5月9日(土)は山行グループ(女性2人、男性4人)で湘南アルプスに行ってきました。
今年2月に「湘南アルプス」で行っているので、個人的には湘南平で富士山を見て帰りに大磯港で美味しいお刺身を食べるリベンジになりました。
山行ルートは次の通りですが、後半の大磯城山公園~が2月と違います。
大磯駅-高田公園-湘南平-浅間山-高麗山-高来神社-大磯城山公園(旧吉田茂邸地区)-大磯港-大磯駅
<大磯駅前>
大磯駅の集合時間(10時30分)に早く着き過ぎたので駅前を散策してみました。
駅前ロータリーにモニュメント「大樹」があったので行ってみました。
近くに、「海内第一避暑地の碑」があって、大磯が明治41年日本新聞社実施の全国避暑地百選の投票で第一位になったと出ていました。
未だ時間があったので、景観重要建造物の大磯駅前洋館(旧木下家別邸)にも行ってみました。
この洋館はフランス料理レストラン「 ドゥゼアン」になっていますが、今日は貸切の案内が出ていました。
アプローチの両脇にご覧のような可愛らしい花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
⇒ 後で調べたら、この花はフレンチラベンダーでした。
<妙大寺(みょうだいじ)>
大磯駅前の戻ると、皆さん集まっていたので出発することにしました。
大磯小学校前のガードをくぐって暫く歩くと、右側に「妙大寺」がありました。
拝殿で山行の無事をお祈りした後、松本順の墓所があったので行ってみました。
「松本順先生の墓誌」には、『徳川将軍家の御殿医で、明治維新に初代陸軍軍医総監となり、大磯で日本最初の海水浴場を認定・紹介した人物。』とありました。
又、墓誌の上部には、松本家の家紋「対い波」(むかいなみ)が付いていました。
⇒ 珍しい家紋ですね!
「妙大寺」を後に、急な坂道を登って「高田公園」に向かいます。
坂道の途中にご覧のような素晴らしい花が咲いていたので小休止を兼ねて撮ってみました。
<高田公園(たかだこうえん)>
急な坂道から石段を昇ると「高田公園」が見えてきました。公園の藤棚には見事な藤が咲いていました。
当然、見事な藤をアップで撮ってみましたが、曇っていたので眼下の眺望は良くありませんでした。
小休止をして「湘南平」に向かいましたが、途中、木々が生い茂っていて目印のテレビ塔は殆ど見えませんでした。
<湘南平(しょうなんだいら)>
「湘南平」に着きましたが、今日はご覧のように人出は多くありませんでした。
近くに藤棚(ここの藤は殆ど散っていました)のベンチがあったので、早目の昼食を摂ることになりました。
下の公園にご覧のような巨木があったので撮ってみました。
昼食も食べたので、取り敢えず展望台に行ってみることにしました。
尚、「湘南平」の標高181mですが、一番上の展望デッキ3は194.2mのところにあります。
曇っていて富士山は見えなかったのですが、美味しいお刺身が食べられそうな大磯港が見えたのでアップで撮ってみました。
遠くに霞んでいますが、江ノ島(左上)も見えたのでアップで撮ってみました。
又、運良く新幹線が見えたので、こちらもアップで撮ってみました。
展望台を後に、テレビ塔に向かうことにしました。
これから昇るテレビ塔もアップで撮ってみましたが、白いデッキ部分までは昇ることが出来ますが、このデッキにはメッシュフェンスがあって南京錠が沢山掛けてあるので見晴は良くありません。
展望台の下に降りると、素晴らしいツツジが咲いていたので撮ってみました。
又、近くにサクランボとビアが生っていたのでアップで撮ってみました。
テレビ塔の朱色デッキから白い花(?)を付けたご覧のような木が見えたのでアップで撮ってみました。
度アップでも撮ってみましたが、腕が悪いのか上手く撮れていませんでした。
テレビ塔を後に、次の「浅間山」に向かいました。
<浅間山(せんげんやま)>
標高181.3mの「浅間山」に着いたので、浅間神社にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
「浅間山」はやや湿っているのか(?)シャガの群生がかなりありました。
一輪だけ素晴らしいシャガが咲いていたので度アップで撮ってみました。
「浅間山」を後に「高麗山」に向かいました。
「高麗山」に行く途中にご覧のような芽(?)を付けた木があったのでアップで撮ってみました。
⇒ たぶん、椨の木 (たぶのき)かも知れませんね!?
<八俵山(はっぴょうやま)>
「浅間山」から山道を5~6分歩くと、ご覧のような道標がありました。
2月に来た時も「八俵山」には気が付きませんでした。
「高麗山県民の森案内図」で現在地を確認すると確かに「八俵山」は載っていました。
「高麗山県民の森案内図」から暫く歩くとご覧のような「八俵山 標高160m」の案内板がありました。
案内板には、『八俵山・大堂・東天照の高麗山の三峰のうち、最も西側に位置する峰で、”八俵”は仏教用語の八表(隅の意味)から転じたと考えられます。古くは毘沙門堂がここに建てられていた、と記録されています。』と書いてありました。
⇒ 山ではなく峰だったのですね! ⇒ でも何故、山と付けたのでしょうね?
<高麗山(こまやま)>
標高167.3mの「高麗山」に着きました。
右側の小さな祠の他に、左の方にも何か祀ってありました。
近くに行ってみると、しめ縄が張ってあって何か神聖な物らしいのですが・・・
「高麗山」にあまり長居をしても仕方ないので、次の「高来神社」に向かうことにしました。
<男坂>
「高来神社」に行くには「女坂」か「男坂」を下ります。
2月に来た時は「女坂」を下ったので、今回は私だけ「男坂」に挑戦してみました。
取り敢えず、下り始めの山道を撮ってみましたが、かなり急な山道みたいです。
なだらかな山道も若干ありますが、急こう配の山道が続くので注意しながら山道を下ります。
途中で登って来る人に出合ったのですが、息せき切っていたので登りは大分しんどそうです。
<高来神社(たかくじんじゃ)>
無事、「高来神社」に着いて他の5人と合流出来たので、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
扁額も撮ってみたのですが、判読出来ませんでした。
境内に「忠魂碑」があって、その手前に「大磯町指定史跡名勝天然記念物シイニッケイ」の案内板がありました。
案内板には、『スダジイとヤブニッケイの二種が一本化した樹木で、幹の心材が腐食し、頭上部が凹状になったスダジイの古木にヤブニッケイが根付き成長した結果、現在のような樹形になったと考えられています。』とありました。
⇒ スダジイとヤブニッケイが合体してシイニッケイとは、滑稽(コッケイ)ですね!
二の鳥居まで下って来ると左側に「慶覚院」の仁王門がありました。
仁王門には「木造仁王立像」があって、2月に来た時は上手く撮れなかったので再挑戦してみました。
⇒ 「木造仁王立像」は隙間からガラス越しに撮ったので、やはり上手く撮れていませんでした。
「高来神社」一の鳥居を後に、次の「大磯城山公園」に向かいます。
ところで、「高麗山」の麓にある神社なので「高麗(こま)神社」の方が相応しいと思うのですが、何故、「高来(たかく)神社」にしたのでしょうね!?
<国道1号線>
国道1号線を渡らないでそのまま大磯・小田原方面に向かって歩きます。
暫く歩くと右側に「虚空蔵尊」と刻まれた石柱が建っている小さな祠がありました。
又、傍に、『此辺大磯宿の史跡』の解説板があって、往時の様子を描いた絵も載っていたのですが、掠れていて上手く撮れませんでした。
道なりに10分位歩くと、今度は『此辺大磯宿の史跡「化粧(けわい)坂の一里塚」』の解説板がありました。
解説板に出てていた「化粧坂」を振り返って撮ってみました。
この道路は国道1号線の山側にある旧道で道幅も広く、適当な木蔭もあって歩き易かったです。
「化粧坂」を上り切ると、東海道線の下をくぐる「竹縄架道橋」がありました。
「竹縄架道橋」をくぐると今度はご覧のような松並木になりますが、大きな松は殆ど傾いていました。
この道の左側には飲食店が数軒あったのですが、全て閉まっていて休憩も出来ませんでした。
⇒ これは大磯駅前の観光案内所で聞いた話ですが、昼間からぶっ通しで遣っている食事処はなく、中休み(14時~)の後は17時から再開する店が殆どみたいです。
国道1号線と合流する「三沢橋東側」に遣ってきました。左側が我々が歩いて来た道で右側が国道1号線です。
ここからは国道1号線沿いを歩いて「大磯城山公園」に向かいますが、40~50分は掛かりそうです。
歩いていると「そば処」の外壁に面白い絵が描いてあったので撮ってみました。
又、国道1号線の所々に『此辺大磯宿の史跡』の解説板もありました。
<鴨立庵(しぎたつあん)>
国道1号線を30分程歩くと、反対側に「鴨立庵」があったので休憩も兼ねて入ってみました。
「鴨立庵」は大磯駅前洋館と同様に景観重要建造物に指定されていました。
ご覧のような門から入って右側で入場料100円を払います。
「鴨立庵」の濡れ縁で一休みしてから庭園を散策してみました。
庭園のいたる所に世庵主の句碑や墓碑がありました。
又、五智如来(釈迦、阿弥陀、大日、薬師、宝生)も祀ってありました。
芭蕉句碑もあったのですが、何と書いてあるのか読めませんでした。
どうやら「鴨立庵」は、墓碑、句碑、記念碑などが祀られているようです。
「鴨立庵」を後に国道1号線で戻ると、右側にご覧のような人形が座っていたのでビックリしました。
ここはギャラリー「ぶたのしっぽ」で、「斎藤泉&久保田直子二人展」を遣っていました。
”お気軽に入り下さい。”と出ていたのですが腰が引けていました。
「鴨立庵」から20分位歩くと、横断歩道橋があったので上から国道1号線の松並木を撮ってみました。
ところで、「大磯城山公園」の利用時間は17時(入園は16時45分まで)までだと気が付きました。
今16時なので、これから歩き続けて「大磯城山公園」に行っても仕方がないのと、帰りの歩きを考えると皆さんしんどそうなので公園へ行くのは諦めて、「大磯海岸」に出て「大磯港」に行くことにしました。
<大磯海岸>
「大磯海岸」に着きましたが、ご覧のように人影は殆どありません。
砂浜にハマナスが咲いていたのでアップで撮ってみました。
⇒ 大磯の岬に ハマナスの咲くころ♪
⇒ すいません、ハマナスでなく浜昼顔でした。
トレッキングシューヅで砂浜を歩くのはしんどいので、皆さん波打ち際を歩いて「大磯港」に向かいました。
遠くに見えるのが「大磯港」のようです。
「大磯港」の港公園に着いたので、歩いて来た「大磯海岸」を撮ってみました。
<大磯港>
「大磯海岸」に降りてから30分足らずで「大磯港」に着いてしまいました。
「大磯港」にある食事処は「めしや”大磯港”」しかないので、開店するまで店前のベンチで待つことにしました。
ベンチが置いてあると云うことは人気の食事処みたいで、我々の後に3組も並んでしまいました。
待っている間、遠くに見えた湘南平のテレビ塔や目の前の漁船を撮ってみました。
ついでに、「めしや”大磯港”」の外観も撮ってみました。
17時丁度に開店し、我々が一番乗りでした(注文も最初です)。
取り敢えず、後ろの看板を見ながら飲み物と刺身の盛合せを6人前を頼んで、盛合せが来るまで個々人が食べたいものを注文しました。
刺身の盛合せは、地魚なのでマグロなどは入っていませんが、新鮮でとても美味しかったです。
結局、20時近くまで長居してしまい、帰りは大磯駅までタクシー(ワンメーター)になってしまいました。
今回の「山行:湘南アルプス」は、湘南平で富士山を拝むことは出来ませんでしたが、大磯港で美味しいお刺身が食べられたので大変満足しています。
尚、万歩計は大磯海岸を歩いた関係で22,000歩を超えていました。
今年2月に「湘南アルプス」で行っているので、個人的には湘南平で富士山を見て帰りに大磯港で美味しいお刺身を食べるリベンジになりました。
山行ルートは次の通りですが、後半の大磯城山公園~が2月と違います。
大磯駅-高田公園-湘南平-浅間山-高麗山-高来神社-大磯城山公園(旧吉田茂邸地区)-大磯港-大磯駅
<大磯駅前>
大磯駅の集合時間(10時30分)に早く着き過ぎたので駅前を散策してみました。
駅前ロータリーにモニュメント「大樹」があったので行ってみました。
近くに、「海内第一避暑地の碑」があって、大磯が明治41年日本新聞社実施の全国避暑地百選の投票で第一位になったと出ていました。
未だ時間があったので、景観重要建造物の大磯駅前洋館(旧木下家別邸)にも行ってみました。
この洋館はフランス料理レストラン「 ドゥゼアン」になっていますが、今日は貸切の案内が出ていました。
アプローチの両脇にご覧のような可愛らしい花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
⇒ 後で調べたら、この花はフレンチラベンダーでした。
<妙大寺(みょうだいじ)>
大磯駅前の戻ると、皆さん集まっていたので出発することにしました。
大磯小学校前のガードをくぐって暫く歩くと、右側に「妙大寺」がありました。
拝殿で山行の無事をお祈りした後、松本順の墓所があったので行ってみました。
「松本順先生の墓誌」には、『徳川将軍家の御殿医で、明治維新に初代陸軍軍医総監となり、大磯で日本最初の海水浴場を認定・紹介した人物。』とありました。
又、墓誌の上部には、松本家の家紋「対い波」(むかいなみ)が付いていました。
⇒ 珍しい家紋ですね!
「妙大寺」を後に、急な坂道を登って「高田公園」に向かいます。
坂道の途中にご覧のような素晴らしい花が咲いていたので小休止を兼ねて撮ってみました。
<高田公園(たかだこうえん)>
急な坂道から石段を昇ると「高田公園」が見えてきました。公園の藤棚には見事な藤が咲いていました。
当然、見事な藤をアップで撮ってみましたが、曇っていたので眼下の眺望は良くありませんでした。
小休止をして「湘南平」に向かいましたが、途中、木々が生い茂っていて目印のテレビ塔は殆ど見えませんでした。
<湘南平(しょうなんだいら)>
「湘南平」に着きましたが、今日はご覧のように人出は多くありませんでした。
近くに藤棚(ここの藤は殆ど散っていました)のベンチがあったので、早目の昼食を摂ることになりました。
下の公園にご覧のような巨木があったので撮ってみました。
昼食も食べたので、取り敢えず展望台に行ってみることにしました。
尚、「湘南平」の標高181mですが、一番上の展望デッキ3は194.2mのところにあります。
曇っていて富士山は見えなかったのですが、美味しいお刺身が食べられそうな大磯港が見えたのでアップで撮ってみました。
遠くに霞んでいますが、江ノ島(左上)も見えたのでアップで撮ってみました。
又、運良く新幹線が見えたので、こちらもアップで撮ってみました。
展望台を後に、テレビ塔に向かうことにしました。
これから昇るテレビ塔もアップで撮ってみましたが、白いデッキ部分までは昇ることが出来ますが、このデッキにはメッシュフェンスがあって南京錠が沢山掛けてあるので見晴は良くありません。
展望台の下に降りると、素晴らしいツツジが咲いていたので撮ってみました。
又、近くにサクランボとビアが生っていたのでアップで撮ってみました。
テレビ塔の朱色デッキから白い花(?)を付けたご覧のような木が見えたのでアップで撮ってみました。
度アップでも撮ってみましたが、腕が悪いのか上手く撮れていませんでした。
テレビ塔を後に、次の「浅間山」に向かいました。
<浅間山(せんげんやま)>
標高181.3mの「浅間山」に着いたので、浅間神社にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
「浅間山」はやや湿っているのか(?)シャガの群生がかなりありました。
一輪だけ素晴らしいシャガが咲いていたので度アップで撮ってみました。
「浅間山」を後に「高麗山」に向かいました。
「高麗山」に行く途中にご覧のような芽(?)を付けた木があったのでアップで撮ってみました。
⇒ たぶん、椨の木 (たぶのき)かも知れませんね!?
<八俵山(はっぴょうやま)>
「浅間山」から山道を5~6分歩くと、ご覧のような道標がありました。
2月に来た時も「八俵山」には気が付きませんでした。
「高麗山県民の森案内図」で現在地を確認すると確かに「八俵山」は載っていました。
「高麗山県民の森案内図」から暫く歩くとご覧のような「八俵山 標高160m」の案内板がありました。
案内板には、『八俵山・大堂・東天照の高麗山の三峰のうち、最も西側に位置する峰で、”八俵”は仏教用語の八表(隅の意味)から転じたと考えられます。古くは毘沙門堂がここに建てられていた、と記録されています。』と書いてありました。
⇒ 山ではなく峰だったのですね! ⇒ でも何故、山と付けたのでしょうね?
<高麗山(こまやま)>
標高167.3mの「高麗山」に着きました。
右側の小さな祠の他に、左の方にも何か祀ってありました。
近くに行ってみると、しめ縄が張ってあって何か神聖な物らしいのですが・・・
「高麗山」にあまり長居をしても仕方ないので、次の「高来神社」に向かうことにしました。
<男坂>
「高来神社」に行くには「女坂」か「男坂」を下ります。
2月に来た時は「女坂」を下ったので、今回は私だけ「男坂」に挑戦してみました。
取り敢えず、下り始めの山道を撮ってみましたが、かなり急な山道みたいです。
なだらかな山道も若干ありますが、急こう配の山道が続くので注意しながら山道を下ります。
途中で登って来る人に出合ったのですが、息せき切っていたので登りは大分しんどそうです。
<高来神社(たかくじんじゃ)>
無事、「高来神社」に着いて他の5人と合流出来たので、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
扁額も撮ってみたのですが、判読出来ませんでした。
境内に「忠魂碑」があって、その手前に「大磯町指定史跡名勝天然記念物シイニッケイ」の案内板がありました。
案内板には、『スダジイとヤブニッケイの二種が一本化した樹木で、幹の心材が腐食し、頭上部が凹状になったスダジイの古木にヤブニッケイが根付き成長した結果、現在のような樹形になったと考えられています。』とありました。
⇒ スダジイとヤブニッケイが合体してシイニッケイとは、滑稽(コッケイ)ですね!
二の鳥居まで下って来ると左側に「慶覚院」の仁王門がありました。
仁王門には「木造仁王立像」があって、2月に来た時は上手く撮れなかったので再挑戦してみました。
⇒ 「木造仁王立像」は隙間からガラス越しに撮ったので、やはり上手く撮れていませんでした。
「高来神社」一の鳥居を後に、次の「大磯城山公園」に向かいます。
ところで、「高麗山」の麓にある神社なので「高麗(こま)神社」の方が相応しいと思うのですが、何故、「高来(たかく)神社」にしたのでしょうね!?
<国道1号線>
国道1号線を渡らないでそのまま大磯・小田原方面に向かって歩きます。
暫く歩くと右側に「虚空蔵尊」と刻まれた石柱が建っている小さな祠がありました。
又、傍に、『此辺大磯宿の史跡』の解説板があって、往時の様子を描いた絵も載っていたのですが、掠れていて上手く撮れませんでした。
道なりに10分位歩くと、今度は『此辺大磯宿の史跡「化粧(けわい)坂の一里塚」』の解説板がありました。
解説板に出てていた「化粧坂」を振り返って撮ってみました。
この道路は国道1号線の山側にある旧道で道幅も広く、適当な木蔭もあって歩き易かったです。
「化粧坂」を上り切ると、東海道線の下をくぐる「竹縄架道橋」がありました。
「竹縄架道橋」をくぐると今度はご覧のような松並木になりますが、大きな松は殆ど傾いていました。
この道の左側には飲食店が数軒あったのですが、全て閉まっていて休憩も出来ませんでした。
⇒ これは大磯駅前の観光案内所で聞いた話ですが、昼間からぶっ通しで遣っている食事処はなく、中休み(14時~)の後は17時から再開する店が殆どみたいです。
国道1号線と合流する「三沢橋東側」に遣ってきました。左側が我々が歩いて来た道で右側が国道1号線です。
ここからは国道1号線沿いを歩いて「大磯城山公園」に向かいますが、40~50分は掛かりそうです。
歩いていると「そば処」の外壁に面白い絵が描いてあったので撮ってみました。
又、国道1号線の所々に『此辺大磯宿の史跡』の解説板もありました。
<鴨立庵(しぎたつあん)>
国道1号線を30分程歩くと、反対側に「鴨立庵」があったので休憩も兼ねて入ってみました。
「鴨立庵」は大磯駅前洋館と同様に景観重要建造物に指定されていました。
ご覧のような門から入って右側で入場料100円を払います。
「鴨立庵」の濡れ縁で一休みしてから庭園を散策してみました。
庭園のいたる所に世庵主の句碑や墓碑がありました。
又、五智如来(釈迦、阿弥陀、大日、薬師、宝生)も祀ってありました。
芭蕉句碑もあったのですが、何と書いてあるのか読めませんでした。
どうやら「鴨立庵」は、墓碑、句碑、記念碑などが祀られているようです。
「鴨立庵」を後に国道1号線で戻ると、右側にご覧のような人形が座っていたのでビックリしました。
ここはギャラリー「ぶたのしっぽ」で、「斎藤泉&久保田直子二人展」を遣っていました。
”お気軽に入り下さい。”と出ていたのですが腰が引けていました。
「鴨立庵」から20分位歩くと、横断歩道橋があったので上から国道1号線の松並木を撮ってみました。
ところで、「大磯城山公園」の利用時間は17時(入園は16時45分まで)までだと気が付きました。
今16時なので、これから歩き続けて「大磯城山公園」に行っても仕方がないのと、帰りの歩きを考えると皆さんしんどそうなので公園へ行くのは諦めて、「大磯海岸」に出て「大磯港」に行くことにしました。
<大磯海岸>
「大磯海岸」に着きましたが、ご覧のように人影は殆どありません。
砂浜にハマナスが咲いていたのでアップで撮ってみました。
⇒ 大磯の岬に ハマナスの咲くころ♪
⇒ すいません、ハマナスでなく浜昼顔でした。
トレッキングシューヅで砂浜を歩くのはしんどいので、皆さん波打ち際を歩いて「大磯港」に向かいました。
遠くに見えるのが「大磯港」のようです。
「大磯港」の港公園に着いたので、歩いて来た「大磯海岸」を撮ってみました。
<大磯港>
「大磯海岸」に降りてから30分足らずで「大磯港」に着いてしまいました。
「大磯港」にある食事処は「めしや”大磯港”」しかないので、開店するまで店前のベンチで待つことにしました。
ベンチが置いてあると云うことは人気の食事処みたいで、我々の後に3組も並んでしまいました。
待っている間、遠くに見えた湘南平のテレビ塔や目の前の漁船を撮ってみました。
ついでに、「めしや”大磯港”」の外観も撮ってみました。
17時丁度に開店し、我々が一番乗りでした(注文も最初です)。
取り敢えず、後ろの看板を見ながら飲み物と刺身の盛合せを6人前を頼んで、盛合せが来るまで個々人が食べたいものを注文しました。
刺身の盛合せは、地魚なのでマグロなどは入っていませんが、新鮮でとても美味しかったです。
結局、20時近くまで長居してしまい、帰りは大磯駅までタクシー(ワンメーター)になってしまいました。
今回の「山行:湘南アルプス」は、湘南平で富士山を拝むことは出来ませんでしたが、大磯港で美味しいお刺身が食べられたので大変満足しています。
尚、万歩計は大磯海岸を歩いた関係で22,000歩を超えていました。