シテ「なうなう旅人お宿参らしようのう
アイ「や、お宿参らしせうずる由申し候
ワキの文句を見計らってシテは後見に幕を揚げさせ、静かに右ウケてツレの方を見て声を掛けます。「呼び掛け」と呼ばれる前シテの登場の演出のパターンの一つです。これは役者の登場のやり方としては非常に印象的で、しかも能舞台に特徴的な橋掛りという構造があるからこそ行える演出です。お客さまにはほど近い位置にある本舞台に登場して演技しているワキやツレなどの役者に対して、いきなり遙か遠くから呼び止める声だけが響いてくる。。その声のする方角を見ると細長い通路~橋掛り~の薄暗い奥から、まっすぐにこちらに歩んでくる者の姿が見えてくる。。橋掛りの揚幕の奥はまさしく「異界」のイメージで、幽霊やら鬼やらが舞台に現れる能にはまことに似つかわしい登場の演出だと思います。
ちなみに「呼び掛け」でシテが登場する場合は、ワキが「なほなほ奥深く分け入らばやと存じ候」などと言って、さらにその場から移動して行こうとするところを呼び止める形になる場合がほとんどです。『山姥』では日が暮れて進むことができずに立ち往生して困惑する一行に声を掛けるのですが、これは「呼び掛け」としては珍しい例と言えるでしょう。ところが同じ理由で、なのですが、『山姥』の「呼び掛け」はシテにとって楽なのではないかなあ、と ぬえは考えています。すなわち、その場から脇座の方へ歩いてゆくワキを橋掛りの奥から認めて、程良いところで呼び止めるのは、シテにとって気を遣うところなのです。おワキの演技の都合を考えれば、あまり早く呼び止めてしまっても、また呼び掛けるのが遅れても、おワキは困るのです。ちょうど良い地点にワキが差し掛かったところで呼び止めたいところですが、シテの位置からは相当に距離があるうえに、シテは面を掛けていて視界が狭められていますから。。また、能楽師の中には目の悪い人もいて、中には地謡に出ていて、脇正面の最前列のお客さまが見えない方もあるのです。こういう方はどうやって呼び掛けをしておられるのか。。汗をかいて流れ出てしまうから、シテはコンタクトレンズも使えないし。。
また一方、「呼び掛け」という演出の成立についても ぬえは興味があります。橋掛りがなければ「呼び掛け」という演出も生まれなかったであろうと思われるのに、能舞台そのものも、ましてやその中の部分である橋掛りは能の歴史の中でずっと定まった規格を持たずに来たのです。現代でさえ、新しい能舞台を建てる時にも橋掛りの幅や長さ、そして本舞台との取り付け角度といったものは全く決まった規格がありません。そして絵図などではかつて橋掛りが舞台の真後ろについているものさえあって。。一方、能の台本は時代によって大きく変わる事は稀で、細かい点を除けば、台本は成立当初の姿を比較的よく留めているものです。「橋掛り」と「呼び掛け」の演出のどちらが先に成立したのか。。ぬえは興味がありますね~
ともあれ、シテは呼び掛けを謡ったあと、ワキの応対の文句の間に橋掛りの方へ向き直り、歩み出します。
シテ「これは上路の山とて人里遠き所なり、日の暮れて候へば、わらはが庵にて一夜を明かさせ給ひ候へ
ワキ「これは始めて善光寺へ参る者にて候が、行き暮れ前後を忘じて候ところに、嬉しくも承り候ものかな、さらばこれへ参り候べし
これよりシテは無言で橋掛りを歩み、舞台に入ります。
ところで観世流の『山姥』の前シテの「呼び掛け」の、その常套文句「なうなう」には特殊な節が付けられています。普通ならば「詞」のバリエーションであるはずの「なうなう」が、『山姥』は節の「カカル」の扱いで、しかも最初の「なう」には深い「小節」が付けられています。まことに珍しい節ですが、さらに語尾の「参らせうなう」には「イロ」の節まであって。この呼び掛けの節付けは本当に特殊で、習物の能としての面目はここにある、という感じが出ますね。深山幽谷の中、日が暮れたところにイキナリ聞こえてくる、彼らを呼び止める声。。そんな不気味さをうまく表現している節だと思います。
シテは舞台に入り、ツレへ向かって舞台の中央で着座します。ツレやワキも同時に着座し、すでに一行は彼女が住む小屋に到着した事を意味し、とりあえず一同腰を下ろして、シテとツレ・ワキとの会話が始まります。
アイ「や、お宿参らしせうずる由申し候
ワキの文句を見計らってシテは後見に幕を揚げさせ、静かに右ウケてツレの方を見て声を掛けます。「呼び掛け」と呼ばれる前シテの登場の演出のパターンの一つです。これは役者の登場のやり方としては非常に印象的で、しかも能舞台に特徴的な橋掛りという構造があるからこそ行える演出です。お客さまにはほど近い位置にある本舞台に登場して演技しているワキやツレなどの役者に対して、いきなり遙か遠くから呼び止める声だけが響いてくる。。その声のする方角を見ると細長い通路~橋掛り~の薄暗い奥から、まっすぐにこちらに歩んでくる者の姿が見えてくる。。橋掛りの揚幕の奥はまさしく「異界」のイメージで、幽霊やら鬼やらが舞台に現れる能にはまことに似つかわしい登場の演出だと思います。
ちなみに「呼び掛け」でシテが登場する場合は、ワキが「なほなほ奥深く分け入らばやと存じ候」などと言って、さらにその場から移動して行こうとするところを呼び止める形になる場合がほとんどです。『山姥』では日が暮れて進むことができずに立ち往生して困惑する一行に声を掛けるのですが、これは「呼び掛け」としては珍しい例と言えるでしょう。ところが同じ理由で、なのですが、『山姥』の「呼び掛け」はシテにとって楽なのではないかなあ、と ぬえは考えています。すなわち、その場から脇座の方へ歩いてゆくワキを橋掛りの奥から認めて、程良いところで呼び止めるのは、シテにとって気を遣うところなのです。おワキの演技の都合を考えれば、あまり早く呼び止めてしまっても、また呼び掛けるのが遅れても、おワキは困るのです。ちょうど良い地点にワキが差し掛かったところで呼び止めたいところですが、シテの位置からは相当に距離があるうえに、シテは面を掛けていて視界が狭められていますから。。また、能楽師の中には目の悪い人もいて、中には地謡に出ていて、脇正面の最前列のお客さまが見えない方もあるのです。こういう方はどうやって呼び掛けをしておられるのか。。汗をかいて流れ出てしまうから、シテはコンタクトレンズも使えないし。。
また一方、「呼び掛け」という演出の成立についても ぬえは興味があります。橋掛りがなければ「呼び掛け」という演出も生まれなかったであろうと思われるのに、能舞台そのものも、ましてやその中の部分である橋掛りは能の歴史の中でずっと定まった規格を持たずに来たのです。現代でさえ、新しい能舞台を建てる時にも橋掛りの幅や長さ、そして本舞台との取り付け角度といったものは全く決まった規格がありません。そして絵図などではかつて橋掛りが舞台の真後ろについているものさえあって。。一方、能の台本は時代によって大きく変わる事は稀で、細かい点を除けば、台本は成立当初の姿を比較的よく留めているものです。「橋掛り」と「呼び掛け」の演出のどちらが先に成立したのか。。ぬえは興味がありますね~
ともあれ、シテは呼び掛けを謡ったあと、ワキの応対の文句の間に橋掛りの方へ向き直り、歩み出します。
シテ「これは上路の山とて人里遠き所なり、日の暮れて候へば、わらはが庵にて一夜を明かさせ給ひ候へ
ワキ「これは始めて善光寺へ参る者にて候が、行き暮れ前後を忘じて候ところに、嬉しくも承り候ものかな、さらばこれへ参り候べし
これよりシテは無言で橋掛りを歩み、舞台に入ります。
ところで観世流の『山姥』の前シテの「呼び掛け」の、その常套文句「なうなう」には特殊な節が付けられています。普通ならば「詞」のバリエーションであるはずの「なうなう」が、『山姥』は節の「カカル」の扱いで、しかも最初の「なう」には深い「小節」が付けられています。まことに珍しい節ですが、さらに語尾の「参らせうなう」には「イロ」の節まであって。この呼び掛けの節付けは本当に特殊で、習物の能としての面目はここにある、という感じが出ますね。深山幽谷の中、日が暮れたところにイキナリ聞こえてくる、彼らを呼び止める声。。そんな不気味さをうまく表現している節だと思います。
シテは舞台に入り、ツレへ向かって舞台の中央で着座します。ツレやワキも同時に着座し、すでに一行は彼女が住む小屋に到着した事を意味し、とりあえず一同腰を下ろして、シテとツレ・ワキとの会話が始まります。