お盆も過ぎても暑い日が続いていますが、8月24日(月)は涼を求めて「田谷の洞窟」に行ってみました。
今日は平日なので、来園者も少なそうな「大船フラワーセンター」に行ってから「田谷の洞窟」に行くことにしました。
そして、熱中症対策として、「大船フラワーセンター」と「田谷の洞窟」はバスで行き来することにしました。
尚、「大船フラワーセンター」は2011年10月の「大船植物園に行ってきました(彼岸花探索2)」で行っているので約9年ぶりになります。
又、「田谷の洞窟」は2019年8月の「大船駅周辺の寺社巡り」で行っているので1年ぶりです。
<大船駅西口バスターミナルに向かう>
歩行者デッキを歩いていると、大船観音が見えたのでアップで撮ってみました。
コーナーを回ると、観音様が正面に見えるようになりました。
右側に、柏尾川に架かる新富岡橋(真下)と大和橋が見えたので撮ってみました。
バスターミナルに着いたので、「1番のりば」に向かいましたが並んでいる人はあまりいません。
「大船フラワーセンター」は、大船駅西口から3番目のバス停「岡本」で降ります。
<日比谷花壇大船フラワーセンター>
「大船フラワーセンター」に着きましたが、何故かパイプシャッターが閉まっていました。
正面入口をアップで撮ってシャッターの近くに行ってみました。
新型コロナ対策かと思ったら、毎月第2・第4月曜日は休園日でした。
「大船フラワーセンター」は、行ったことがあったのでホームページなどは調べませんでした。
しかも、名称も神奈川県立フラワーセンター大船植物園から日比谷花壇大船フラワーセンターに代わっていました。
入口の左側に、ご覧のようなケイトウ(鶏頭)が植えられていました。
折角なので、ケイトウの花をアップで撮ってみました。
又、ご覧のような千日紅(?)も咲いていたのでアップで撮ってみました。
「大船フラワーセンター」からバスで帰るのも癪に障るので歩いて帰ることにしました。
これから渡る歩道橋を撮ってみました。
県道(302号線と402号線)に挟まれた駐車場(?)に、歩道橋に行ける螺旋階段があったので撮ってみました。
歩県道302号線から歩道橋に上ってみました。
歩道橋から県道に挟まれている駐車場を撮ってみました。
ついでに、反対側の県道402号線を撮ってみました。
県道を直進して、先の交差点を左に曲がれば大船駅西口に着けます。
手前に、看板「日比谷花壇大船フラワーセンター」が出ていたので撮ってみました。
<大船駅西口に向かう>
日陰を歩きたかったので、交差点の手前にあった細い道を左に曲がりました。
道なりに10分程歩くと、左側に、ご覧のようなトンネルがある道路に出ました。
折角なので、トンネルを通って向こう側に行ってみることにしました。
トンネルの先は、ご覧のような住宅地になっていました。
トンネルを出たので反対側も撮ってみました。
ついでに、草が生い茂っているトンネルの上を撮ってみました。
トンネルの右側には、標柱「岡本地区 急傾斜地崩壊危険区域」がありました。
奥に、 急傾斜地崩壊対策工事のプレートがあったのでアップで撮ってみました。
トンネルの入り口に戻ってきましたが、トンネルの手前に、のっぽ動物病院と山猫料理店がありました。
昼食が未だだったので、山猫料理店に入ろうと思ったのですが何となく止めました。
少し先に進むと、六地蔵と碑がある玉縄首塚がありました。
中央に、ご覧のような賽銭箱(?)があったので右側の碑と一緒に撮ってみました。
碑の上部に”怨親平等”が彫られていましたが、碑文は読めませんでした。
後で、玉縄首塚を調べると、「1526年に、南房総の里見義弘が鎌倉に侵攻し、当時の玉縄城主北條氏時(北条早雲の孫)は、 大船甘糟と渡内福原の両軍と協力して里見軍をこの戸部川辺にて迎え撃ち、戦闘が終わって、城主の北條氏時は敵と味方の首を互いに交換し、これらを葬り塚を築いて霊を慰め、怨親(おんしん:敵味方)平等という考え方を示した。」と分かりました。
六地蔵の後ろには馬頭観音の石仏もありました。
大船駅西口バスターミナルに戻って来ましたが、昼食が食べられそうな食事処は見つけられませんでした。
仕方がないので、大船駅東口にある居酒屋に入って昼食を食べました。
歩行者デッキを戻っていると、県道402号線沿いにある大船観音入口が見えたので撮ってみました。
<田谷の洞窟>
大船駅西口バスターミナルに戻って「4番のりば」からバスに乗りました。
バス停「洞窟前」でバスを降りると、右(東)側に横浜環状南線(?)の工事現場が見えました。
取り敢えず、工事現場をアップで撮ってみました。
尚、横浜環状南線は、最終的には横浜環状道路や圏央道の一部に位置付けられているみたいです。
「田谷の洞窟」の入り口に遣って遣って来ました。
折角なので、看板をアップで撮ってみました。
近くに、定泉寺(じょうせんじ)の説明案内板があったのでアップで撮ってみました。
定泉寺の山号は田谷山、「田谷の洞窟」の正式名称は瑜伽洞(ゆがどう)でした。
ご覧のような階段を上って境内に入ります。
境内に入ると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。
参道の右側に、永代供養墓の大日堂があったので撮ってみました。
折角なので、大日如来像(?)をアップで撮ってみました。
参道の左側に、ご覧のような歌碑がありました。
折角なので、歌碑「御先祖乃 由縁の寺や 蝉時雨 やま」をアップで撮ってみました。
後ろに、ご覧のような厠(かわや)があったので撮ってみました。
本堂の左側に玉石があるので行ってみました。
玉石の脇には「おんばらだはんどめいうん」の札がありました。
又、後ろの板には「この玉石を右手で撫で、その手でお腹をさすると玉のような赤ちゃんが授かる」のようなことが書いてありました。
右側にあった本堂に行ってお参りすることにしました。
折角なので、正面から本堂を撮ってみました。
取り敢えず、本堂の入口を撮ってお参りをしました。
お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。
ついでに、アップでも撮らせて頂きました。
奥に祀ってあるのは、御本尊の厄除け身代り阿弥陀如来ですかね!?
本堂の前に、修行大師(諸国行脚中の弘法大師)が立っていたので撮ってみました。
折角なので、正面からアップで撮ってみました。
本堂の右側にあった受付で拝観料(400円)を払って洞窟で使う蝋燭を貰いました。
先に行くと、案内<洞窟入口 地蔵堂>があるので洞窟入口に向かいました。
洞窟の入り口の手前に着くと、浄水の上に手燭台(ローソク立て)が用意してありました。
折角なので、注意版を撮ってみました。
浄水の脇から洞窟の入り口を撮って、洞窟の入口に向かいました。
洞窟の入口付近を撮ってみました。
入口の右側に、ご覧のような石碑(左?、田谷山瑜伽洞)があったのでアップで撮ってみました。
洞窟の入口を撮って洞窟に入りますが、洞内は撮影禁止です。
洞窟入口で種火から手燭台の蝋燭に火を点けて、蝋燭の火が消えないように気を使いながら順路を回ります。
約20分で洞窟の入口に戻って来ました。
洞窟を出て左に行くと、朝比奈三郎が日夜礼拝していたと伝わている朝比奈弁才天がありました。
更に先に行くと、ご覧のような子安地蔵尊がありました。
取り敢えず、近くに行って地蔵堂を撮ってみました。
お参りしてから地蔵堂の奥のお地蔵さんを撮ってみました。
地蔵堂の左右に、小さなお地蔵さんが祀られていたので撮ってみました。
子安地蔵尊を後に先に行くと、ご覧のような池と水鉢がありました。
池に金魚が泳いでいたのでアップで撮ってみました。
流し口のある水鉢だったのでアップで撮ってみました。
バス停「洞窟前」でバスを待っていると、看板の後ろに百日紅が咲いていました。
折角なので、アップで撮ってみました。
又、バス停近くの空地に、ご覧のような百日紅が咲いていました。
良く見ると、ご覧のようなミノムシ(蓑虫)がいました。
最近は、ミノムシを見たことがないのでアップで撮ってみました。
程なくすると、大船駅行きのバスが遣って来たので乗り込むと、大船駅西口の歩行者デッキの下に着きました。
<大船観音寺>
大和橋を渡って県道402号線に出て、暫く歩くと大船観音入口に着きました。
ご覧のような道路を歩いて、突き当りを左に行けば大船観音の参道に出ます。
参道の入口に着いたのでアップで撮ってみました。
ご覧のような坂道を上って、山門に向かいました。
途中の左下に、大船駅西口バスターミナルが見えたので撮ってみました。
ご覧のような山門に着きましたが、受付に人はいませんでした。
山門に「こちらに参拝料をご奉納ください。」の案内が出ていたので、山門を撮って参拝料(300円)を納めました。
山門を通って右手に行くと、ご覧のような休憩所がありました。
休憩所の後ろに、大船鳶職組合が納めた慰霊碑があったので撮ってみました。
階段の下に、大船観世音と刻まれた石碑があったので撮ってみました。
又、左側には鎌倉市戦没者の英霊碑がありました。
取り敢えず、階段の下から観音様を撮ってみました。
観音様と一緒に鐘楼を撮ってみました。
これまで、鐘楼に行ったことがないので、帰りに行ってみることにしました。
階段を上りながら、柔和なお顔の観音様をアップで撮ってみました。
階段の上に着いたので、香炉と一緒に観音様を撮ってみました。
香炉の左側から、観音様をアップで撮ってみました。
香炉の先に、ご覧のような賽銭箱がありました。
首飾りが気になったので、再度、観音様をアップで撮ってみました。
因みに、観音様は男性でも女性でもありません。
折角なので、柔和なお顔の観音様をアップで撮ってみました。
見事な首飾りを度アップでも撮ってみました。
階段の右側に、玉縄桜(たまなわざくら)の名札が付いている桜の木がありました。
折角なので、玉縄桜の近くに行って撮ってみました。
尚、玉縄桜は「大船フラワーセンター」で染井吉野の早咲きの中から選定・育成されたもので、1990年に品種登録されています。
ご覧のような通路を通って、観音様の後ろに行ってみました。
観音様を斜めから拝むと、微笑みかけているように見えました。
通路の先に行くと、句碑と「縁結びめおと桜」がありました。
折角なので、句碑「御前に 結ぶゑにしや 紅しだれ」をアップで撮ってみましたが、夫婦やカップルでお参りすると良さそうですね!
木が生い茂っている、ご覧のような通路を先に行ってみました。
通路の右側に、根が剥き出しになっている木があったので撮ってみました。
ついでに、斜め下から観音様のお顔をアップで撮ってみました。
観音様の後ろに着いたので、ご覧のような鉄階段を上って観音様の胎内に入ってみました。
胎内には、小さな観音様(20分の1サイズ)が祀られていたのでアップで撮ってみました。
折角なので、お顔をアップで撮ってみました。
ご覧のような小部屋が並んでいたので撮ってみました。
取り敢えず、左側の小部屋に入ってみました。
観音様のお顔が重なって描かれている絵がありましたが、何故、こんな絵が展示されているのでしょうね!?
右側の小部屋には、千体仏が供養されていました。
又、手前には、千体仏無料講習会の案内「千体仏を彫ってみませんか?」が出ていました。
折角なので、千体仏の一部をアップで撮ってみました。
胎内の右側には、千羽鶴が飾られている「お願い」がある小部屋がありました。
。
取り敢えず、アップで撮ってみました。
尚、「お願い」は平成14年(2002)の大船観音像復元志納金のお願いでした。
胎内から外に出て鉄階段を下りると、右側に菩提塔(?)があったのでアップで撮ってみました。
売店の脇から鐘楼へは行けそうにないので、急な階段を下りてみました。
階段を下りると、慈光堂があるので撮ってみました(いつ来ても逆光で上手く撮れません)。
取り敢えず、扁額を撮ってお参りをしました。
お参りしてから、堂内をアップで撮らせて頂きました。
ご覧のような急な石段を下に行ってみました。
石段の下に、子育地蔵尊があるのでアップで撮ってみました。
近くに、厄除け地蔵尊もあったので撮ってみました。
厄除け地蔵尊の右手に、戦没者慰霊碑があったので撮ってみました。
境内の奥に、原爆慰霊碑があるので行ってみました。
尚、上に見える建物は慈光堂です。
取り敢えず、平和祈念碑と原爆で被爆した瓦・石を撮ってみました。
原爆で被爆した瓦・石を浄財と一緒に撮ってみました。
ついでに、原爆の分火が灯っている「原爆の火」も撮ってみました。
鐘楼の入り口が分からなかったので、照心閣(本堂・寺務所)で尋ねてみると、鐘楼は立入禁止になっていると云うことでした。
仕方がないので、鐘楼(大梵鐘)を下からアップで撮ってみました。
確かに、鐘楼の入り口はKEEP OUT(立入禁止)になっていました。
山門を通って、ご覧のような参道を下って大船観音を後にしました。
<黙仙寺(もくせんじ)>
大船観音の入り口を出で、県道402号線に向かって歩いていると、曲がり角の先にお寺があったので行ってみました。
階段の右側には「金剛経道場黙仙寺」と山号「無我相山」の標柱が建っていました。
急な階段を上っていると、右側に、ご覧のような石碑がありました。
右側は「子育地蔵尊」と分かりましたが、左側は達筆で分かりませんでした。
石段の上に出たので、参道を撮ってみました。
参道の右側にも、ご覧のような石碑「金剛道?」があったので撮ってみました。
参道の左側は、「岡本1丁目地区 急傾斜地崩壊危険区域」になっていました。
参道の先に、ご覧のような建物があって左側には階段がありました。
階段の上は個人宅のようなので、正面の建物を撮ってお参りをしました。
後で調べたら、この建物は黙仙寺の寺務所で、本堂は階段を上った見晴らしの良い場所にあるみたいでした(機会があれば再訪してみます)。
急な階段を下りて来たので、黙仙寺の入口を撮って県道に出て大船駅に向かいました。
大船駅に着いたので、昼間に入った東口の居酒屋に入って喉を潤しました。
今回の『涼を求めて「田谷の洞窟」』は、「大船フラワーセンター」には行けませんでしたが、短時間でしたが「田谷の洞窟」で涼が取れたのは良かったです。
又、鎌倉市の玉縄地域に因んだ玉縄首塚や玉縄桜があったのは新しい発見でしたが、急傾斜地崩壊危険区域が2ヶ所もあったのには驚きました。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので14,000歩を超えていました。
今日は平日なので、来園者も少なそうな「大船フラワーセンター」に行ってから「田谷の洞窟」に行くことにしました。
そして、熱中症対策として、「大船フラワーセンター」と「田谷の洞窟」はバスで行き来することにしました。
尚、「大船フラワーセンター」は2011年10月の「大船植物園に行ってきました(彼岸花探索2)」で行っているので約9年ぶりになります。
又、「田谷の洞窟」は2019年8月の「大船駅周辺の寺社巡り」で行っているので1年ぶりです。
<大船駅西口バスターミナルに向かう>
歩行者デッキを歩いていると、大船観音が見えたのでアップで撮ってみました。
コーナーを回ると、観音様が正面に見えるようになりました。
右側に、柏尾川に架かる新富岡橋(真下)と大和橋が見えたので撮ってみました。
バスターミナルに着いたので、「1番のりば」に向かいましたが並んでいる人はあまりいません。
「大船フラワーセンター」は、大船駅西口から3番目のバス停「岡本」で降ります。
<日比谷花壇大船フラワーセンター>
「大船フラワーセンター」に着きましたが、何故かパイプシャッターが閉まっていました。
正面入口をアップで撮ってシャッターの近くに行ってみました。
新型コロナ対策かと思ったら、毎月第2・第4月曜日は休園日でした。
「大船フラワーセンター」は、行ったことがあったのでホームページなどは調べませんでした。
しかも、名称も神奈川県立フラワーセンター大船植物園から日比谷花壇大船フラワーセンターに代わっていました。
入口の左側に、ご覧のようなケイトウ(鶏頭)が植えられていました。
折角なので、ケイトウの花をアップで撮ってみました。
又、ご覧のような千日紅(?)も咲いていたのでアップで撮ってみました。
「大船フラワーセンター」からバスで帰るのも癪に障るので歩いて帰ることにしました。
これから渡る歩道橋を撮ってみました。
県道(302号線と402号線)に挟まれた駐車場(?)に、歩道橋に行ける螺旋階段があったので撮ってみました。
歩県道302号線から歩道橋に上ってみました。
歩道橋から県道に挟まれている駐車場を撮ってみました。
ついでに、反対側の県道402号線を撮ってみました。
県道を直進して、先の交差点を左に曲がれば大船駅西口に着けます。
手前に、看板「日比谷花壇大船フラワーセンター」が出ていたので撮ってみました。
<大船駅西口に向かう>
日陰を歩きたかったので、交差点の手前にあった細い道を左に曲がりました。
道なりに10分程歩くと、左側に、ご覧のようなトンネルがある道路に出ました。
折角なので、トンネルを通って向こう側に行ってみることにしました。
トンネルの先は、ご覧のような住宅地になっていました。
トンネルを出たので反対側も撮ってみました。
ついでに、草が生い茂っているトンネルの上を撮ってみました。
トンネルの右側には、標柱「岡本地区 急傾斜地崩壊危険区域」がありました。
奥に、 急傾斜地崩壊対策工事のプレートがあったのでアップで撮ってみました。
トンネルの入り口に戻ってきましたが、トンネルの手前に、のっぽ動物病院と山猫料理店がありました。
昼食が未だだったので、山猫料理店に入ろうと思ったのですが何となく止めました。
少し先に進むと、六地蔵と碑がある玉縄首塚がありました。
中央に、ご覧のような賽銭箱(?)があったので右側の碑と一緒に撮ってみました。
碑の上部に”怨親平等”が彫られていましたが、碑文は読めませんでした。
後で、玉縄首塚を調べると、「1526年に、南房総の里見義弘が鎌倉に侵攻し、当時の玉縄城主北條氏時(北条早雲の孫)は、 大船甘糟と渡内福原の両軍と協力して里見軍をこの戸部川辺にて迎え撃ち、戦闘が終わって、城主の北條氏時は敵と味方の首を互いに交換し、これらを葬り塚を築いて霊を慰め、怨親(おんしん:敵味方)平等という考え方を示した。」と分かりました。
六地蔵の後ろには馬頭観音の石仏もありました。
大船駅西口バスターミナルに戻って来ましたが、昼食が食べられそうな食事処は見つけられませんでした。
仕方がないので、大船駅東口にある居酒屋に入って昼食を食べました。
歩行者デッキを戻っていると、県道402号線沿いにある大船観音入口が見えたので撮ってみました。
<田谷の洞窟>
大船駅西口バスターミナルに戻って「4番のりば」からバスに乗りました。
バス停「洞窟前」でバスを降りると、右(東)側に横浜環状南線(?)の工事現場が見えました。
取り敢えず、工事現場をアップで撮ってみました。
尚、横浜環状南線は、最終的には横浜環状道路や圏央道の一部に位置付けられているみたいです。
「田谷の洞窟」の入り口に遣って遣って来ました。
折角なので、看板をアップで撮ってみました。
近くに、定泉寺(じょうせんじ)の説明案内板があったのでアップで撮ってみました。
定泉寺の山号は田谷山、「田谷の洞窟」の正式名称は瑜伽洞(ゆがどう)でした。
ご覧のような階段を上って境内に入ります。
境内に入ると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。
参道の右側に、永代供養墓の大日堂があったので撮ってみました。
折角なので、大日如来像(?)をアップで撮ってみました。
参道の左側に、ご覧のような歌碑がありました。
折角なので、歌碑「御先祖乃 由縁の寺や 蝉時雨 やま」をアップで撮ってみました。
後ろに、ご覧のような厠(かわや)があったので撮ってみました。
本堂の左側に玉石があるので行ってみました。
玉石の脇には「おんばらだはんどめいうん」の札がありました。
又、後ろの板には「この玉石を右手で撫で、その手でお腹をさすると玉のような赤ちゃんが授かる」のようなことが書いてありました。
右側にあった本堂に行ってお参りすることにしました。
折角なので、正面から本堂を撮ってみました。
取り敢えず、本堂の入口を撮ってお参りをしました。
お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。
ついでに、アップでも撮らせて頂きました。
奥に祀ってあるのは、御本尊の厄除け身代り阿弥陀如来ですかね!?
本堂の前に、修行大師(諸国行脚中の弘法大師)が立っていたので撮ってみました。
折角なので、正面からアップで撮ってみました。
本堂の右側にあった受付で拝観料(400円)を払って洞窟で使う蝋燭を貰いました。
先に行くと、案内<洞窟入口 地蔵堂>があるので洞窟入口に向かいました。
洞窟の入り口の手前に着くと、浄水の上に手燭台(ローソク立て)が用意してありました。
折角なので、注意版を撮ってみました。
浄水の脇から洞窟の入り口を撮って、洞窟の入口に向かいました。
洞窟の入口付近を撮ってみました。
入口の右側に、ご覧のような石碑(左?、田谷山瑜伽洞)があったのでアップで撮ってみました。
洞窟の入口を撮って洞窟に入りますが、洞内は撮影禁止です。
洞窟入口で種火から手燭台の蝋燭に火を点けて、蝋燭の火が消えないように気を使いながら順路を回ります。
約20分で洞窟の入口に戻って来ました。
洞窟を出て左に行くと、朝比奈三郎が日夜礼拝していたと伝わている朝比奈弁才天がありました。
更に先に行くと、ご覧のような子安地蔵尊がありました。
取り敢えず、近くに行って地蔵堂を撮ってみました。
お参りしてから地蔵堂の奥のお地蔵さんを撮ってみました。
地蔵堂の左右に、小さなお地蔵さんが祀られていたので撮ってみました。
子安地蔵尊を後に先に行くと、ご覧のような池と水鉢がありました。
池に金魚が泳いでいたのでアップで撮ってみました。
流し口のある水鉢だったのでアップで撮ってみました。
バス停「洞窟前」でバスを待っていると、看板の後ろに百日紅が咲いていました。
折角なので、アップで撮ってみました。
又、バス停近くの空地に、ご覧のような百日紅が咲いていました。
良く見ると、ご覧のようなミノムシ(蓑虫)がいました。
最近は、ミノムシを見たことがないのでアップで撮ってみました。
程なくすると、大船駅行きのバスが遣って来たので乗り込むと、大船駅西口の歩行者デッキの下に着きました。
<大船観音寺>
大和橋を渡って県道402号線に出て、暫く歩くと大船観音入口に着きました。
ご覧のような道路を歩いて、突き当りを左に行けば大船観音の参道に出ます。
参道の入口に着いたのでアップで撮ってみました。
ご覧のような坂道を上って、山門に向かいました。
途中の左下に、大船駅西口バスターミナルが見えたので撮ってみました。
ご覧のような山門に着きましたが、受付に人はいませんでした。
山門に「こちらに参拝料をご奉納ください。」の案内が出ていたので、山門を撮って参拝料(300円)を納めました。
山門を通って右手に行くと、ご覧のような休憩所がありました。
休憩所の後ろに、大船鳶職組合が納めた慰霊碑があったので撮ってみました。
階段の下に、大船観世音と刻まれた石碑があったので撮ってみました。
又、左側には鎌倉市戦没者の英霊碑がありました。
取り敢えず、階段の下から観音様を撮ってみました。
観音様と一緒に鐘楼を撮ってみました。
これまで、鐘楼に行ったことがないので、帰りに行ってみることにしました。
階段を上りながら、柔和なお顔の観音様をアップで撮ってみました。
階段の上に着いたので、香炉と一緒に観音様を撮ってみました。
香炉の左側から、観音様をアップで撮ってみました。
香炉の先に、ご覧のような賽銭箱がありました。
首飾りが気になったので、再度、観音様をアップで撮ってみました。
因みに、観音様は男性でも女性でもありません。
折角なので、柔和なお顔の観音様をアップで撮ってみました。
見事な首飾りを度アップでも撮ってみました。
階段の右側に、玉縄桜(たまなわざくら)の名札が付いている桜の木がありました。
折角なので、玉縄桜の近くに行って撮ってみました。
尚、玉縄桜は「大船フラワーセンター」で染井吉野の早咲きの中から選定・育成されたもので、1990年に品種登録されています。
ご覧のような通路を通って、観音様の後ろに行ってみました。
観音様を斜めから拝むと、微笑みかけているように見えました。
通路の先に行くと、句碑と「縁結びめおと桜」がありました。
折角なので、句碑「御前に 結ぶゑにしや 紅しだれ」をアップで撮ってみましたが、夫婦やカップルでお参りすると良さそうですね!
木が生い茂っている、ご覧のような通路を先に行ってみました。
通路の右側に、根が剥き出しになっている木があったので撮ってみました。
ついでに、斜め下から観音様のお顔をアップで撮ってみました。
観音様の後ろに着いたので、ご覧のような鉄階段を上って観音様の胎内に入ってみました。
胎内には、小さな観音様(20分の1サイズ)が祀られていたのでアップで撮ってみました。
折角なので、お顔をアップで撮ってみました。
ご覧のような小部屋が並んでいたので撮ってみました。
取り敢えず、左側の小部屋に入ってみました。
観音様のお顔が重なって描かれている絵がありましたが、何故、こんな絵が展示されているのでしょうね!?
右側の小部屋には、千体仏が供養されていました。
又、手前には、千体仏無料講習会の案内「千体仏を彫ってみませんか?」が出ていました。
折角なので、千体仏の一部をアップで撮ってみました。
胎内の右側には、千羽鶴が飾られている「お願い」がある小部屋がありました。
。
取り敢えず、アップで撮ってみました。
尚、「お願い」は平成14年(2002)の大船観音像復元志納金のお願いでした。
胎内から外に出て鉄階段を下りると、右側に菩提塔(?)があったのでアップで撮ってみました。
売店の脇から鐘楼へは行けそうにないので、急な階段を下りてみました。
階段を下りると、慈光堂があるので撮ってみました(いつ来ても逆光で上手く撮れません)。
取り敢えず、扁額を撮ってお参りをしました。
お参りしてから、堂内をアップで撮らせて頂きました。
ご覧のような急な石段を下に行ってみました。
石段の下に、子育地蔵尊があるのでアップで撮ってみました。
近くに、厄除け地蔵尊もあったので撮ってみました。
厄除け地蔵尊の右手に、戦没者慰霊碑があったので撮ってみました。
境内の奥に、原爆慰霊碑があるので行ってみました。
尚、上に見える建物は慈光堂です。
取り敢えず、平和祈念碑と原爆で被爆した瓦・石を撮ってみました。
原爆で被爆した瓦・石を浄財と一緒に撮ってみました。
ついでに、原爆の分火が灯っている「原爆の火」も撮ってみました。
鐘楼の入り口が分からなかったので、照心閣(本堂・寺務所)で尋ねてみると、鐘楼は立入禁止になっていると云うことでした。
仕方がないので、鐘楼(大梵鐘)を下からアップで撮ってみました。
確かに、鐘楼の入り口はKEEP OUT(立入禁止)になっていました。
山門を通って、ご覧のような参道を下って大船観音を後にしました。
<黙仙寺(もくせんじ)>
大船観音の入り口を出で、県道402号線に向かって歩いていると、曲がり角の先にお寺があったので行ってみました。
階段の右側には「金剛経道場黙仙寺」と山号「無我相山」の標柱が建っていました。
急な階段を上っていると、右側に、ご覧のような石碑がありました。
右側は「子育地蔵尊」と分かりましたが、左側は達筆で分かりませんでした。
石段の上に出たので、参道を撮ってみました。
参道の右側にも、ご覧のような石碑「金剛道?」があったので撮ってみました。
参道の左側は、「岡本1丁目地区 急傾斜地崩壊危険区域」になっていました。
参道の先に、ご覧のような建物があって左側には階段がありました。
階段の上は個人宅のようなので、正面の建物を撮ってお参りをしました。
後で調べたら、この建物は黙仙寺の寺務所で、本堂は階段を上った見晴らしの良い場所にあるみたいでした(機会があれば再訪してみます)。
急な階段を下りて来たので、黙仙寺の入口を撮って県道に出て大船駅に向かいました。
大船駅に着いたので、昼間に入った東口の居酒屋に入って喉を潤しました。
今回の『涼を求めて「田谷の洞窟」』は、「大船フラワーセンター」には行けませんでしたが、短時間でしたが「田谷の洞窟」で涼が取れたのは良かったです。
又、鎌倉市の玉縄地域に因んだ玉縄首塚や玉縄桜があったのは新しい発見でしたが、急傾斜地崩壊危険区域が2ヶ所もあったのには驚きました。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので14,000歩を超えていました。
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