ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第18次支援活動<石巻市>(その3)~羽黒山鳥屋神社で奉納舞囃子

2014-01-06 00:05:00 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【12月10日(火)】

翌朝、早く起きた ぬえは石巻の街の中を見て廻りました。もうこれで何回目だろう。。2年半におよぶ定点観測。

湊地区は、そろそろあきれる程の放置状態。。崩れた工場に突っ込んだままのモーターボート。第二湊小・湊中の周辺にはまだ解体されない住宅が。これは門脇地区でもいえることですね。そうして気が付きました。気仙沼ではすでに始まっている地盤沈下した土地のかさ上げ工事が、石巻ではまだ始まっている気配がないのです。

防潮堤の問題が大きく取り上げられて、反対の声を上げる人がいる気仙沼。防潮堤の建設案に対して住民さんが主体となって理想の街の構想を練って発信する人がいる志津川。それらから考えると、石巻はちょっとだけ、ぬえには動きがスローに見えますが。。

やっぱり今回もこれなのね、のコンビニ弁当を買って宿舎に帰り、起き出した笛のTさんと朝食を摂ってから宿舎を後にして、本日の活動予定のある鳥屋神社に向かいました。

鳥屋神社(とやじんじゃ)は石巻駅から正面の羽黒山の上に鎮座している社で、立町復興ふれあい商店街の裏から急坂を上ったところにあります。この山、通称は「日和山」ではありますが、より駅に近いところにこの羽黒山があり、日和山はもっと中瀬や門脇地区に寄ったところにあります。このあたりの地形は ぬえにも未だによくわかりませんが、そういう事らしい。

それから、これはこの日羽黒山の上から眺めて初めて気づいたことですが、二つの山に挟まれた盆地に「石巻小学校」は建てられていました。こんなことろにあったのか!

石巻小学校。。略して「石小(せきしょう)」は市立の小学校で、ぬえが震災前にこの小学校と気仙沼の新月中学校に学校公演で訪れ、その時の子どもたちの鑑賞態度や挨拶など礼儀正しさ、そして元気がとっても印象に残りまして。。その後震災が起こってしまった事から、この子どもたちの安否が心配になって一人で石巻と気仙沼を訪れたのが、現在の活動の原点です。

もう2年半も石巻に通っているのですから、もちろん石小の前は何度か通過してはおりますが、いつも日和山に上るつもりで道に迷った際に偶然その前を通りかかるばかりで。。未だに石小の子どもたちには再会できていませんが、去年の夏の「川開きまつり」の際に ぬえたちプロジェクトが参加させて頂きました「全国花火サミット」のレセプション会場で市長さんに石小でワークショップを行いたい由、お願いだけは申し上げることができました。

石小の校庭には驚くべきことに、「奉安殿」がいまだに残されています。奉安殿とは昭和天皇の写真を納めた小さな祠で、終戦まで日本中の小学校にあって、毎朝の朝礼で子どもたちが「現人神」であった天皇を崇めるために使われたのです。もちろん現在の石小の奉安殿の中身は空ですが、終戦後にほとんど取り壊された奉安殿が残されているだけでも奇跡的でしょう。かように歴史の長い学校で、学校公演の際にもずいぶん古びた体育館が上演会場になりましたが、この日石小の前を通ってみると、体育館はいつの間にか新築されていたようでした。

羽黒山と日和山に挟まれた狭い谷地に石小は建っているようでした。これじゃすぐには見つからないはずだ。。ところが鳥屋神社でそのお話をさせて頂くと、意外や羽黒山と日和山は石小があるこの谷をぐるっと迂回するように繋がっているのですって。そうしてその一連の山を総称して「鰐山」と呼ぶのだそうです(!) 。。鰐。。? その名前の由来や、日和山・羽黒山との関係は。。? ますます石巻について謎が深まってしまいました。

鳥屋神社の宮司さんは、北上川沿いの街の中心部にある住吉大島神社さんの宮司も兼任しておられて、住吉さんではもう2度も舞囃子を奉納させて頂いておりますので、今回もTさんより鳥屋神社さまでの奉納の申し出をさせて頂いたところ、ご快諾くださったそうです。

やがて湊小学校が避難所だった時代から住民さんの中心に立って活躍しておられた佐藤哲美さんや、石巻での活動にいつもご協力頂いている相澤利喜子さんも鳥屋神社にお見えになり、ぬえたちも裃に着替えて、拝殿に上りお祓いを受け、舞囃子『融』を奉納させて頂きました。

終演後 佐藤さんのご案内で日和山の頂上近くにあるカフェで懇談。じつは湊小学校が新年度から再開するそうで、その開校式典への能の出演について学校への仲介をお願いしておりました。しかし震災時の佐々木校長先生はすでに退任され、新しい校長先生のご意向もあり、また海の近くにあって周辺地域ごと津波の甚大な被害を受けた第二湊小学校が新年より湊小に統合されるなど事務作業も大変で、式典への出演は断念することになりました。

しかし、この夏に湊小の裏にそびえる牧山の上に鎮座する「零羊崎神社」にて奉納させて頂いた際に、この神社に法印神楽が伝えられていることがわかり、来夏には神社の祭礼などでこの神楽との競演を計画して、その調整を氏子さんである佐藤さんにお願いしているほか、湊小再開の機会に、課外活動であっても神社の協力を得て子どもたちに郷土の伝統芸能の継承を学校にお願いする事をお勧めしていまして、そんな相談をさせて頂きました。

こうして短い日程ではありましたが、2日間の石巻での活動を終えて帰途に。
しかし、まだ日も高かったため、これまた2年半も宮城県に通っていながら、そうして先日 東京で能『融』を勤めていながら ちゃんと見ていない塩竃周辺の観光地を見て帰ることにしました。