ん~~、今回見てみた須弥山を中心にしたこの世界の構造というのは、これは日本人の発想ではないですね。ちょっとこちらがついていけないような飛躍も含めて大陸的なスケールの大きさに培われた考え方でしょう。
そういうわけで(どういうわけだ)『歌占』の最初の歌占いは、シテによってこのように判読されました。
「今度の所労(病気)の源は、どこかから吹き来る風のように平凡な風邪から起こったものだが、今や重病になってしまっている。それはこの世界が虚空に風輪がとどまたところから始まり、次第にその上に水輪と金輪が重なり結びついてついに目に見えて顕現するに至ったようなものだ。その中心となる須弥山について述べれば、金輪より長じたその高さは十六万由旬という、目を見張るほどのもの。周囲にある四つの島は喜びの絶えない海の波間に浮かんでいる。須弥山の四方の金・銀・碧色の瑠璃、玻球迦宝(頗胝迦寶の訛り。紅色の瑪瑙)が放つ光は五重(たくさん、の意)に積み重なった色界の雲に鮮やかに映じる。それだから我らが住む南瞻部州の草木は緑色なのだとされている(注:須弥山の南方の瑠璃の青が映じるために空が青く、植物の緑はその空の色をまた映して緑色なのだ、という説もあるのだそうです)。歌にも「南は青」と書かれたのはこういう事情なのだ。
ところでなぜこの歌が父の事を表しているのかといえば、子にとって父はその恩の高いことは、どんな高山も千丈の高さの雲さえ及ぶものではない。だから須弥山を描くこの歌はそのまま子にとっての父の事に通じるのだ。さてこの歌に表れる須弥山の別名「染色」とは、その父の現在の状態や病状を表すのだが、人の一生を表す生老病死を四方に配すれば、死を表す西の方角が紅色と詠まれている。紅は不吉な色で寿命を表し六十歳の齢の限界をも表す。これはすでに病状は重体と見るほかあるまい。
しかしまた「染色」と詠まれている、という事を考えると、これは文字を借りた当て字とも言える。本当の意味を表記するならば「蘇命路」であろう。実際にいま父君の命は寿命の路に立ち至っているが、再び蘇生する路に通じている、とこの歌は語っている。この歌占の言葉を頼もしく思いなさい。」
ふ~む、これは。。最後は「駄洒落?」と思うけど、それも含めて、この歌はかなり深い知識に裏打ちされて、しかも解釈の多様性とか、その説明の中で「どんでん返し」まで用意されている。。相当に練られた歌ですね。一説には紫式部の詠歌と古来からいわれているそうですが、そうではあるまい。歌占という仕事が大道芸の一種のようなもの。。すなわち当時にあってはれっきとしたプロの職業であったならば、そういった専門家が作った歌に相違ないでしょう。この歌が『歌占』の作者・観世十郎元雅の作ではないか、と考える ぬえはちょっと考えすぎでしょうか。だって、能楽師だって大道芸人から出発したんですし、能本を書く能力があれば仕掛けを持った歌を作るのは、むしろ専門分野と同じであったでしょう。
ぬえは思うのですが、『歌占』の中心に据えられている「地獄の曲舞」の文章は、これは明らかに能楽師の作ではないです。でも、この歌占いの歌は能作者の考案と思います。プロットの中で「語リ芸」としてひとつのクライマックスを形づくりながら、シテの役の見る眼の確かさを印象づけることで、お客さまに彼の言葉が信頼置けるようにちゃあんと誘導もしている。つまり伏線になっているわけです。しかもこのあとの子方への歌占いでは、シテの方が歌に翻弄されたりしていて、シテを超える超人間的な力の存在をまたまた印象づける。この歌は、能を作る時に新規に書かれた歌ではないかと ぬえは思いますね。
ぬえは、どうも『歌占』という曲には観世十郎元雅のカラーが出ていない曲だな、と ずっと思っていて、それは彼がまだ若い頃に書いた曲だからだろう、と簡単に推測もしていたのですが、今回この曲と向き合ってみて、やっぱり彼の影を感じるし、それがほかの彼の作品とは違う意味で出ているから気づきにくいのだという事を思いました。『歌占』の作者が観世十郎元雅ではないのでは、という意見も出されているようですが、やっぱりこの曲の根っこには ぬえが知らない十郎元雅がいる、と感じています。
そういうわけで(どういうわけだ)『歌占』の最初の歌占いは、シテによってこのように判読されました。
「今度の所労(病気)の源は、どこかから吹き来る風のように平凡な風邪から起こったものだが、今や重病になってしまっている。それはこの世界が虚空に風輪がとどまたところから始まり、次第にその上に水輪と金輪が重なり結びついてついに目に見えて顕現するに至ったようなものだ。その中心となる須弥山について述べれば、金輪より長じたその高さは十六万由旬という、目を見張るほどのもの。周囲にある四つの島は喜びの絶えない海の波間に浮かんでいる。須弥山の四方の金・銀・碧色の瑠璃、玻球迦宝(頗胝迦寶の訛り。紅色の瑪瑙)が放つ光は五重(たくさん、の意)に積み重なった色界の雲に鮮やかに映じる。それだから我らが住む南瞻部州の草木は緑色なのだとされている(注:須弥山の南方の瑠璃の青が映じるために空が青く、植物の緑はその空の色をまた映して緑色なのだ、という説もあるのだそうです)。歌にも「南は青」と書かれたのはこういう事情なのだ。
ところでなぜこの歌が父の事を表しているのかといえば、子にとって父はその恩の高いことは、どんな高山も千丈の高さの雲さえ及ぶものではない。だから須弥山を描くこの歌はそのまま子にとっての父の事に通じるのだ。さてこの歌に表れる須弥山の別名「染色」とは、その父の現在の状態や病状を表すのだが、人の一生を表す生老病死を四方に配すれば、死を表す西の方角が紅色と詠まれている。紅は不吉な色で寿命を表し六十歳の齢の限界をも表す。これはすでに病状は重体と見るほかあるまい。
しかしまた「染色」と詠まれている、という事を考えると、これは文字を借りた当て字とも言える。本当の意味を表記するならば「蘇命路」であろう。実際にいま父君の命は寿命の路に立ち至っているが、再び蘇生する路に通じている、とこの歌は語っている。この歌占の言葉を頼もしく思いなさい。」
ふ~む、これは。。最後は「駄洒落?」と思うけど、それも含めて、この歌はかなり深い知識に裏打ちされて、しかも解釈の多様性とか、その説明の中で「どんでん返し」まで用意されている。。相当に練られた歌ですね。一説には紫式部の詠歌と古来からいわれているそうですが、そうではあるまい。歌占という仕事が大道芸の一種のようなもの。。すなわち当時にあってはれっきとしたプロの職業であったならば、そういった専門家が作った歌に相違ないでしょう。この歌が『歌占』の作者・観世十郎元雅の作ではないか、と考える ぬえはちょっと考えすぎでしょうか。だって、能楽師だって大道芸人から出発したんですし、能本を書く能力があれば仕掛けを持った歌を作るのは、むしろ専門分野と同じであったでしょう。
ぬえは思うのですが、『歌占』の中心に据えられている「地獄の曲舞」の文章は、これは明らかに能楽師の作ではないです。でも、この歌占いの歌は能作者の考案と思います。プロットの中で「語リ芸」としてひとつのクライマックスを形づくりながら、シテの役の見る眼の確かさを印象づけることで、お客さまに彼の言葉が信頼置けるようにちゃあんと誘導もしている。つまり伏線になっているわけです。しかもこのあとの子方への歌占いでは、シテの方が歌に翻弄されたりしていて、シテを超える超人間的な力の存在をまたまた印象づける。この歌は、能を作る時に新規に書かれた歌ではないかと ぬえは思いますね。
ぬえは、どうも『歌占』という曲には観世十郎元雅のカラーが出ていない曲だな、と ずっと思っていて、それは彼がまだ若い頃に書いた曲だからだろう、と簡単に推測もしていたのですが、今回この曲と向き合ってみて、やっぱり彼の影を感じるし、それがほかの彼の作品とは違う意味で出ているから気づきにくいのだという事を思いました。『歌占』の作者が観世十郎元雅ではないのでは、という意見も出されているようですが、やっぱりこの曲の根っこには ぬえが知らない十郎元雅がいる、と感じています。