2月15日(金)~16日(土)は、「梅の宴」の時期になったので、湯河原に泊まって幕山公園(湯河原梅林)に行ってみました。
幕山公園だけでは勿体ないので、15日は真鶴駅から湯河原駅まで道祖神を探しながら国道を歩き、16日は天照山ハイキングの後で幕山公園に行く行程にしました。
15日は、雪が降る天気予報だったのですが、雪も降らなさそうなので真鶴駅で下車して、国道135号線の道祖神を探しながら湯河原駅まで歩くことにしました。
<真鶴駅>
真鶴駅はこれまで何回か乗降りしていますが、直近では2017年4月の「山行:真鶴半島」で来ています。
外のトイレの脇に「ふるさとの碑」があるので撮ってみました。
「ふるさとの碑」には、貴船神社、真鶴岬、相模湾や石材採掘・運搬などのことが記されていました。
駅前ロータリーの近くに、真鶴駅を跨ぐ跨線橋があったので行ってみました。
近くに、「跨線人道橋完成記念」の碑(昭和44年12月)があったので撮ってみました。
ご覧のような急な階段を上って跨線橋に行ってみました。
小綺麗な跨線橋ですが、橋の下の方は曇りガラスなので外は見えません。
取り敢えず、跨線橋の端まで行ってみましたが、こちら側は階段とエレベータがありました。
下に降りても仕方がないので跨線橋を戻って、ご覧のような急な階段を下りました。
尚、下の道路が国道135号線です。
階段の途中で、荒井城址公園に行ける坂道が見えたのでアップで撮ってみました。
<国道135号線>
国道に出て道なりに5分程歩くと、右側に新福浦立体があったので撮ってみました。
更に、国道を5分程歩くと、「福浦教育発祥の地」の記念碑があったので撮ってみました。
明治27年(1894)、足柄下郡福浦尋常小学校として開校するも、平成9年(1997)に校舎老朽化もあって現在地に移転再建し、東台福浦小学校として再出発しました。
100年以上も続いた小学校の記念碑なのでアップで撮ってみました。
県道740号線との合流地点に遣って来ましたが、途中の国道沿いでは「福浦国道の道祖神」は見つけられませんでした。
ここからは、湯河原海岸を見ながら国道を歩きます。
吉浜海水浴場を撮ってみましたが、海岸には殆ど人はいませんでした。
<吉祥院(きちじょういん)>
国道を歩いていると、宗教法人の吉祥院があって、結界石「不許葷酒入山門」がありました。
「不許葷酒入山門」は、『葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず』と読み、『臭いの強い野菜やお酒は持ち込み禁止』の意味があります。
右側に、ご覧のような石仏石塔群、右奥に、光明殿があったので撮ってみました。
石仏石塔群の後ろには、墓地の入口がありました。
左手に、吉祥院の本堂が見えたので行ってみました。
参道の左側に、六地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。
取り敢えず、本堂を斜めから撮って正面に回ってみました。
本堂を正面から撮ってお参りをしました。
吉祥院を後に、ご覧のような湯河原海岸を眺めながら国道を歩きます。
尚、国道の隣りには真鶴道路が通っています。
<小道地蔵堂(こみちじぞうどう)>
国道を暫く歩くと、ご覧のような小道地蔵堂があったので撮ってみました。
手前の説明案内板には、『ここは、曹洞宗英潮院飛地境内です。堂内には延命地蔵菩薩尊像がお祀りされております。後方には、閻魔大王像を始め十王像等がお祀りされております。・・・』と書いてありました。
左側に、小道地蔵堂休憩処があったのですが、鍵が掛かっていて入れませんでした。
休憩処の手前に、”右小田原”と刻まれた「吉浜東の道祖神(?)」があったのでアップで撮ってみました。
休憩処の後ろに、大型の石塔や宝篋印塔があったので撮ってみました。
尚、「小道地蔵堂の宝篋印塔」は湯河原町の文化財に指定されています。
又、宝篋印塔の右側後にも、ご覧のような石仏石塔群があったので撮ってみました。
取り敢えず、小道地蔵堂を斜めから撮ってみました。
”地蔵堂”と書いてありそうな扁額をアップで撮ってみました。
小道地蔵堂の右側にも、ご覧のような石仏石塔群があったので撮ってみました。
境内の右手には、ご覧のようなお地蔵様と力石が祀られていました。
若しかしたら、このお地蔵様が「吉浜東の道祖神」かも知れませんね!
又、この力石は、大正3年(1914)吉浜村中から青年たちが担いで来たと石と言われています。
<英潮院(えいちよういん)>
小道地蔵堂を後に、国道を5分程歩くと、右側に英潮院の山門が見えたので行ってみました。
右側に結界石「不許葷酒入山門」がありましたが、英潮院は、先程訪れた小道地蔵堂を管理している寺院です。
山号「金華山」が掲げられている山門を撮ってみました。
山門の先は、ご覧のような境内になっていたので撮ってみました。
本堂に行って、無事に湯河原駅に着けますようにお参りをしました。
お参りしてから扁額を撮って、境内を散策することにしました。
本堂の左側には、河津桜(?)が咲いていましたが散り始めていました。
取り敢えず、下からアップで撮ってみました。
本堂の右側にあった、寺務所の方に行ってみました。
寺務所横の梅は咲き始めたばかりでしたが、取り敢えず、アップで撮ってみました。
六地蔵尊の後ろに鐘楼が見えたので、六地蔵尊を撮ってから行ってみました。
鐘楼の手前に、南無本師釋迦牟尼佛(?)が祀ってあったので撮ってみました。
鐘楼を撮ってから、鐘楼の後に行ってみました。
坂道の左側に、ご覧のような無縁仏があったので撮ってみました。
坂道の上は、ご覧のような墓地になっていました。
墓地に行っても仕方がないので、鐘楼の横を通って山門に戻ることにしました。
鐘楼の先にも、梅が咲いていたのでアップで撮ってみました。
<伊能忠敬測量隊の宿泊地>
英潮院を後に国道に戻ると、右側に伊能忠敬測量隊の宿泊地(吉浜村名主 向笠彦右衛門宅)があったので撮ってみました。
<素鵞神社(すがじんじゃ)>
国道を暫く歩くと、右側に素鵞神社の鳥居があったので行ってみました。
階段の下に、「吉浜中の道祖神」があったので撮ってみました。
素鵞神社の案内板には、祭神(佐之男神、伊弉諾神、伊弉冊神)と境内社(比叡神社、山之神社)が載っていました。
取り敢えず、階段を上って境内に行ってみました。
階段を上ると、ご覧のような手水舎と拝殿が見えたので撮ってみました。
左側に、立派な忠魂碑と忠霊碑があったので撮ってみました。
忠霊碑の後ろに、山之神社の鳥居があったので上ってみました。
鳥居の左側に、ご覧のような祠があったので撮ってみました。
鳥居と一緒に、祭神(大山津見神)が祀ってある祠を撮ってみました。
折角なので、祠をアップで撮ってお参りをしました。
取り敢えず、手水舎で身を清めて拝殿に行ってみることにしました。
拝殿は、ご覧のような階段の上にありますが、階段の下に「素鵞神社の鹿島踊り」の説明案内板がありました。
説明案内板には、『鹿島踊りは、小田原から伊豆半島東部海岸一帯の各地の神社に伝わっているものであるが、素鵞神社の踊りが、古い形式を最もよくとどめているとされている。・・・』と書かれていました。
尚、「素鵞神社の鹿島踊り」は、神奈川県無形文化財、並びに、国選択無形文化財に指定されています。
取り敢えず、階段を上って拝殿を撮ってみました。
お参りをしてから、向拝の鈴と彫り物(龍?)を撮ってみました。
境内に戻ると、御神木(楠?)と合祀記念碑があったので拝殿をバックに撮ってみました。
ご覧のような階段を下って国道に戻りました。
階段の途中で、電線が邪魔していますが初島(?)が見えたのでアップで撮ってみました。
<宗徳院に向かう>
国道に戻って歩いていると、リゾートホテル(?)と真鶴道路が見えたので撮ってみました。
湯河原町消防団第7分団の前に遣って来ると、「ゆたぽんファイブ」(消防バージョン)がいました。
折角なので、アップで撮ってみました。
<宗徳院(そうとくいん)>
国道を5分程歩くと、右側に「風間不動堂の道祖神」があったので行ってみました。
取り敢えず、風間不動堂と一緒に地蔵坐像・三界萬霊等を撮ってみました。
大きな地蔵坐像だったのでアップで撮ってみました。
ついでに、不動明王を祀っている風間不動堂も撮ってみました。
風間不動堂の左側に、宗徳院の鐘楼門があったので階段を上ってみることにしました。
尚、宗徳院の山号は海福山で、結界石「不許葷酒入山門」も置いてありました。
階段の途中で、立派な鐘楼門を撮ってみました。
折角なので、アップでも撮ってみました。
鐘楼門の蟇股には蓮の花の彫刻が施されいて、天井中央の丸格子窓からは梵鐘が見えました。
鐘楼門を通ると、目の前に、ご覧のような本堂がありました。
取り敢えず、本堂でここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
水引虹梁の上に、15~6人の修行僧や龍、虎、猪の彫刻があったので撮ってみました。
向拝柱に、ご覧のような板看板(「相模国八十八ケ所十一番 吉濱村 宗徳院)があって、「いろもかもむひ ちうだうのふじゐでら しんによのなみの たくぬ日も奈し」と書いてありましたが、意味不明です。
水引虹梁と海老虹梁の彫り物が素晴らしかったので木鼻と一緒に撮ってみました。
折角なので、アップでも撮ってみました。
ついでに、左側に行って同じように撮ってみました。
庭の梅は3分咲き程度ですが、本堂の左手前の庭を撮ってみました。
ついでに、右側の庭も撮ってみました。
龍宮城のような鐘楼門を撮って、宗徳院を後にすることにしました。
境内から真鶴半島が見えたのでアップで撮ってみました。
ここからだと、電線に邪魔されないで初島が見えるのでアップで撮ってみました。
宗徳院からは、風間不動堂横の坂道を下って戻ってみました。
風間不動堂に戻ると、宗徳院の擁壁がお城の壁のように見えたので撮ってみました。
国道に戻って歩いていると、真鶴半島が見えたのでアップで撮ってみました。
<吉浜稲荷神社(よしはまいなりじんじゃ)>
次は、「吉浜稲荷神社の道祖神」を探すことにしました。
国道を5分程歩いて、右に曲がって坂道を上ってみました。
坂道の上から、寺社の赤い屋根が下の方に見えたのですが、寺社に行く道がありません。
仕方がないので、国道を少し歩いてから右に曲がって、川沿いの道から行ってみることにしました。
川沿いの道から吉浜稲荷神社の入り口を探したのですが見つかりませんでした(但し、最上寺の案内は出ていました)。
国道に戻ろうと歩いていると、ご覧のような路地があったので入ってみました。
路地の先を左に曲がると、鳥居があったので吉浜稲荷神社と分かりましたが、ここに着くまで5分以上もかかってしまいました。
傍に行くと、吉浜稲荷神社の鳥居が左にあって、右は最上寺の階段(参道?)になっていました。
然も、鳥居の手前には「吉浜稲荷神社の道祖神」がありました。
早速、道祖神をアップで撮ってみました。
取り敢えず、「一の鳥居」を撮って階段を上ってみました。
階段の上には、「二の鳥居」があって扁額「吉浜稲荷」が掛かっていました。
鳥居をくぐると、正面に赤い鳥居があって、右側には鐘楼がありました。
取り敢えず、右側にあった鐘楼(所有は最上寺?)を撮ってみましたが、右に見える建物は最上寺の庫裡です。
ついでに、左側にあった手水舎も撮ってみました。
赤い鳥居の先にある拝殿に行ってみることにしました。
由緒ありそうな拝殿を撮って、どうにかここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
向拝には、4つの鈴緒があって、「妙寶稲荷社」や「妙法稲荷社」からの奉納額もありました。
ご覧のような鳥居の奉納額があったので撮ってみました。
境内の右側には、ご覧のような祠が所狭しと置かれていました。
<最上寺(さいじょうじ)>
鐘楼の脇を通って、最上寺の階段に出たので階段の下の方を撮ってみました。
取り敢えず、最上寺の階段から鐘楼を撮ってみました。
ご覧のような急な階段を上って最上寺に向かいました。
階段を上り始めると左側の大木の洞に、石のような物が詰められていたので撮ってみました。
念のため大木の上の方を見ると、ご覧のような葉っぱが生い茂っていました。
階段を上ると、芝生の境内があって、奥には赤い屋根の本堂がありました。
尚、上から見えた赤い屋根の寺社は、吉浜稲荷神社ではなく最上寺だったようです。
取り敢えず、本堂を撮ってお参りをすることにしました。
お参りしてから、本堂に掲げられている山号「千歳山」を撮ってみました。
本堂の扉が開いていたので、失礼して堂内を撮らせて頂きました。
素晴らしい天蓋をアップで撮ってみました。
奥に、日蓮聖人(?)が祀ってあったのでアップで撮ってみました。
本堂の右側は、ご覧のようになっていて、国道に出るには来た道を戻るのが早そうです。
階段の下り口の先に、吉浜稲荷神社の拝殿の屋根が見えたので撮ってみました。
又、階段の下り口近くに、戦没者慰霊碑があったので撮ってみました。
<八幡神社に向かう>
国道に戻って、吉浜橋を渡って先に行ってみました。
吉浜橋を渡っていると、右側に新崎川が見えたので撮ってみました。
<八幡神社(はちまんじんじゃ)>
国道を10分程歩くと、右側に八幡神社があったので入ってみました。
取り敢えず、八幡神社の説明案内板があったので撮ってみました。
境内には、左から社務所、鳥居、手水舎、神庫があって、鳥居の奥には拝殿がありました。
取り敢えず、手水舎に行って身を清めました。
鳥居をアップで撮って拝殿に行ってみました。
階段の下から、拝殿をアップで撮ってみました。
拝殿の手前に、可愛らしい狛犬がいたのでアップで撮ってみました。
拝殿で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
手水舎の右側にあった神庫を撮っていなかったので、手水舎と一緒に撮って、八幡神社を後にしました。
<門川(もんがわ)の道祖神>
八幡神社を出て国道に戻ると、国道の下に「門川の道祖神」があったので撮ってみました。
これで「福浦国道の道祖神」を除いて、予定の道祖神は全て回ることができました。
<湯河原駅に向かう>
昼食を食べていなかってので、途中の食事処「鮪屋」で軽く飲みながら昼食を取りました。
食事処を出て湯河原駅に向かっていると、蔵町公園に「タコ滑り台」があったので撮ってみました。
<ちぼり湯河原スイーツファクトリー>
2018年11月の「日帰りバスツアー:修善寺の紅葉」で立寄ったTIVOLIがあったので入ってみました。
取り敢えず、2階に行って工場見学をすることにしました。
お菓子を作るご覧のような道具があったので撮ってみました。
お菓子を作っているところを見学しましたが、団体でないのでゆっくり見学できました。
最後に、ご覧のようなユニホーム姿のお姉さんを撮って1階に戻りました。
当然、1階ではクッキーの試食をしました。
<湯河原駅>
湯河原駅の駅前の階段の下に着いたので、エレベータで上に行ってみました。
エレベータを降りると、京風庭園「ポケットパーク」が見えたので撮ってみました。
尚、京風庭園「ポケットパーク」は、小京都への加盟を記念して造られたみたいです。
県道75号線の脇に、庭園に下りる階段があるので行ってみました。
階段から庭園の西側を撮ってみました。
階段を下りると、左側に手水鉢があったので撮ってみました。
庭園の西側を撮って、東側に行ってみました。
途中の生根に、一升石(いっしょうせき)の説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板に依ると、一升石は、文化14年(1817)、小田原藩主の大久保忠真公が、湯河原町吉浜海岸から、3寸(約9cm)から4寸(約12cm)の長楕円形の石を米一升与えて集めて献上したと伝えられる所から名前が付いたみたいです。
庭園の東側に石が置いてあったのでアップで撮ってみましたが、一升石にしては大き過ぎますよね!?
京風庭園「ポケットパーク」を後に、バス乗り場に向かっていると「土肥実平公と夫人の像」があったのでアップで撮ってみました。
バス乗り場に着くと、不動滝・奥湯河原行のバスがあったので運良く乗ることが出来ました。
<湯河原温泉理想郷>
バス停「理想郷」で降りて旅館に向かいましたが、チェックイン(16時)には十分間に合いました。
今日の「真鶴駅~湯河原駅の道祖神めぐり」は、道祖神だけでなく素晴らしい寺社も見れたので大変満足しています。
尚、万歩計は、それなり歩いたので13,000歩を超えていました。
「奥湯河原:天照山ハイキング」に続く。
幕山公園だけでは勿体ないので、15日は真鶴駅から湯河原駅まで道祖神を探しながら国道を歩き、16日は天照山ハイキングの後で幕山公園に行く行程にしました。
15日は、雪が降る天気予報だったのですが、雪も降らなさそうなので真鶴駅で下車して、国道135号線の道祖神を探しながら湯河原駅まで歩くことにしました。
<真鶴駅>
真鶴駅はこれまで何回か乗降りしていますが、直近では2017年4月の「山行:真鶴半島」で来ています。
外のトイレの脇に「ふるさとの碑」があるので撮ってみました。
「ふるさとの碑」には、貴船神社、真鶴岬、相模湾や石材採掘・運搬などのことが記されていました。
駅前ロータリーの近くに、真鶴駅を跨ぐ跨線橋があったので行ってみました。
近くに、「跨線人道橋完成記念」の碑(昭和44年12月)があったので撮ってみました。
ご覧のような急な階段を上って跨線橋に行ってみました。
小綺麗な跨線橋ですが、橋の下の方は曇りガラスなので外は見えません。
取り敢えず、跨線橋の端まで行ってみましたが、こちら側は階段とエレベータがありました。
下に降りても仕方がないので跨線橋を戻って、ご覧のような急な階段を下りました。
尚、下の道路が国道135号線です。
階段の途中で、荒井城址公園に行ける坂道が見えたのでアップで撮ってみました。
<国道135号線>
国道に出て道なりに5分程歩くと、右側に新福浦立体があったので撮ってみました。
更に、国道を5分程歩くと、「福浦教育発祥の地」の記念碑があったので撮ってみました。
明治27年(1894)、足柄下郡福浦尋常小学校として開校するも、平成9年(1997)に校舎老朽化もあって現在地に移転再建し、東台福浦小学校として再出発しました。
100年以上も続いた小学校の記念碑なのでアップで撮ってみました。
県道740号線との合流地点に遣って来ましたが、途中の国道沿いでは「福浦国道の道祖神」は見つけられませんでした。
ここからは、湯河原海岸を見ながら国道を歩きます。
吉浜海水浴場を撮ってみましたが、海岸には殆ど人はいませんでした。
<吉祥院(きちじょういん)>
国道を歩いていると、宗教法人の吉祥院があって、結界石「不許葷酒入山門」がありました。
「不許葷酒入山門」は、『葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず』と読み、『臭いの強い野菜やお酒は持ち込み禁止』の意味があります。
右側に、ご覧のような石仏石塔群、右奥に、光明殿があったので撮ってみました。
石仏石塔群の後ろには、墓地の入口がありました。
左手に、吉祥院の本堂が見えたので行ってみました。
参道の左側に、六地蔵尊が祀ってあったので撮ってみました。
取り敢えず、本堂を斜めから撮って正面に回ってみました。
本堂を正面から撮ってお参りをしました。
吉祥院を後に、ご覧のような湯河原海岸を眺めながら国道を歩きます。
尚、国道の隣りには真鶴道路が通っています。
<小道地蔵堂(こみちじぞうどう)>
国道を暫く歩くと、ご覧のような小道地蔵堂があったので撮ってみました。
手前の説明案内板には、『ここは、曹洞宗英潮院飛地境内です。堂内には延命地蔵菩薩尊像がお祀りされております。後方には、閻魔大王像を始め十王像等がお祀りされております。・・・』と書いてありました。
左側に、小道地蔵堂休憩処があったのですが、鍵が掛かっていて入れませんでした。
休憩処の手前に、”右小田原”と刻まれた「吉浜東の道祖神(?)」があったのでアップで撮ってみました。
休憩処の後ろに、大型の石塔や宝篋印塔があったので撮ってみました。
尚、「小道地蔵堂の宝篋印塔」は湯河原町の文化財に指定されています。
又、宝篋印塔の右側後にも、ご覧のような石仏石塔群があったので撮ってみました。
取り敢えず、小道地蔵堂を斜めから撮ってみました。
”地蔵堂”と書いてありそうな扁額をアップで撮ってみました。
小道地蔵堂の右側にも、ご覧のような石仏石塔群があったので撮ってみました。
境内の右手には、ご覧のようなお地蔵様と力石が祀られていました。
若しかしたら、このお地蔵様が「吉浜東の道祖神」かも知れませんね!
又、この力石は、大正3年(1914)吉浜村中から青年たちが担いで来たと石と言われています。
<英潮院(えいちよういん)>
小道地蔵堂を後に、国道を5分程歩くと、右側に英潮院の山門が見えたので行ってみました。
右側に結界石「不許葷酒入山門」がありましたが、英潮院は、先程訪れた小道地蔵堂を管理している寺院です。
山号「金華山」が掲げられている山門を撮ってみました。
山門の先は、ご覧のような境内になっていたので撮ってみました。
本堂に行って、無事に湯河原駅に着けますようにお参りをしました。
お参りしてから扁額を撮って、境内を散策することにしました。
本堂の左側には、河津桜(?)が咲いていましたが散り始めていました。
取り敢えず、下からアップで撮ってみました。
本堂の右側にあった、寺務所の方に行ってみました。
寺務所横の梅は咲き始めたばかりでしたが、取り敢えず、アップで撮ってみました。
六地蔵尊の後ろに鐘楼が見えたので、六地蔵尊を撮ってから行ってみました。
鐘楼の手前に、南無本師釋迦牟尼佛(?)が祀ってあったので撮ってみました。
鐘楼を撮ってから、鐘楼の後に行ってみました。
坂道の左側に、ご覧のような無縁仏があったので撮ってみました。
坂道の上は、ご覧のような墓地になっていました。
墓地に行っても仕方がないので、鐘楼の横を通って山門に戻ることにしました。
鐘楼の先にも、梅が咲いていたのでアップで撮ってみました。
<伊能忠敬測量隊の宿泊地>
英潮院を後に国道に戻ると、右側に伊能忠敬測量隊の宿泊地(吉浜村名主 向笠彦右衛門宅)があったので撮ってみました。
<素鵞神社(すがじんじゃ)>
国道を暫く歩くと、右側に素鵞神社の鳥居があったので行ってみました。
階段の下に、「吉浜中の道祖神」があったので撮ってみました。
素鵞神社の案内板には、祭神(佐之男神、伊弉諾神、伊弉冊神)と境内社(比叡神社、山之神社)が載っていました。
取り敢えず、階段を上って境内に行ってみました。
階段を上ると、ご覧のような手水舎と拝殿が見えたので撮ってみました。
左側に、立派な忠魂碑と忠霊碑があったので撮ってみました。
忠霊碑の後ろに、山之神社の鳥居があったので上ってみました。
鳥居の左側に、ご覧のような祠があったので撮ってみました。
鳥居と一緒に、祭神(大山津見神)が祀ってある祠を撮ってみました。
折角なので、祠をアップで撮ってお参りをしました。
取り敢えず、手水舎で身を清めて拝殿に行ってみることにしました。
拝殿は、ご覧のような階段の上にありますが、階段の下に「素鵞神社の鹿島踊り」の説明案内板がありました。
説明案内板には、『鹿島踊りは、小田原から伊豆半島東部海岸一帯の各地の神社に伝わっているものであるが、素鵞神社の踊りが、古い形式を最もよくとどめているとされている。・・・』と書かれていました。
尚、「素鵞神社の鹿島踊り」は、神奈川県無形文化財、並びに、国選択無形文化財に指定されています。
取り敢えず、階段を上って拝殿を撮ってみました。
お参りをしてから、向拝の鈴と彫り物(龍?)を撮ってみました。
境内に戻ると、御神木(楠?)と合祀記念碑があったので拝殿をバックに撮ってみました。
ご覧のような階段を下って国道に戻りました。
階段の途中で、電線が邪魔していますが初島(?)が見えたのでアップで撮ってみました。
<宗徳院に向かう>
国道に戻って歩いていると、リゾートホテル(?)と真鶴道路が見えたので撮ってみました。
湯河原町消防団第7分団の前に遣って来ると、「ゆたぽんファイブ」(消防バージョン)がいました。
折角なので、アップで撮ってみました。
<宗徳院(そうとくいん)>
国道を5分程歩くと、右側に「風間不動堂の道祖神」があったので行ってみました。
取り敢えず、風間不動堂と一緒に地蔵坐像・三界萬霊等を撮ってみました。
大きな地蔵坐像だったのでアップで撮ってみました。
ついでに、不動明王を祀っている風間不動堂も撮ってみました。
風間不動堂の左側に、宗徳院の鐘楼門があったので階段を上ってみることにしました。
尚、宗徳院の山号は海福山で、結界石「不許葷酒入山門」も置いてありました。
階段の途中で、立派な鐘楼門を撮ってみました。
折角なので、アップでも撮ってみました。
鐘楼門の蟇股には蓮の花の彫刻が施されいて、天井中央の丸格子窓からは梵鐘が見えました。
鐘楼門を通ると、目の前に、ご覧のような本堂がありました。
取り敢えず、本堂でここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
水引虹梁の上に、15~6人の修行僧や龍、虎、猪の彫刻があったので撮ってみました。
向拝柱に、ご覧のような板看板(「相模国八十八ケ所十一番 吉濱村 宗徳院)があって、「いろもかもむひ ちうだうのふじゐでら しんによのなみの たくぬ日も奈し」と書いてありましたが、意味不明です。
水引虹梁と海老虹梁の彫り物が素晴らしかったので木鼻と一緒に撮ってみました。
折角なので、アップでも撮ってみました。
ついでに、左側に行って同じように撮ってみました。
庭の梅は3分咲き程度ですが、本堂の左手前の庭を撮ってみました。
ついでに、右側の庭も撮ってみました。
龍宮城のような鐘楼門を撮って、宗徳院を後にすることにしました。
境内から真鶴半島が見えたのでアップで撮ってみました。
ここからだと、電線に邪魔されないで初島が見えるのでアップで撮ってみました。
宗徳院からは、風間不動堂横の坂道を下って戻ってみました。
風間不動堂に戻ると、宗徳院の擁壁がお城の壁のように見えたので撮ってみました。
国道に戻って歩いていると、真鶴半島が見えたのでアップで撮ってみました。
<吉浜稲荷神社(よしはまいなりじんじゃ)>
次は、「吉浜稲荷神社の道祖神」を探すことにしました。
国道を5分程歩いて、右に曲がって坂道を上ってみました。
坂道の上から、寺社の赤い屋根が下の方に見えたのですが、寺社に行く道がありません。
仕方がないので、国道を少し歩いてから右に曲がって、川沿いの道から行ってみることにしました。
川沿いの道から吉浜稲荷神社の入り口を探したのですが見つかりませんでした(但し、最上寺の案内は出ていました)。
国道に戻ろうと歩いていると、ご覧のような路地があったので入ってみました。
路地の先を左に曲がると、鳥居があったので吉浜稲荷神社と分かりましたが、ここに着くまで5分以上もかかってしまいました。
傍に行くと、吉浜稲荷神社の鳥居が左にあって、右は最上寺の階段(参道?)になっていました。
然も、鳥居の手前には「吉浜稲荷神社の道祖神」がありました。
早速、道祖神をアップで撮ってみました。
取り敢えず、「一の鳥居」を撮って階段を上ってみました。
階段の上には、「二の鳥居」があって扁額「吉浜稲荷」が掛かっていました。
鳥居をくぐると、正面に赤い鳥居があって、右側には鐘楼がありました。
取り敢えず、右側にあった鐘楼(所有は最上寺?)を撮ってみましたが、右に見える建物は最上寺の庫裡です。
ついでに、左側にあった手水舎も撮ってみました。
赤い鳥居の先にある拝殿に行ってみることにしました。
由緒ありそうな拝殿を撮って、どうにかここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
向拝には、4つの鈴緒があって、「妙寶稲荷社」や「妙法稲荷社」からの奉納額もありました。
ご覧のような鳥居の奉納額があったので撮ってみました。
境内の右側には、ご覧のような祠が所狭しと置かれていました。
<最上寺(さいじょうじ)>
鐘楼の脇を通って、最上寺の階段に出たので階段の下の方を撮ってみました。
取り敢えず、最上寺の階段から鐘楼を撮ってみました。
ご覧のような急な階段を上って最上寺に向かいました。
階段を上り始めると左側の大木の洞に、石のような物が詰められていたので撮ってみました。
念のため大木の上の方を見ると、ご覧のような葉っぱが生い茂っていました。
階段を上ると、芝生の境内があって、奥には赤い屋根の本堂がありました。
尚、上から見えた赤い屋根の寺社は、吉浜稲荷神社ではなく最上寺だったようです。
取り敢えず、本堂を撮ってお参りをすることにしました。
お参りしてから、本堂に掲げられている山号「千歳山」を撮ってみました。
本堂の扉が開いていたので、失礼して堂内を撮らせて頂きました。
素晴らしい天蓋をアップで撮ってみました。
奥に、日蓮聖人(?)が祀ってあったのでアップで撮ってみました。
本堂の右側は、ご覧のようになっていて、国道に出るには来た道を戻るのが早そうです。
階段の下り口の先に、吉浜稲荷神社の拝殿の屋根が見えたので撮ってみました。
又、階段の下り口近くに、戦没者慰霊碑があったので撮ってみました。
<八幡神社に向かう>
国道に戻って、吉浜橋を渡って先に行ってみました。
吉浜橋を渡っていると、右側に新崎川が見えたので撮ってみました。
<八幡神社(はちまんじんじゃ)>
国道を10分程歩くと、右側に八幡神社があったので入ってみました。
取り敢えず、八幡神社の説明案内板があったので撮ってみました。
境内には、左から社務所、鳥居、手水舎、神庫があって、鳥居の奥には拝殿がありました。
取り敢えず、手水舎に行って身を清めました。
鳥居をアップで撮って拝殿に行ってみました。
階段の下から、拝殿をアップで撮ってみました。
拝殿の手前に、可愛らしい狛犬がいたのでアップで撮ってみました。
拝殿で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
手水舎の右側にあった神庫を撮っていなかったので、手水舎と一緒に撮って、八幡神社を後にしました。
<門川(もんがわ)の道祖神>
八幡神社を出て国道に戻ると、国道の下に「門川の道祖神」があったので撮ってみました。
これで「福浦国道の道祖神」を除いて、予定の道祖神は全て回ることができました。
<湯河原駅に向かう>
昼食を食べていなかってので、途中の食事処「鮪屋」で軽く飲みながら昼食を取りました。
食事処を出て湯河原駅に向かっていると、蔵町公園に「タコ滑り台」があったので撮ってみました。
<ちぼり湯河原スイーツファクトリー>
2018年11月の「日帰りバスツアー:修善寺の紅葉」で立寄ったTIVOLIがあったので入ってみました。
取り敢えず、2階に行って工場見学をすることにしました。
お菓子を作るご覧のような道具があったので撮ってみました。
お菓子を作っているところを見学しましたが、団体でないのでゆっくり見学できました。
最後に、ご覧のようなユニホーム姿のお姉さんを撮って1階に戻りました。
当然、1階ではクッキーの試食をしました。
<湯河原駅>
湯河原駅の駅前の階段の下に着いたので、エレベータで上に行ってみました。
エレベータを降りると、京風庭園「ポケットパーク」が見えたので撮ってみました。
尚、京風庭園「ポケットパーク」は、小京都への加盟を記念して造られたみたいです。
県道75号線の脇に、庭園に下りる階段があるので行ってみました。
階段から庭園の西側を撮ってみました。
階段を下りると、左側に手水鉢があったので撮ってみました。
庭園の西側を撮って、東側に行ってみました。
途中の生根に、一升石(いっしょうせき)の説明案内板があったので撮ってみました。
説明案内板に依ると、一升石は、文化14年(1817)、小田原藩主の大久保忠真公が、湯河原町吉浜海岸から、3寸(約9cm)から4寸(約12cm)の長楕円形の石を米一升与えて集めて献上したと伝えられる所から名前が付いたみたいです。
庭園の東側に石が置いてあったのでアップで撮ってみましたが、一升石にしては大き過ぎますよね!?
京風庭園「ポケットパーク」を後に、バス乗り場に向かっていると「土肥実平公と夫人の像」があったのでアップで撮ってみました。
バス乗り場に着くと、不動滝・奥湯河原行のバスがあったので運良く乗ることが出来ました。
<湯河原温泉理想郷>
バス停「理想郷」で降りて旅館に向かいましたが、チェックイン(16時)には十分間に合いました。
今日の「真鶴駅~湯河原駅の道祖神めぐり」は、道祖神だけでなく素晴らしい寺社も見れたので大変満足しています。
尚、万歩計は、それなり歩いたので13,000歩を超えていました。
「奥湯河原:天照山ハイキング」に続く。