとゼロだったのだから、失敗したとしてもゼロに戻るだけ。だから、なんでも恐れずに出来る。やったことは全てプラスになるのだから」
この言葉が、この言葉の意味が、今の産地に人たちには、シッカリと理解できるのだろうか。
一時期は自分の店の看板商品にまでなっていた某産地のお米が、今、確実にゼロになろうとしているのだ。
消費地の一人一人の食べる量は決まっている。
1つの産地が消費地から消えれば、その分だけ、生き残りたいと必死になっている産地の、生き残れ可能性が、若干だが増えるのだ。
だから毎日、その一人の食べる量を奪い取るために、全ての産地が戦い続けているのだ。
よって、産地が努力をしないというのであれば、この戦いから、自ら尻尾を巻いて逃げることと同じ。
そして、逃げる産地を、いつまでも支えるほど、自分は暇ではないし、お人好しでもない。
自分の力を必要としている産地が、まだまだ沢山待っている。
その中で、自分の声を聞いてくれる産地を選んで、移る時が来たのかもしれないな。