「伊豆をぶらり(宝蔵院・伊豆極楽苑編)」から続く。
<土肥温泉>
バス停「宝蔵院前」からバスに乗ると、35分程で土肥温泉に着きました。
前にあった松原公園内の観光案内所に行って、明日乗船する駿河湾フェリーの出発時刻を確認しました。
駿河湾フェリーは通常は第4便まで運航していますが、9月1日は定期点検(?)で第3便以降は運休になっていました。
第3便(15:00発)に乗船するつもりでしたが、第2便(12:10発)に変更しました。
⇒ 観光案内所に行かなければ、運休のことは分からなかったので助かりました。
取り敢えず、噴泉塔の近くに行ってみました。
噴泉塔の左側にあった足湯を撮ってみました。
折角なので、噴泉塔を正面からアップで撮ってみました。
又、噴泉塔の下からは、かなり熱い湯が出ていました。
噴泉塔の前に、大きな花登筺の歌碑があったので撮ってみました。
歌碑の碑文は『土肥は湯と金の町 湯の中で砂金がきらきらと眩いばかりの光粒を見せる 銭の花が白く清らかさを持つならばこの花は黄金の花粉であろう』です。
尚、花登筺は滋賀県大津市出身の小説家・脚本家で、土肥温泉を舞台にしたドラマ「細腕繁盛記」の脚本を手がけています。
右下には、花登筺歌碑の説明がありました。
噴泉塔の右側にも足湯があったので撮ってみました。
噴泉塔の右側奥に、手から飛び出そうとしている鳩を支えている女性像「波涛を越えて」がありました。
この「波涛を越えて」は、伊豆市の恋人岬とグアム島にある恋人岬(プンタン・ドス・アマンテス)の姉妹提携のシンボルです。
折角なので女性像をアップで撮ってみました。
明日(9/1)の午前中は、時間的に寺社を回るのは厳しそうなので、出来るだけ今日中に回ることにしました。
取り敢えず、旅館に荷物を置いて辺り(清雲寺⇒安楽寺⇒土肥神社)を回ることにしました。
土肥大橋に向かって歩き出すと、土肥温泉の説明案内板があったので撮ってみました。
山川に架かる土肥大橋に着いたので橋を撮ってみました。
取り敢えず、土肥大橋から山川の下流を撮ってみました。
尚、奥に見えるのは駿河湾です。
土肥大橋を渡って、国道136号線を左に行って旅館に向かいました。
旅館にチェックインしてから、再び国道にある交差点「土肥中浜」に戻りました(ロス時間約50分)。
<清雲寺(せいうんじ)>
国道を5分程歩くと、左側に清雲寺の寺標があって奥に山門(黒門)が見えました。
取り敢えず、清雲寺の黒門をアップで撮ってみました。
黒門をくぐると、ご覧のような赤門がありました。
赤門の上から誰か覗いていたので、アップで撮ってみましたが観音様(?)の顔写真でした。
ご覧のような赤門を通って本堂に向かいました。
参道の左側に、庭園に行ける太鼓橋があったので撮ってみました。
取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。
本堂の前に、ご覧のような手水舎があったのでアップで撮ってみました。
又、可愛らしい小坊主がいる香炉もあったのでアップで撮ってみました。
お参りしてから扁額「立正安国」を撮ってみました。
折角なので、扁額と一緒に龍の彫り物を撮ってみました。
ついでに、龍の彫り物をアップで撮ってみました。
本堂の手前右側に、ご覧のような観音様が立っていたので撮ってみました。
赤門の上から誰か覗いていた観音様に似ていますね!
本堂の右側に、墓地があったので行ってみました。
墓地の手前に、ご覧のような日蓮聖人五百遠忌報恩塔があったので撮ってみました。
塔には、南無妙法蓮華経のお題目に続いて「日蓮大菩薩」、その両脇に「五百遠忌」「報恩謝徳」が刻まれていました。
又、釈迦牟尼佛(釈迦如来)の脇に文殊菩薩、普賢菩薩がいる石仏がありました。
境内の右側には、ご覧のような77段の石段があって石段の上にはお堂がありました。
折角なので、七面大明神(七面天女)が祀られているお堂をアップで撮ってみました。
時間がなかったので、石段を上るのは止めて代わりに石碑「七面大明神」を撮ってみました。
石段を良く見ると、石段の途中に厄除け・長寿の干支が置いてありました。
折角なので、石碑「厄除け長寿の石段」も撮ってみました。
赤門を反対側から撮って清雲寺を後にしました。
赤門を出て暫く歩くと、左側に稲荷神社があったので行ってみました。
取り敢えず、妙徳稲荷大善神を撮ってみました。
ついでに、清雲寺末寺の大蓮院(だいれんいん)があったので撮ってみました。
<土肥支所>
国道に戻ると、工事中の現場は伊豆市役所の土肥支所でした。
入口の右側に、かっての土肥町の町章(?)があったので撮ってみました。
尚、土肥町は、平成16年(2004)に修善寺町・天城湯ケ島町・中伊豆町と合併して伊豆市になりました。
又、土肥町民憲章もあったので撮ってみました。
<安楽寺に向かう>
国道を暫く歩くと、ご覧のような石碑があったので撮って脇道に入りました。
脇道を暫く歩くと、波尻観音(なみじりかんのん)がありました。
波尻観音は長い年月で風化・摩耗していますが、安政元年(1854)の「安政の大地震」の津波が、この石仏の所(海抜約7m)まで来たと伝えられています。
折角なので、波尻観音を正面から撮ってみました。
ご覧のような道路を通って先に行ってみました。
<安楽寺(あんらくじ)>
道路の先に、楠の大木がありました。
折角なので、楠をアップで撮ってみました。
山門の手前にある楠は、静岡県指定の天然記念物で「安楽寺のクス」と呼ばれています。
尚、「安楽寺のクス」は樹高25m・根回り14.2m・樹齢伝承1000年の楠です。
折角なので、楠の目通り範囲(幹周り7.5m)をアップで撮ってみました。
取り敢えず、安楽寺の境内に入ってみることにしました。
山門の手前に、六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。
山門には、山号の扁額「吉祥山」が掛かっていました。
境内に右側に、お地蔵さんが祀ってある祠があったので撮ってみました。
池に架かっている橋を渡って本堂に行ってみました。
池には蓮が植えてあって、蓮の花もありました。
折角なので、貴重な蓮の花と蕾をアップで撮ってみました。
橋を渡ると、本堂が見えたので撮ってみました。
取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、達筆で読めませんでした。
お参りしてから境内を散策すると、歌碑「思はずも瑠璃の岩窟を 訪ねれば諸人すくう安楽の寺」の前に鐘楼がありました。
折角なので、梵鐘をアップで撮ってみました。
境内には、土肥温泉発祥の元湯となっている「まぶ湯」がありますが、見つけられませんでした。
仕方がないので、山門を反対側から撮って外に出ました。
県指定天然記念物の「安楽寺のクス」を撮って安楽寺を後にしました。
<土肥神社>
国道に戻らないで、安楽寺の向かい側の道を暫く進むと土肥神社がありました。
土肥神社にも楠の大木があったので撮ってみました。
この楠は、「平安の大楠」と云われ、樹齢1000年・幹周り6.5m・根回り11m・樹高16mあります。
取り敢えず、御神木の「平安の大楠」を撮ってみました。
境内の奥に、拝殿の社殿(左)と土肥精霊神社(右)が見えたので撮ってみました。
境内に、ご覧のような力石があったので撮ってみました。
境内から社殿を撮って石段を上ってみました。
石段の途中で、社殿を撮ってみました。
取り敢えず、扁額「鎮護社」を撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから、社殿の内部を撮らせて頂きました。
社殿でお参りしてから隣の土肥精霊神社に行ってみました。
土肥精霊神社の右側に、ご覧のような「木くぐり之由来」がありました。
由来には、『2本の御神木(犬槇と楠)の間を願い事を念じて潜れば、御神木の霊により願い事が叶う。』ようなことが書いてありました。
取り敢えず、2本の木の間にある鉄階段を上ってみることにしました。
鉄階段の左側に、ご覧のような祠があったので撮ってみました。
2本の木の間に注連縄があったので、願い事を念じながら鉄階段を上ってみました。
上に着くと、ご覧のように拝殿が見えたので撮ってみました。
ついでに、目に前にあった注連縄も撮ってみました。
拝殿の石段を下りると、境内の右側に社務所があったので行ってみました。
途中、石碑「土肥神社由緒」があったので撮ってみました。
社務所の入口には、祭式の月日が記されている大木の木片がありました。
折角なので、土肥神社の拝殿を撮ってみました。
ついでに、「平安の大楠」を撮って土肥神社を後にしました。
土肥神社からは、ご覧のような明神系鳥居を通って国道に戻りました。
国道を20分程歩くと旅館に着きました(ホッ!)。
時刻は18時頃だったので、お風呂には入れませんでしたが夕食には間に合いました。
松原公園内の観光案内所に着くまでは余裕もあったのですが、旅館に着いてからは結構バタバタしてしまいました。
夕食にはビール以外に日本酒も飲んでしまったので、お風呂に入ってから明日に備えて早々に寝てしまいました。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので13,000歩を超えていました。
<土肥温泉>
バス停「宝蔵院前」からバスに乗ると、35分程で土肥温泉に着きました。
前にあった松原公園内の観光案内所に行って、明日乗船する駿河湾フェリーの出発時刻を確認しました。
駿河湾フェリーは通常は第4便まで運航していますが、9月1日は定期点検(?)で第3便以降は運休になっていました。
第3便(15:00発)に乗船するつもりでしたが、第2便(12:10発)に変更しました。
⇒ 観光案内所に行かなければ、運休のことは分からなかったので助かりました。
取り敢えず、噴泉塔の近くに行ってみました。
噴泉塔の左側にあった足湯を撮ってみました。
折角なので、噴泉塔を正面からアップで撮ってみました。
又、噴泉塔の下からは、かなり熱い湯が出ていました。
噴泉塔の前に、大きな花登筺の歌碑があったので撮ってみました。
歌碑の碑文は『土肥は湯と金の町 湯の中で砂金がきらきらと眩いばかりの光粒を見せる 銭の花が白く清らかさを持つならばこの花は黄金の花粉であろう』です。
尚、花登筺は滋賀県大津市出身の小説家・脚本家で、土肥温泉を舞台にしたドラマ「細腕繁盛記」の脚本を手がけています。
右下には、花登筺歌碑の説明がありました。
噴泉塔の右側にも足湯があったので撮ってみました。
噴泉塔の右側奥に、手から飛び出そうとしている鳩を支えている女性像「波涛を越えて」がありました。
この「波涛を越えて」は、伊豆市の恋人岬とグアム島にある恋人岬(プンタン・ドス・アマンテス)の姉妹提携のシンボルです。
折角なので女性像をアップで撮ってみました。
明日(9/1)の午前中は、時間的に寺社を回るのは厳しそうなので、出来るだけ今日中に回ることにしました。
取り敢えず、旅館に荷物を置いて辺り(清雲寺⇒安楽寺⇒土肥神社)を回ることにしました。
土肥大橋に向かって歩き出すと、土肥温泉の説明案内板があったので撮ってみました。
山川に架かる土肥大橋に着いたので橋を撮ってみました。
取り敢えず、土肥大橋から山川の下流を撮ってみました。
尚、奥に見えるのは駿河湾です。
土肥大橋を渡って、国道136号線を左に行って旅館に向かいました。
旅館にチェックインしてから、再び国道にある交差点「土肥中浜」に戻りました(ロス時間約50分)。
<清雲寺(せいうんじ)>
国道を5分程歩くと、左側に清雲寺の寺標があって奥に山門(黒門)が見えました。
取り敢えず、清雲寺の黒門をアップで撮ってみました。
黒門をくぐると、ご覧のような赤門がありました。
赤門の上から誰か覗いていたので、アップで撮ってみましたが観音様(?)の顔写真でした。
ご覧のような赤門を通って本堂に向かいました。
参道の左側に、庭園に行ける太鼓橋があったので撮ってみました。
取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。
本堂の前に、ご覧のような手水舎があったのでアップで撮ってみました。
又、可愛らしい小坊主がいる香炉もあったのでアップで撮ってみました。
お参りしてから扁額「立正安国」を撮ってみました。
折角なので、扁額と一緒に龍の彫り物を撮ってみました。
ついでに、龍の彫り物をアップで撮ってみました。
本堂の手前右側に、ご覧のような観音様が立っていたので撮ってみました。
赤門の上から誰か覗いていた観音様に似ていますね!
本堂の右側に、墓地があったので行ってみました。
墓地の手前に、ご覧のような日蓮聖人五百遠忌報恩塔があったので撮ってみました。
塔には、南無妙法蓮華経のお題目に続いて「日蓮大菩薩」、その両脇に「五百遠忌」「報恩謝徳」が刻まれていました。
又、釈迦牟尼佛(釈迦如来)の脇に文殊菩薩、普賢菩薩がいる石仏がありました。
境内の右側には、ご覧のような77段の石段があって石段の上にはお堂がありました。
折角なので、七面大明神(七面天女)が祀られているお堂をアップで撮ってみました。
時間がなかったので、石段を上るのは止めて代わりに石碑「七面大明神」を撮ってみました。
石段を良く見ると、石段の途中に厄除け・長寿の干支が置いてありました。
折角なので、石碑「厄除け長寿の石段」も撮ってみました。
赤門を反対側から撮って清雲寺を後にしました。
赤門を出て暫く歩くと、左側に稲荷神社があったので行ってみました。
取り敢えず、妙徳稲荷大善神を撮ってみました。
ついでに、清雲寺末寺の大蓮院(だいれんいん)があったので撮ってみました。
<土肥支所>
国道に戻ると、工事中の現場は伊豆市役所の土肥支所でした。
入口の右側に、かっての土肥町の町章(?)があったので撮ってみました。
尚、土肥町は、平成16年(2004)に修善寺町・天城湯ケ島町・中伊豆町と合併して伊豆市になりました。
又、土肥町民憲章もあったので撮ってみました。
<安楽寺に向かう>
国道を暫く歩くと、ご覧のような石碑があったので撮って脇道に入りました。
脇道を暫く歩くと、波尻観音(なみじりかんのん)がありました。
波尻観音は長い年月で風化・摩耗していますが、安政元年(1854)の「安政の大地震」の津波が、この石仏の所(海抜約7m)まで来たと伝えられています。
折角なので、波尻観音を正面から撮ってみました。
ご覧のような道路を通って先に行ってみました。
<安楽寺(あんらくじ)>
道路の先に、楠の大木がありました。
折角なので、楠をアップで撮ってみました。
山門の手前にある楠は、静岡県指定の天然記念物で「安楽寺のクス」と呼ばれています。
尚、「安楽寺のクス」は樹高25m・根回り14.2m・樹齢伝承1000年の楠です。
折角なので、楠の目通り範囲(幹周り7.5m)をアップで撮ってみました。
取り敢えず、安楽寺の境内に入ってみることにしました。
山門の手前に、六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。
山門には、山号の扁額「吉祥山」が掛かっていました。
境内に右側に、お地蔵さんが祀ってある祠があったので撮ってみました。
池に架かっている橋を渡って本堂に行ってみました。
池には蓮が植えてあって、蓮の花もありました。
折角なので、貴重な蓮の花と蕾をアップで撮ってみました。
橋を渡ると、本堂が見えたので撮ってみました。
取り敢えず、本堂に行ってお参りをしました。
お参りしてから扁額を撮ってみましたが、達筆で読めませんでした。
お参りしてから境内を散策すると、歌碑「思はずも瑠璃の岩窟を 訪ねれば諸人すくう安楽の寺」の前に鐘楼がありました。
折角なので、梵鐘をアップで撮ってみました。
境内には、土肥温泉発祥の元湯となっている「まぶ湯」がありますが、見つけられませんでした。
仕方がないので、山門を反対側から撮って外に出ました。
県指定天然記念物の「安楽寺のクス」を撮って安楽寺を後にしました。
<土肥神社>
国道に戻らないで、安楽寺の向かい側の道を暫く進むと土肥神社がありました。
土肥神社にも楠の大木があったので撮ってみました。
この楠は、「平安の大楠」と云われ、樹齢1000年・幹周り6.5m・根回り11m・樹高16mあります。
取り敢えず、御神木の「平安の大楠」を撮ってみました。
境内の奥に、拝殿の社殿(左)と土肥精霊神社(右)が見えたので撮ってみました。
境内に、ご覧のような力石があったので撮ってみました。
境内から社殿を撮って石段を上ってみました。
石段の途中で、社殿を撮ってみました。
取り敢えず、扁額「鎮護社」を撮って、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
お参りしてから、社殿の内部を撮らせて頂きました。
社殿でお参りしてから隣の土肥精霊神社に行ってみました。
土肥精霊神社の右側に、ご覧のような「木くぐり之由来」がありました。
由来には、『2本の御神木(犬槇と楠)の間を願い事を念じて潜れば、御神木の霊により願い事が叶う。』ようなことが書いてありました。
取り敢えず、2本の木の間にある鉄階段を上ってみることにしました。
鉄階段の左側に、ご覧のような祠があったので撮ってみました。
2本の木の間に注連縄があったので、願い事を念じながら鉄階段を上ってみました。
上に着くと、ご覧のように拝殿が見えたので撮ってみました。
ついでに、目に前にあった注連縄も撮ってみました。
拝殿の石段を下りると、境内の右側に社務所があったので行ってみました。
途中、石碑「土肥神社由緒」があったので撮ってみました。
社務所の入口には、祭式の月日が記されている大木の木片がありました。
折角なので、土肥神社の拝殿を撮ってみました。
ついでに、「平安の大楠」を撮って土肥神社を後にしました。
土肥神社からは、ご覧のような明神系鳥居を通って国道に戻りました。
国道を20分程歩くと旅館に着きました(ホッ!)。
時刻は18時頃だったので、お風呂には入れませんでしたが夕食には間に合いました。
松原公園内の観光案内所に着くまでは余裕もあったのですが、旅館に着いてからは結構バタバタしてしまいました。
夕食にはビール以外に日本酒も飲んでしまったので、お風呂に入ってから明日に備えて早々に寝てしまいました。
尚、万歩計は、それなりに歩いたので13,000歩を超えていました。
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