ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

千葉県・野田市で「観月会」に出演~

2010-09-24 01:33:25 | 能楽
今日は千葉県・野田市で行われた「観月会」に出演、略式版ながら能『松風』を勤めて参りました。

え~、「観月会」ですが…雷まで鳴る荒天に恵まれまして…。ぬえ、またやってしまひました~(×_×;) ←雨男

本当は、会場には立派な日本庭園があるんで、そこで上演したかったんですよお。そこで月が上がるのを待ちながら…、淡い照明の下で舞う『松風』! 良いじゃないですかぁ。『松風』こそ、野外で…できれば薪能などで上演したい能だと、ぬえは思いますね~。もっとも、どちらかというと動きの少ない能の部類に入るでしょうから、薪能などの場面では前半をなんとか短縮して、シテの狂乱の面に焦点を当てて上演する方法を考えた方がよいでしょうが…

会場は純和風のお屋敷でして、この庭園…要するに芝の上で舞うつもりだったわけですが、装束を汚さないようにどう舞うか…ずいぶん考えを巡らしてはおりました。まさか芝の上に直接座るような型はできないし、ビニールシートなどを敷き詰めてしまっては せっかくの芝生の良さもでませんし…できるだけ床几を活用して、あとは座る型を立ったまま行うなどを考えていたのですが、今日は雨天のためお座敷で演じることになりまして、そこで床几に掛けながら「…やっぱり野外は無理だったかな?」とも思いました。床几に掛かるだけで装束は地面に触れる危険性があるのですね~ ちょっと再考の余地ありです。

さて『松風』ですが、今回は ぬえ一人での上演です。え??村雨は? …いえ、ぬえはツレの村雨を出さなくても、デモンストレーションでは『松風』という能は成立すると思っていましたので、今回はじめてその実験をしてみたのでした。ぬえ、松風・村雨というのは、じつは姉妹ではないのではないか? とずうっと思っていまして…

『松風』という能には常々考えるのですが、行平という一人の恋人の愛を、二人の姉妹が仲良く分かち合う、という設定がいかにも不自然でしょう。ましてやこの姉妹がともにこの世を去ってからも二人で協力して、かつての生業である汐汲みの仕事を続けながら、恋人の帰りを仲良く待ち続ける…現代劇として考えるならば、彼女たちは千年もの長い間を、ずっと恋人の帰りを待ち続けているわけですが、こんな事はありえるのでしょうかね?

そうしてもう一方、この能を見たときに、行平への思慕の深さに、姉妹の間でどうも温度差があるように思えてならないのです。姉・松風が行平の形見の装束を身につけて松の木に駆け寄ろうとした時に、妹・村雨がそれを制止しようとする場面に端的にそれは現れてきますが、要するに松風の激情に対して、村雨はどこか冷静に居続けているところがあります。姉に引きずられているために村雨は成仏できないでいる、というか…

ぬえは、本当は行平の恋人は一人ではなかったかと思っています。そして行平は都に呼び戻される時に、形見の装束を残し、松の木を指さして「君が私を“待つ”と聞いたら、すぐに帰ってくるから…」と言い残して彼女の許を去りました。ああ、なんて罪作りな… そうして彼女は、来る日も、来る日も…結局千年も彼の帰りを待ちわびているのです。当然彼女の心の中には、いくら「待つ」と叫んでみても帰ってこない恋人の心への疑念も生じたことでしょう。忘れてしまえばラクになれる…そう思う心と、それでは恋人を裏切ることになってしまう、とそれを打ち消す心とが葛藤して…そうして二つの人格が彼女の中に生まれてしまった…姉妹のように見える二人は、じつは二つに裂けてしまった彼女の心なのではないか…?

ここまでは、何年か前に ぬえが『松風』を初めて勤めた際に考えたことなのですが、その時には、そうして裂けた心の人格化された姿である妹が、なぜ「村雨」という、具多的な名前を持っているのか、が分からないでいました。能の中でも松風・村雨という名前は、ともに行平が名付けた、と書かれていますしね。やっぱり二人は姉妹だったのかなあ…

ところが今回は、もう少し考えを進めることができまして、これ…ひょっとすると折々の情景によって興趣が動かされた行平が、一人の恋人を無責任にあれこれと名前を変えて呼んでいたのではないか…? 恋人はやはり一人で、なんとこの娘は本名さえもわからないんですよね。行平が彼女を「松風」と名をつけて、彼女自身もそれを大切に思っている。行平にとって彼女の本名は…極論すれば、その人格やそれまで歩んできた人生は興味の対象でなかったかも…