「伊豆をぶらり(清雲寺・安楽寺・土肥神社編)」から続く。
9月1日(火)は、12:10発の駿河湾フェリーに乗ることになったので、帰りは次のようにしました。
土肥温泉-(徒歩)-土肥港-(駿河湾フェリー)-清水港-(バス)-清水駅-(東海道本線)-三島駅-(新幹線)-新横浜駅-(JR横浜線)-町田駅-(小田急線)-大和駅
尚、午前中は松原公園と龕附天正金鉱(がんつきてんしょうきんこう)に行ってみることにしました。
<土肥大橋>
チェックアウト前に旅館を出て、土肥大橋を渡って松原公園に向かいました。
土肥大橋から土肥温泉の「黄金の湯」が見える松原公園を撮ってみました。
松原大橋の奥にあった駿河湾に船が見えたので撮ってみました。
アップで撮ると、第1便(9:20発)の駿河湾フェリーみたいでした。
<松原公園>
ご覧のような芝生広場のある松原公園に着きました。
右側に、世界一の花時計があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような展望台に上って世界一の花時計を見ることにしました。
世界一の花時計は、直径31m・長針の長さ12.5m・短針の長さ8.8mあります。
折角なのでアップで撮ってみました。
観光案内所の後ろにあった松林に行ってみました。
ご覧のような彫塑があったので撮ってみました。
奥の方にも、彫塑があったのでアップで撮ってみました。
島木赤彦の歌碑『土肥の海榜ぎ出いでて見れば白雪を天に懸かけたり富士の高根は 富士が根はさはるものなし久方の天ゆ傾きて海に至るまで』があったので撮ってみました。
若山牧水の歌碑『ひそまりてひさしく見ればとほ山の ひなたの冬木かぜさわぐらし』もあったので撮ってみました。
向かい側にも、ご覧のような青像があったので撮ってみました。
ご覧のような園路を通って先に行ってみました。
ここにも、裸婦の彫塑があったので撮ってみました。
大場美夜子の歌碑 『なめらかな海に裳(すそ)を引く春の富士』があったので撮ってみました。
歌碑の後ろにあった海岸に出ると、赤い灯台(土肥港南防波堤灯台)が見えたので撮ってみました。
折角なので、土肥赤灯台を倍率を上げて撮ってみました。
ついでに、駿河湾フェリー乗り場のある土肥港方面を撮ってみました。
先の方にある海岸沿いの散策路を撮って公園に戻りました。
公園に戻ると、ご覧のような裸婦の彫塑があったので撮ってみました。
松原公園の外れに遣って来ました。
園路の脇に、ご覧のようなアロエがあったので撮ってみました。
松原公園の出入口を撮って公園を後にしました。
海岸沿いの散策路を歩いている、ご覧のようなハイビスカス(?)が咲いていました。
折角なので、ハイビスカスをアップで撮ってみました。
ついでに、反対側からも撮ってみました。
散策路から振り向くと、土肥赤灯台が見えたので撮ってみました。
又、駿河湾フェリー乗り場のある土肥港が見えたので撮ってみました。
折角なので、土肥港をアップで撮ってみました。
海岸に、津波対策施設の門扉があったので撮ってみました。
更に、散策路の先に行ってみました。
散策路に橋が架かっていましたが、先はホテル(?)の敷地内のようなので橋を渡るのは止めました。
折角なので、小川が流れ込んでいる河口をアップで撮ってみました。
ついでに、近くに見えた土肥港をアップで撮ってみました。
尚、右側にある緑色のゲートはフェリーの船着場みたいです。
橋の下の小川には、ご覧のような樋門(ひもん) があって扉が付いていました。
堤防に上がって、樋門に流れ込んでいる小川を撮ってみました。
ついでに、下流の橋も撮ってみました。
堤防から下りて、樋門をアップで撮ってみました。
小川の先の方に、国道が見えたので行ってみました。
ご覧のような道に出たので、右に曲がれば国道136号線に出れそうでした。
国道に出る手前の家の庭に、ご覧のようなブーゲンビリアが咲いていました。
素晴らしいブーゲンビリアだったのでアップで撮ってみました。
国道の横断歩道に、ヴィラ オン・ザ・ビーチの案内があったので先程のホテルですね!
<龕附天正金鉱(がんつきてんしょうきんこう)>
国道136号線に出て、土肥港方面に向かって暫く歩くと龕附天正金鉱に着きました。
尚、「龕」が作られている坑道は珍しく、伊豆市の文化財に指定されています。
ご覧のような天正金鉱の坑道の入り口があったので撮ってみました。
取り合え、受付に行ってみました。
見学料金(800円)を払うと、竹の杖をついたお爺さんが案内してくれました。
受付の後ろに、柿木間歩 坑道略図や棕櫚があったので撮ってみました。
折角なので、柿木間歩 坑道略図をアップで撮ってみました。
因みに、柿木間歩の”柿木”は地名、間歩は坑道の意味のようです。
先程の坑道には行かないで、山麓の精錬所跡に連れて行かれました。
この精錬所跡は、昭和40年代の発掘調査で見つかった金の精錬所跡です。
精錬所跡の前に、鍰(からみ)を入れた器があったので撮ってみました。
鍰は金を精錬した時に出たカスです。
右側の岩に、大判(?)と日光東照宮大金幣御守が埋め込まれていたので撮ってみました。
精錬所跡を後に、来た道を戻って棕櫚の手前にあった山道を上ります。
山道の下に、ご覧のような祠(?)があったので撮ってみました。
山道を上ると、手書きの伊豆の鉱山図があったので撮ってみました。
龕附天正金鉱のある鉱山図をアップで撮ってみました。
尚、丸印のある場所は金山があった所みたいです。
山道の斜面に、金の精錬方法を描いたパネルがありました。
先代が手作りしたパネルのようで、時代を感じさせる素晴らしい作品なので全て撮ってみました。
山道の左側にあった小屋には、金鉱石に関する資料が展示されていました。
土肥鉱山(左)と清越鉱山(右)の金銀の鉱石があったので撮ってみました。
折角なので、土肥鉱山の金銀の鉱石をアップで撮ってみました。
説明に依ると、金鉱石1t当たりの金の含有量は7gみたいです。
金鉱石を砕く石や硯の資料もありました。
又、大判・小判のレプリカも展示されていました。
大判(おおばん)は、小判の10倍で通用したのではなく、主として儀礼・贈答などに用いられたみたいです。
小屋を後に山道を上ると、金山の採掘の様子が描かれている「我国古代の金山採掘」があったので撮ってみました。
傍に、説明案内板「龕附天正金鉱」があったので撮ってみました。
龕附天正金鉱は、天正5年(1577)から採掘されたもので、金槌(かなづち)と鑿(のみ)の手掘りで、全長は約33間(60m)あるみたいです。
次は、柿木間歩(かきのきまぶ)の看板が掛かっている抗口(坑道の入り口)に到着しました。
杖をついている案内人のお爺さんは、さっさと坑道に入って行きます。
折角なので、坑道の手前にあった案内板「指定文化財」を撮って後に付いて行きました。
早速、坑内の岩壁をアップで撮ってみました。
ご覧のような尺取り「長さを測った印」があったのでアップで撮ってみました。
坑道略図に描かれていた天井階段を下ります。
坑道は、手の届く範囲だけを掘っていたので、天井も低く人ひとりが通れる位の広さでした。
ガマ「自然の空洞」の案内板があったので撮ってみました。
工具棚の脇を通って、案内人のお爺さんはどんどん先に行きます。
サカサ階段「空気の対流装置」の案内板がありました。
サカサ階段は、対流を良くする換気抗で上には換気口も見えました。
又、脇には、ご覧のような案内板も出ていました。
坑内の天井や横壁には、ご覧のような手掘りの痕跡が残っていました。
この先には、龕があるので一人で行くように云われました。
龕(がん)は、洞窟の奥の壁面に仏像・仏具などを納めるために掘った窪みで、「これ以上は掘り進めてはいけない」「山の神を鎮める」という意味があります。
取り敢えず、龕(がん)の案内板を撮ってみました。
早速、龕を撮ってみました。
折角なので、龕をアップで撮ってみました。
龕の手前の天井をアップで戻って来ました。
案内人のお爺さんが待っている場所に戻って来ました。
ご覧のような階段を下って出口に向かいました。
途中、金と銀と書かれている壁がありましたが、掘ると金や銀が出てくるのですかね!?
階段を暫く下ると、ご覧のような出口に着きました。
折角なので、出口をアップで撮ってみました。
出口の近くに、石切り場の案内板が出ていました。
アップで撮ると、「東京品川の御台場の石を切り取った場所」となっていました。
ご覧のような山道を下って、受付のあった場所に戻りました。
受付の手前に戻って来ると、左の奥に精錬所跡と坑口の手前にあった棕櫚が見えました。
案内人のお爺さんが受付に戻ってしまったので、最初に見えた天正金鉱に行ってみました。
取り敢えず、洞穴に入ってみました。
この洞穴は、金銀鉱脈の手掘り体験ができる処でした。
手掘り体験をしても仕方がないので、洞穴の奥を撮って外に出ました。
駐車場の出入口に、ご覧のような蘇鉄(?)があったので撮って、龕附天正金鉱を後にしました。
<駿河湾フェリー土肥港>
国道を渡ると、火振川(ひぶりがわ)に架かる火振橋があったので撮ってみました。
因みに、火振川流域は、古墳時代~縄文時代のものと推定される宿ヶ根遺跡や火振遺跡が発見されています。
国道沿いの松の木を眺めながら、駿河湾フェリーの乗り場のある土肥港に向かいます。
ご覧のような国道沿いの坂道を上って土肥港に向かいました。
坂道の上に着くと、バス停「土肥港」がありました。
近くに案内図「伊豆半島ジオパーク」があったので撮ってみました。
左側には、駿河湾フェリーの案内が出ていました。
折角なので、土肥港の沖に見えた駿河湾を撮ってみました。
清水港(?)の後ろに見えた山並をアップで撮ってみました。
ついでに、旅人岬(?)もアップで撮ってみました。
旅人岬の手前の右側には、土肥赤灯台も見えました。
又、松原公園の先ある赤茶色の建物の粋松亭が見えたので撮ってみました。
土肥港に行く坂道を下っていると、斜面にブーゲンビリアが咲いていました。
良く見ると、ピンク色と赤い色のブーゲンビリアが咲いていました。
素晴らしいブーゲンビリアだったので倍率を上げて撮ってみました。
取り敢えず、フェリー乗り場の待合場所に行って乗船券(2,300円)を購入しました。
ついでに、フェリー時刻表も撮ってみました。
又、駿河湾フェリー航路に、現在地が出ている地図があったので撮ってみました。
少し早かったのですが、埠頭を通ってフェリー乗り場に行ってみることにしました。
埠頭から海を撮ってみました。
素晴らしい色合いの海を倍率を上げて撮ってみました。
又、旅人岬が見えたのでアップで撮ってみました。
フェリーのゲートの前に遣って来ました。
折角なので、フェリーゲートをアップで撮ってみました。
沖の方に船が見えたので度アップで撮ってみました(これから入港するフェリー?)。
フェリーゲートの左側も撮ってみました。
フェリー乗り場の奥には、ご覧のような庭がある建物(土肥浄化センター?)がありました。
扉が閉まっていて中に入れなかったので、扉越に庭を撮ってみました。
フェリーゲートの正面に「ようこそ伊豆へ」があったので撮ってみました。
近くにベンチがあったので、一休みしながら埠頭の先に見えた土肥温泉を撮ってみました。
暫くすると、先程のフェリーが遣って来たのでアップで撮ってみました。
大分、近くに見えるようになったのでアップで撮ってみました。
フェリーは徐々に向きを変えて、横向きになってしまいました。
更に向きを変えて、沖に向かって動き出しました。
フェリーの船尾が見え始めたのでアップで撮ってみました。
折角なので、ゲートに入った駿河湾フェリーを撮ってみました。
「伊豆をぶらり(駿河湾フェリー・清水港編)」に続く。
9月1日(火)は、12:10発の駿河湾フェリーに乗ることになったので、帰りは次のようにしました。
土肥温泉-(徒歩)-土肥港-(駿河湾フェリー)-清水港-(バス)-清水駅-(東海道本線)-三島駅-(新幹線)-新横浜駅-(JR横浜線)-町田駅-(小田急線)-大和駅
尚、午前中は松原公園と龕附天正金鉱(がんつきてんしょうきんこう)に行ってみることにしました。
<土肥大橋>
チェックアウト前に旅館を出て、土肥大橋を渡って松原公園に向かいました。
土肥大橋から土肥温泉の「黄金の湯」が見える松原公園を撮ってみました。
松原大橋の奥にあった駿河湾に船が見えたので撮ってみました。
アップで撮ると、第1便(9:20発)の駿河湾フェリーみたいでした。
<松原公園>
ご覧のような芝生広場のある松原公園に着きました。
右側に、世界一の花時計があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような展望台に上って世界一の花時計を見ることにしました。
世界一の花時計は、直径31m・長針の長さ12.5m・短針の長さ8.8mあります。
折角なのでアップで撮ってみました。
観光案内所の後ろにあった松林に行ってみました。
ご覧のような彫塑があったので撮ってみました。
奥の方にも、彫塑があったのでアップで撮ってみました。
島木赤彦の歌碑『土肥の海榜ぎ出いでて見れば白雪を天に懸かけたり富士の高根は 富士が根はさはるものなし久方の天ゆ傾きて海に至るまで』があったので撮ってみました。
若山牧水の歌碑『ひそまりてひさしく見ればとほ山の ひなたの冬木かぜさわぐらし』もあったので撮ってみました。
向かい側にも、ご覧のような青像があったので撮ってみました。
ご覧のような園路を通って先に行ってみました。
ここにも、裸婦の彫塑があったので撮ってみました。
大場美夜子の歌碑 『なめらかな海に裳(すそ)を引く春の富士』があったので撮ってみました。
歌碑の後ろにあった海岸に出ると、赤い灯台(土肥港南防波堤灯台)が見えたので撮ってみました。
折角なので、土肥赤灯台を倍率を上げて撮ってみました。
ついでに、駿河湾フェリー乗り場のある土肥港方面を撮ってみました。
先の方にある海岸沿いの散策路を撮って公園に戻りました。
公園に戻ると、ご覧のような裸婦の彫塑があったので撮ってみました。
松原公園の外れに遣って来ました。
園路の脇に、ご覧のようなアロエがあったので撮ってみました。
松原公園の出入口を撮って公園を後にしました。
海岸沿いの散策路を歩いている、ご覧のようなハイビスカス(?)が咲いていました。
折角なので、ハイビスカスをアップで撮ってみました。
ついでに、反対側からも撮ってみました。
散策路から振り向くと、土肥赤灯台が見えたので撮ってみました。
又、駿河湾フェリー乗り場のある土肥港が見えたので撮ってみました。
折角なので、土肥港をアップで撮ってみました。
海岸に、津波対策施設の門扉があったので撮ってみました。
更に、散策路の先に行ってみました。
散策路に橋が架かっていましたが、先はホテル(?)の敷地内のようなので橋を渡るのは止めました。
折角なので、小川が流れ込んでいる河口をアップで撮ってみました。
ついでに、近くに見えた土肥港をアップで撮ってみました。
尚、右側にある緑色のゲートはフェリーの船着場みたいです。
橋の下の小川には、ご覧のような樋門(ひもん) があって扉が付いていました。
堤防に上がって、樋門に流れ込んでいる小川を撮ってみました。
ついでに、下流の橋も撮ってみました。
堤防から下りて、樋門をアップで撮ってみました。
小川の先の方に、国道が見えたので行ってみました。
ご覧のような道に出たので、右に曲がれば国道136号線に出れそうでした。
国道に出る手前の家の庭に、ご覧のようなブーゲンビリアが咲いていました。
素晴らしいブーゲンビリアだったのでアップで撮ってみました。
国道の横断歩道に、ヴィラ オン・ザ・ビーチの案内があったので先程のホテルですね!
<龕附天正金鉱(がんつきてんしょうきんこう)>
国道136号線に出て、土肥港方面に向かって暫く歩くと龕附天正金鉱に着きました。
尚、「龕」が作られている坑道は珍しく、伊豆市の文化財に指定されています。
ご覧のような天正金鉱の坑道の入り口があったので撮ってみました。
取り合え、受付に行ってみました。
見学料金(800円)を払うと、竹の杖をついたお爺さんが案内してくれました。
受付の後ろに、柿木間歩 坑道略図や棕櫚があったので撮ってみました。
折角なので、柿木間歩 坑道略図をアップで撮ってみました。
因みに、柿木間歩の”柿木”は地名、間歩は坑道の意味のようです。
先程の坑道には行かないで、山麓の精錬所跡に連れて行かれました。
この精錬所跡は、昭和40年代の発掘調査で見つかった金の精錬所跡です。
精錬所跡の前に、鍰(からみ)を入れた器があったので撮ってみました。
鍰は金を精錬した時に出たカスです。
右側の岩に、大判(?)と日光東照宮大金幣御守が埋め込まれていたので撮ってみました。
精錬所跡を後に、来た道を戻って棕櫚の手前にあった山道を上ります。
山道の下に、ご覧のような祠(?)があったので撮ってみました。
山道を上ると、手書きの伊豆の鉱山図があったので撮ってみました。
龕附天正金鉱のある鉱山図をアップで撮ってみました。
尚、丸印のある場所は金山があった所みたいです。
山道の斜面に、金の精錬方法を描いたパネルがありました。
先代が手作りしたパネルのようで、時代を感じさせる素晴らしい作品なので全て撮ってみました。
山道の左側にあった小屋には、金鉱石に関する資料が展示されていました。
土肥鉱山(左)と清越鉱山(右)の金銀の鉱石があったので撮ってみました。
折角なので、土肥鉱山の金銀の鉱石をアップで撮ってみました。
説明に依ると、金鉱石1t当たりの金の含有量は7gみたいです。
金鉱石を砕く石や硯の資料もありました。
又、大判・小判のレプリカも展示されていました。
大判(おおばん)は、小判の10倍で通用したのではなく、主として儀礼・贈答などに用いられたみたいです。
小屋を後に山道を上ると、金山の採掘の様子が描かれている「我国古代の金山採掘」があったので撮ってみました。
傍に、説明案内板「龕附天正金鉱」があったので撮ってみました。
龕附天正金鉱は、天正5年(1577)から採掘されたもので、金槌(かなづち)と鑿(のみ)の手掘りで、全長は約33間(60m)あるみたいです。
次は、柿木間歩(かきのきまぶ)の看板が掛かっている抗口(坑道の入り口)に到着しました。
杖をついている案内人のお爺さんは、さっさと坑道に入って行きます。
折角なので、坑道の手前にあった案内板「指定文化財」を撮って後に付いて行きました。
早速、坑内の岩壁をアップで撮ってみました。
ご覧のような尺取り「長さを測った印」があったのでアップで撮ってみました。
坑道略図に描かれていた天井階段を下ります。
坑道は、手の届く範囲だけを掘っていたので、天井も低く人ひとりが通れる位の広さでした。
ガマ「自然の空洞」の案内板があったので撮ってみました。
工具棚の脇を通って、案内人のお爺さんはどんどん先に行きます。
サカサ階段「空気の対流装置」の案内板がありました。
サカサ階段は、対流を良くする換気抗で上には換気口も見えました。
又、脇には、ご覧のような案内板も出ていました。
坑内の天井や横壁には、ご覧のような手掘りの痕跡が残っていました。
この先には、龕があるので一人で行くように云われました。
龕(がん)は、洞窟の奥の壁面に仏像・仏具などを納めるために掘った窪みで、「これ以上は掘り進めてはいけない」「山の神を鎮める」という意味があります。
取り敢えず、龕(がん)の案内板を撮ってみました。
早速、龕を撮ってみました。
折角なので、龕をアップで撮ってみました。
龕の手前の天井をアップで戻って来ました。
案内人のお爺さんが待っている場所に戻って来ました。
ご覧のような階段を下って出口に向かいました。
途中、金と銀と書かれている壁がありましたが、掘ると金や銀が出てくるのですかね!?
階段を暫く下ると、ご覧のような出口に着きました。
折角なので、出口をアップで撮ってみました。
出口の近くに、石切り場の案内板が出ていました。
アップで撮ると、「東京品川の御台場の石を切り取った場所」となっていました。
ご覧のような山道を下って、受付のあった場所に戻りました。
受付の手前に戻って来ると、左の奥に精錬所跡と坑口の手前にあった棕櫚が見えました。
案内人のお爺さんが受付に戻ってしまったので、最初に見えた天正金鉱に行ってみました。
取り敢えず、洞穴に入ってみました。
この洞穴は、金銀鉱脈の手掘り体験ができる処でした。
手掘り体験をしても仕方がないので、洞穴の奥を撮って外に出ました。
駐車場の出入口に、ご覧のような蘇鉄(?)があったので撮って、龕附天正金鉱を後にしました。
<駿河湾フェリー土肥港>
国道を渡ると、火振川(ひぶりがわ)に架かる火振橋があったので撮ってみました。
因みに、火振川流域は、古墳時代~縄文時代のものと推定される宿ヶ根遺跡や火振遺跡が発見されています。
国道沿いの松の木を眺めながら、駿河湾フェリーの乗り場のある土肥港に向かいます。
ご覧のような国道沿いの坂道を上って土肥港に向かいました。
坂道の上に着くと、バス停「土肥港」がありました。
近くに案内図「伊豆半島ジオパーク」があったので撮ってみました。
左側には、駿河湾フェリーの案内が出ていました。
折角なので、土肥港の沖に見えた駿河湾を撮ってみました。
清水港(?)の後ろに見えた山並をアップで撮ってみました。
ついでに、旅人岬(?)もアップで撮ってみました。
旅人岬の手前の右側には、土肥赤灯台も見えました。
又、松原公園の先ある赤茶色の建物の粋松亭が見えたので撮ってみました。
土肥港に行く坂道を下っていると、斜面にブーゲンビリアが咲いていました。
良く見ると、ピンク色と赤い色のブーゲンビリアが咲いていました。
素晴らしいブーゲンビリアだったので倍率を上げて撮ってみました。
取り敢えず、フェリー乗り場の待合場所に行って乗船券(2,300円)を購入しました。
ついでに、フェリー時刻表も撮ってみました。
又、駿河湾フェリー航路に、現在地が出ている地図があったので撮ってみました。
少し早かったのですが、埠頭を通ってフェリー乗り場に行ってみることにしました。
埠頭から海を撮ってみました。
素晴らしい色合いの海を倍率を上げて撮ってみました。
又、旅人岬が見えたのでアップで撮ってみました。
フェリーのゲートの前に遣って来ました。
折角なので、フェリーゲートをアップで撮ってみました。
沖の方に船が見えたので度アップで撮ってみました(これから入港するフェリー?)。
フェリーゲートの左側も撮ってみました。
フェリー乗り場の奥には、ご覧のような庭がある建物(土肥浄化センター?)がありました。
扉が閉まっていて中に入れなかったので、扉越に庭を撮ってみました。
フェリーゲートの正面に「ようこそ伊豆へ」があったので撮ってみました。
近くにベンチがあったので、一休みしながら埠頭の先に見えた土肥温泉を撮ってみました。
暫くすると、先程のフェリーが遣って来たのでアップで撮ってみました。
大分、近くに見えるようになったのでアップで撮ってみました。
フェリーは徐々に向きを変えて、横向きになってしまいました。
更に向きを変えて、沖に向かって動き出しました。
フェリーの船尾が見え始めたのでアップで撮ってみました。
折角なので、ゲートに入った駿河湾フェリーを撮ってみました。
「伊豆をぶらり(駿河湾フェリー・清水港編)」に続く。
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