海岸門をくぐって右の方に進むとご覧のような案内板が出ていたので、<松風閣(展望台)・三重塔>に行ってみることにしました。
ご覧のような急な山道を折り返して登ると、正面に崖の登り道がありました。
左のなだらな山道を進んでも良かったのですが、「展望台」に行ける近道みたいだったの崖を登ってみました。
崖を登ると、ご覧のような歩き易い山道になっていました。
<松風閣(展望台)>
暫く歩くと、「展望台」の下に着きました。
本牧を埋め立てる前は見晴が良かったようですが、現在はご覧のような状態でした。
取り敢えず、眼下に広がる景色をアップで撮って、「三重塔」に向かうことにしました。
「展望台」を後に、崖の道に戻らないで山道をそのまま下ると、道端に出世観音が鎮座していました。
何故、こんなところに出世観音が鎮座しているのか?でしたが、取り敢えず御利益を祈願してお参りはしました。
<旧燈明寺三重塔(きゅうとうみょうじさんじゅうのとう)>
出世観音を越えると「三重塔」が見えてきました。
「三重塔」は京都・木津川市の燈明寺(廃寺)にあった建物を、大正3(1914)年に移築しあたものです。
尚、「三重塔」は重要文化財に指定されています。
「三重塔」を下からアップで撮ってみました。
<初音茶屋(はつねじゃや)>
「三重塔」を後に、階段の山道を下ると「初音茶屋」があって、休んでいる人がいたのでここで休憩することにしました。
「初音茶屋」は、かつて三溪園を訪れたインドのノーベル賞文学者タゴールや芥川龍之介らによって書きしるされた茶屋です。
<林洞庵(りんどうあん)>
「初音茶屋」の右に宗偏流林洞会から寄贈された「林洞庵」があったので行ってみました。
「林洞庵」には、コスプレ衣装の人達(係りの人?)が座っていたので近くには行きませんでした。
下に見える橋を渡ると茶店・待春軒に行けそうなので行ってみることにしました。
<旧燈明寺本堂(きゅうとうみょうじほんどう)>
茶店・待春軒の隣には、重要文化財に指定されている「旧燈明寺本堂」がありました。
「旧燈明寺本堂」は、「三重塔」と同じ京都・燈明寺から昭和62(1987)年に移築されたものです。
「旧燈明寺本堂」の内部を覗いてみましたが、ガランとして見るべきものはありませんでした。
「旧燈明寺本堂」の入口には<ホタル観察コーナー>の案内が出ていました。
「旧燈明寺本堂」の前の眺めが素晴らしかったので撮ってみました。
<紫陽花を激写>
「旧燈明寺本堂」を後に、茶店・待春軒の前に戻ると、植え込みに素晴らしい紫陽花が咲いていました。
紫陽花を激写している人達がいたので私も激写してみました。
<大魚地蔵>
茶店・待春軒の前を通って散策路を暫く歩くと、手に紫陽花を持った「大魚地蔵」が鎮座していました。
⇒ 説明板がなかったので由来などは判りませんが、柔和なお顔をしているお地蔵さんですね!
<旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく)>
「大魚地蔵」の後ろに見える散策路を道なりに進むと、合掌造りの「旧矢箆原家」の庭に着きました。
丁度、式を挙げたカップルの記念写真を撮っているところで、邪魔しては悪いので少し待って撮りました。
「旧矢箆原家」は庭に着いてしまったので、正面に回ったのですがかなり大きい農家です。
「旧矢箆原家」は、江戸時代後期の農家で、白川郷にあったものを昭和35(1960)年に移築したものです。
内部が見学出来るので入ってみることにしました。
土間にはご覧のような囲炉裏があって、毎日薪がくべられているようで辺りは黒光りしていました。
書院造りの座敷もあって農家にしてはかなり立派な建物です。
台所(?)には臼、杵や醤油樽も置いてありました。
屋根裏に上がることが出来たので昇ってみました。
屋根裏と云ってもご覧のような広さで、壺などの展示品を見ながら黒光りした廊下を一周出来ます。
又、めったに見ることができない合掌造りの裏側をアップで撮ってみました。
「旧矢箆原家」は庭から入ってしましたので、門から出る時に建物全体を撮ってみました。
<旧東慶寺仏殿(きゅうとうけいじぶつでん)>
「旧矢箆原家」の門の右側に「旧東慶寺仏殿」が見えたので撮ってみました。
「旧東慶寺仏殿」の正面に回る途中に、素晴らしい紫陽花が咲いていたのでアップで撮ってみました。
「旧東慶寺仏殿」は、縁切寺で有名な鎌倉・東慶寺にあった禅宗の仏堂で、江戸時代の寛永11(1634)年に建てられたものです。
又、三溪園には明治40(1907)年に移築され、重要文化財に指定されています。
<寒霞橋(かんかばし)>
「旧東慶寺仏殿」を後に散策路に戻ると、「寒霞橋」があったので行ってみました。
「寒霞橋」の上から下流方面を撮っていると、水を飲んでいる(?)鴨がいたのでアップで撮ってみました。
<横笛庵(よこぶえあん)>
「寒霞橋」の前に、田舎家風草庵があって何か光っているものが見えたので行ってみました。
傍に行ってみると、先程の新婚カップルの写真撮影をしていました。
運良く、草庵の内部が見れたのでアップで撮ってみました。
横笛は、高倉天皇中宮建礼門院に仕えた横笛で、平重盛の家臣滝口入道との悲恋で有名な女性です。
横笛は寺にこもり、入道から送られた千束の恋文をもって己の像を造ったとされています。その像がこの庵に安置されていたみたいです(第二次世界大戦で焼失)。
外苑の南外れまで来たので、これで外苑を全て見たことになります。
再び散策路に戻り「大魚地蔵」の前を通って茶店・待春軒の前にあった橋に向かいました。
<小さな橋を渡る>
橋に戻ると、「林洞庵」に座っていたコスプレ衣装の人達が橋の上に移動していました。
橋を渡って右の方に行くと、ご覧のような建物があったので撮ってみましたがトイレでした。
⇒ これは大喝!ですね!
トイレの前にご覧のような橋が架かっていたので、渡って先に行ってみることにしました。
橋の上から「大池」の先の方に「鶴翔閣」が見えて来ました。
橋を渡ると散策路の脇に萩のような紫色の花が咲いていたのでアップで撮ってみました(ボケていてすいません)が・・・
⇒ 確か萩は秋の七草でしたよね!
ご覧のよう小さな橋を渡って先に進みます。
3つ目の小さな橋を渡ると、遠くに「鶴翔閣」が見える東屋・涵花亭に着きました。
東屋・涵花亭では大勢の人達が休みながら歓談していました。
東屋・涵花亭から見えた「鶴翔閣」が素晴らしかったのでアップで撮ってみました。
<観心橋(かんしんばし)と三溪園天満宮>
「涵花亭」の前にはご覧のような「観心橋」があって、先の方に「天満宮」が見えました。
「観心橋」を渡って「天満宮」をアップで撮ってみました。
説明板に依ると、現在の「天満宮」がある辺りには大阪・観心寺から移築した社殿があって、第二次世界大戦で焼失したみたいです。
又、この社殿は、南北朝時代の武将・楠正成が、建武元(1334)年に建立し、自らの守護神・牛頭明王を祀ったと伝えられています。
これで三溪園の外苑を全て回ったので出口(正門)に向かうことにしました。
<花菖蒲園>
正門近くの花菖蒲園に素晴らしい花菖蒲が咲いていたので度アップで撮ってみました。
花菖蒲園の反対側には、葉っぱが半分白い植物があったのでアップで撮ってみました。
⇒ 病気でなければ半化粧 (はんげしょう)ですかね!?
出口(正門)で一休みしてから三溪園を出てバス停に向かいました。
昼食も食べていなかったので元町・中華街で降りて、近くにあった薬膳中華の「青葉」に入って遅い昼食をとりました。
折角、中華街に来たので中華街をぶらーりしてから、元町・中華街駅でみなとみらい線に乗って横浜駅に向かいました。
今回の「三溪園をぶらり」は、原三溪が集めた文化財(重要文化財10棟、市指定有形文化財3棟)以外に、紫陽花や花菖蒲が楽しめて満足しています。
尚、万歩計は大分歩いた関係で16,000歩を超えていました。
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