ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

千葉県・野田市で「観月会」に出演~(その2)

2010-09-27 01:05:08 | 能楽
松風・村雨ともに行平が名付けた名前だと謡曲本文にも書いてあって、やはり行平の恋人は二人の姉妹だったのかなあ、と考えることもできるのですが、やっぱり ぬえは恋人は一人だけだったのではないかと思いますね。ではこの二つの名前はどうしたことなのか、という事になるのですが、これもまた、行平が一人の娘につけた二つの名前だったかも…

「さても行平三年がほど、御つれづれの御船遊び。夜汐を運ぶ海士乙女に姉妹選はれ参らせつゝ、折に触れたる名なれやとて、松風・村雨と召されしより、月にも馴るゝ須磨の海士の、汐焼き衣色変へて、かとりの衣の空薫きなり」

美しい修辞に彩られた美文ではありますが…どうなんでしょ? この行平くんの態度。都から罪を得て流されてきた割には贅沢三昧ですし、姉妹の扱いを見ても、どうも愛情や誠意が感じられないというか… 彼女の本名はさっさと捨てさせて、「折に触れたる名」だと言って松風・村雨と呼んだ…と。彼女たちの方も粗末な「汐焼き衣」から、かすかに香を漂わせた「かとりの衣」…絹の薄衣で身を包む身へと生活も一変したようですが、要するに行平は都での豪奢な生活をそのまま須磨の浦に持ち込んだわけで、さりとて流刑の身ですから都の女房衆を引き連れることはできず、恋人は当面、現地採用とした、と読めてしまってならないんですが…。

そうして、名月を眺める際に潮風が松籟を呼び奏でるのに耳を傾けては、傍らにいる恋人を「松風」と呼び、にわかに降り来る雨によって月を眺められない晩には、しとしととかすかに響くその音によそえて、同じ恋人を「村雨」と呼んだのではないかなあ。「松風・村雨と召されしより」の「召され」に、そういった気まぐれな行平の態度が現れているように思えてならなひ。

ところが、というか案の定、と言うか、行平はそのまま恋人を北の方にするわけではなくて、都に召還された際には恋人は須磨に置いてきぼり。形見の衣装だけを残して、あの松を僕だと思って待っていてくれ、なあんて うまいことを言って納得させちゃいまして、そうして彼女は再び生活のために汐焼きの仕事に戻っていったのでした。

うらやま…いやいや、なんてヤツだ! この娘も、汐焼きなんて重労働をしていたのだから、腕っ節にはちょいと自信もあったことでしょう。「あの松を麿だと思うでじゃる」なんて言っているひ弱な都の白塗り草食系なんて、ガバと組み敷いて「おまえ…戻ってこんかったら どうなるか、よう分かってるんやろうなあ? ええ?」ぐらい言っておやり。…えっと、そのあとこっち方面の言葉では「頭かち割って脳みそガタガタ言わせたろうかい」って言うんでしたっけ。すみません、不勉強にして ぬえ、よく知らないんですが。



ともあれ、従順にして行平の言葉を信じて、そうして千年もの間待ち続けた一人の娘。その純情さが儚くも、悲しくも美しい…『松風』はそんな曲なのだろうと思います。しかし、彼女が単純にその言葉を信じているだけではないところが、この曲の説得力のあるところ。(ぬえは一人だと思う)松風の心の中には行平の言葉を信じて待ち続ける心と、彼を忘れなければ永久に成仏できない、と思う心とが、千年間、せめぎ合っているのではないかと思うのです。

そうして、もう一つ ぬえが思うのは、夜な夜な汐汲みの桶を車に載せて運ぶこの姉妹…じつは人には見えていないのではないか? と考えています。

と言うのも、能の冒頭に登場したワキが、大切に祀られている松の木を見て不審に思い、浦人(間狂言)にその謂われを尋ねますが、浦人の答えは松風・村雨という姉妹の旧跡だというものであって、その土地に言い伝えられた民話の範囲を超えていないのですよね。『鵺』や『鵜飼』には「夜な夜な現れる得体の知れないモノ」というような表現で、毎夜現れる前シテの存在が おぼろげながら村人にも噂されているのですが、『松風』にはその片鱗もありません。もちろん『鵺』と『松風』を同列に論じられるわけではありませんが、少なくともこの里人は、あとでワキが出会うような若い女性の汐汲みが現れることは知らない、ということになります。…知らないのではなくて、彼女たちは毎夜現れているのに、里人にはそれが見えないのではないか、というのが ぬえの考えなんです。