「熱海梅園:紅葉狩り」から続く。
12月4日(日)の散策ルートは次のようにしました。
ホテル-(徒歩)-双柿舎-(バス)-錦ケ浦-(徒歩)-渚親水公園-(徒歩)-JR熱海駅
尚、熱海海上花火大会(20:20~20:45)は渚親水公園で見ることにしました。
観光ガイドマップに依ると、双柿舎は海蔵寺の先にあったので、起雲閣の前の道路を通って海蔵寺を目指すことにしました。
<海蔵寺に向かう>

歩き始めは分からなかったのですが、起雲閣の先の交差点辺りから熱海は急坂が多いをことが分かってきました。
交差点を渡って暫く歩くと、右側にとんがり帽子のような建物が見えたので撮ってみました。


坂道を上っていると右側に、デイサービスセンター「あたみ小麦田湯ったり館」があったのですが、何故か、屋上にアンテナのようなものが付いていました。
若しかしたら、昔はNTTの建物だったのかも知れませんよ!?
<海蔵寺(かいぞうじ)>

急坂を暫く上ると、正面に錦館の看板(?)があって道路は二手に分かれていました。
左側の急坂を更に上ると、坂の途中の左側に海蔵寺があったのでホッ!としました。

ご覧のような石段を上って山門に向かいます。

石段の途中に、可愛らしい六地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。

立派な山門を撮ってみましたが、山門の左側は改築・工事中のようでした。
山門をくぐると正面に本堂、右側には見事な中庭がありました。

取り敢えず、錦峰山の山号が掲げられている本堂でお参りをしました。

本堂の左側に、ご覧のような書院があったので行ってみました。

書院を後に、本堂の前を通って見事な中庭に行ってみました。

素晴らしい紅葉があったので近くに行ってみました。

紅葉の下に、ご覧のような池があったので撮ってみました。写っている細い線は蜘蛛の巣ではなく、鳥よけ(?)のナイロン性の釣り糸のようでした。

池の右側に弁財天があったので撮ってみましたが、内部を見ることは出来ませんでした。

中庭の左側に、坪内逍遥先生御墓所の石柱が建っていたので行ってみました。
⇒ 海蔵寺は、坪内逍遥の菩提寺かも知れませんよ!?

ご覧のような逍遥坪内雄蔵夫妻墓があったので撮ってみました。
⇒ 逍遥坪内雄蔵夫妻墓は誤字ではなく、墓石に刻まれていた通りです(念のため!)。

逍遥坪内雄蔵夫妻墓から本堂を撮ってみました。

逍遥坪内雄蔵夫妻墓を後に、反対側から降りて来ると歴代塔が並んでいました。

歴代塔の右側にご覧のような石仏があって、隣に犬のお墓もありました。

可愛らしい犬だったのでアップで撮ってみましたが、享年が15~16才とは長生きした犬ですね!

中庭に戻って来ると、遠くに熱海湾が見えたので撮ってみました。
海蔵寺の裏門(?)から外に出て双柿舎に向かうことにしました。
坂道を道なりに3分程歩きましたが、近くに双柿舎はありませんでした。

水口町内会案内図があったので現在地を確認すると、少し先に双柿舎があったので助かりました(ホッ!)。
<双柿舎(そうししゃ)>

海蔵寺から5分程で双柿舎に着きましたが、ご覧のような目立つ入口ではありませんでした。

入口の案内に依ると、双柿舎は坪内逍遥の別荘の建物で、建物はもちろんこと庭も含め全て逍遥自身が設計したものです。
又、双柿舎の見学(無料)は基本的に日曜日(10:00~16:00)だけだったのでツイていました。

ご覧のような細い道を通って本館(母屋)に向かいます。

本館と同時期に建てられた中門の扁額(雙柿舎)を撮ってみました。
尚、双柿舎の名前は庭にある2本の柿の古木から付けられています。

玄関でパンフレットを貰って、本館の後ろを回って庭に行ってみました。
本館の後ろの竹藪に、温泉が出ている施設があったので撮ってみました。

本館に、小さいですが逍遥夫妻の像が置いてあったので撮ってみました。

坪内逍遥になったつもりで本館に座って庭先を撮ってみました。

ついでに、アップでも撮ってみました。塔の上に風見のある建物が書屋、右が東館(離れ)です。

手前に、双柿舎の命名のもととなった老柿の説明板がありました。

折角なので、老柿を別角度から撮ってみましたが、斜めに倒壊していました。
又、反対側の草藪の中に、もう一つの柿の木がありましたが、朽ちていて識別できませんでした。
取り敢えず、逍遥自身が設計した庭園を回ってみることにしました。

逍遥3年忌に、夫人の思いで建てられた筆塚があったので撮ってみました。

生田福翁作の楽焼窯風の焼却炉があったので撮ってみましたが、由来などは分かりません。

書屋(しょおく)に着いたので下から撮ってみました。

書屋の入口の脇にあった説明板には、『昭和3(1928)年完成。和漢洋を折衷した逍遥自身の設計。塔の胴体、屋根は和を表し、勾欄と亀腹は漢を、屋上のバトルメントは洋を表現しています。搭上の風見の翡翠と橄欖の葉は曾田富康作。翡翠は、シェイクスピアの「リア王」の中の文句によったものです。』と書いてありました。

塔の上の風見をアップで撮ってみましたが、上の翡翠(かわせみ)は何となく分かりますが、下の橄欖(かんらん)の葉は良く分かりません。


取り敢えず、書屋の内部を撮ってみました。

書屋を別の角度から撮って、東館(離れ)の横を通って本館に戻ることにしました。

庭に戻ると書屋の横に熱海湾が見えたので、書屋と一緒にアップで撮って、双柿舎を後にしました。
「熱海観光地巡り(錦ヶ浦編)と海上花火大会」に続く。
12月4日(日)の散策ルートは次のようにしました。
ホテル-(徒歩)-双柿舎-(バス)-錦ケ浦-(徒歩)-渚親水公園-(徒歩)-JR熱海駅
尚、熱海海上花火大会(20:20~20:45)は渚親水公園で見ることにしました。
観光ガイドマップに依ると、双柿舎は海蔵寺の先にあったので、起雲閣の前の道路を通って海蔵寺を目指すことにしました。
<海蔵寺に向かう>

歩き始めは分からなかったのですが、起雲閣の先の交差点辺りから熱海は急坂が多いをことが分かってきました。
交差点を渡って暫く歩くと、右側にとんがり帽子のような建物が見えたので撮ってみました。


坂道を上っていると右側に、デイサービスセンター「あたみ小麦田湯ったり館」があったのですが、何故か、屋上にアンテナのようなものが付いていました。
若しかしたら、昔はNTTの建物だったのかも知れませんよ!?
<海蔵寺(かいぞうじ)>

急坂を暫く上ると、正面に錦館の看板(?)があって道路は二手に分かれていました。
左側の急坂を更に上ると、坂の途中の左側に海蔵寺があったのでホッ!としました。

ご覧のような石段を上って山門に向かいます。

石段の途中に、可愛らしい六地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。

立派な山門を撮ってみましたが、山門の左側は改築・工事中のようでした。
山門をくぐると正面に本堂、右側には見事な中庭がありました。

取り敢えず、錦峰山の山号が掲げられている本堂でお参りをしました。

本堂の左側に、ご覧のような書院があったので行ってみました。

書院を後に、本堂の前を通って見事な中庭に行ってみました。

素晴らしい紅葉があったので近くに行ってみました。

紅葉の下に、ご覧のような池があったので撮ってみました。写っている細い線は蜘蛛の巣ではなく、鳥よけ(?)のナイロン性の釣り糸のようでした。

池の右側に弁財天があったので撮ってみましたが、内部を見ることは出来ませんでした。

中庭の左側に、坪内逍遥先生御墓所の石柱が建っていたので行ってみました。
⇒ 海蔵寺は、坪内逍遥の菩提寺かも知れませんよ!?

ご覧のような逍遥坪内雄蔵夫妻墓があったので撮ってみました。
⇒ 逍遥坪内雄蔵夫妻墓は誤字ではなく、墓石に刻まれていた通りです(念のため!)。

逍遥坪内雄蔵夫妻墓から本堂を撮ってみました。

逍遥坪内雄蔵夫妻墓を後に、反対側から降りて来ると歴代塔が並んでいました。

歴代塔の右側にご覧のような石仏があって、隣に犬のお墓もありました。

可愛らしい犬だったのでアップで撮ってみましたが、享年が15~16才とは長生きした犬ですね!

中庭に戻って来ると、遠くに熱海湾が見えたので撮ってみました。
海蔵寺の裏門(?)から外に出て双柿舎に向かうことにしました。
坂道を道なりに3分程歩きましたが、近くに双柿舎はありませんでした。

水口町内会案内図があったので現在地を確認すると、少し先に双柿舎があったので助かりました(ホッ!)。
<双柿舎(そうししゃ)>

海蔵寺から5分程で双柿舎に着きましたが、ご覧のような目立つ入口ではありませんでした。

入口の案内に依ると、双柿舎は坪内逍遥の別荘の建物で、建物はもちろんこと庭も含め全て逍遥自身が設計したものです。
又、双柿舎の見学(無料)は基本的に日曜日(10:00~16:00)だけだったのでツイていました。

ご覧のような細い道を通って本館(母屋)に向かいます。

本館と同時期に建てられた中門の扁額(雙柿舎)を撮ってみました。
尚、双柿舎の名前は庭にある2本の柿の古木から付けられています。

玄関でパンフレットを貰って、本館の後ろを回って庭に行ってみました。
本館の後ろの竹藪に、温泉が出ている施設があったので撮ってみました。

本館に、小さいですが逍遥夫妻の像が置いてあったので撮ってみました。

坪内逍遥になったつもりで本館に座って庭先を撮ってみました。

ついでに、アップでも撮ってみました。塔の上に風見のある建物が書屋、右が東館(離れ)です。

手前に、双柿舎の命名のもととなった老柿の説明板がありました。

折角なので、老柿を別角度から撮ってみましたが、斜めに倒壊していました。
又、反対側の草藪の中に、もう一つの柿の木がありましたが、朽ちていて識別できませんでした。
取り敢えず、逍遥自身が設計した庭園を回ってみることにしました。

逍遥3年忌に、夫人の思いで建てられた筆塚があったので撮ってみました。

生田福翁作の楽焼窯風の焼却炉があったので撮ってみましたが、由来などは分かりません。

書屋(しょおく)に着いたので下から撮ってみました。

書屋の入口の脇にあった説明板には、『昭和3(1928)年完成。和漢洋を折衷した逍遥自身の設計。塔の胴体、屋根は和を表し、勾欄と亀腹は漢を、屋上のバトルメントは洋を表現しています。搭上の風見の翡翠と橄欖の葉は曾田富康作。翡翠は、シェイクスピアの「リア王」の中の文句によったものです。』と書いてありました。

塔の上の風見をアップで撮ってみましたが、上の翡翠(かわせみ)は何となく分かりますが、下の橄欖(かんらん)の葉は良く分かりません。


取り敢えず、書屋の内部を撮ってみました。

書屋を別の角度から撮って、東館(離れ)の横を通って本館に戻ることにしました。

庭に戻ると書屋の横に熱海湾が見えたので、書屋と一緒にアップで撮って、双柿舎を後にしました。
「熱海観光地巡り(錦ヶ浦編)と海上花火大会」に続く。