ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『通盛』…「直ぐなる能」とは(その2)

2016-05-10 23:41:08 | 能楽
ワキの読経に耳を傾けるシテとツレの二人。風情のある場面ですが、ここでツレが着座するまで、ずっと二人は立ったまま。しかも正面から見るとシテの姿はツレの後ろに隠れてしまって、地謡の中であたりを見回す型さえ見えにくい事になってしまいます。『通盛』という曲は正面席で見るのはやや不利になりますね。中正面の脇正面席寄りのお席の方がシテの姿はよく見えます。

そこで、演者もいろいろ工夫はしておりまして、いわく、周囲を見渡す型の足遣いに注意して、少しだけツレの真後ろに立つのを避けるとか、今回は先輩のアドバイスも受け、師匠のお許しも頂きましたので、定められた型とは少し変えて、早めにツレに着座させようと考えております。

さて経を読む声に心を静めて聞き入る二人にワキ僧も気づき、声を掛けます。

ワキ「誰そやこの鳴門の沖に音するは。
シテ「泊り定めぬ海士の釣舟候よ。
ワキ「さもあらば思ふ子細あり。この磯近く寄せ給へ。
シテ「仰せに随ひさし寄せ見れば
〈と棹に右手をかける〉。ワキ「二人の僧は巖の上。シテ「漁の舟は岸の陰。
ワキ「芦火の影を仮初に。御経を開き読誦する。シテ「有難や漁する。業は芦火と思ひしに。
ワキ「善き燈火に。シテ「鳴門の海の
〈と下居て合掌〉。
シテ/ワキ「弘誓深如海歴劫不思議の機縁によりて。五十展転の随喜功徳品。


先ほど「楫音を静め唐櫓を抑へて」と棹に右手を掛けたシテは、ここでも再び棹に手を掛けながら二足だけ前へ出ます。先ほどの型は、経を聞くために舟が流れないように棹で舟を固定したのであり、こちらはワキに「この磯近く寄せ給へ」と乞われたシテが「仰せに随ひ」舟を「さし寄せ」たのです。本当に舟の作物をワキのそばに移動させるのではなく、二足出ることで舟が「移動した」ということを表現します。能らしい表現方法ですが、やはり型を注視し、台詞を聞き取りながら、でないとすぐに理解するのは難しいですね。

ところでここ。。ちょっと ぬえは違和感を持っています。海に出る「釣り舟」という設定ですが、棹をさしてそれを操縦するのは「川船」の方法ですよね。川船というのは、水底までが浅い川に適した舟で、舟の底が平らなのです。そうして長い竹竿で川底を突くことによって、川の流れに流されずに進むことができるのです。また舟を止めるときも(まさに『通盛』のシテがここでしている型のように)、竹竿を川底に突いて、船頭さんが自分の足を踏ん張ることで舟を固定するのです。

底までが深い海では棹で舟を操縦するのは無理で、海舟の場合は「帆」で進むのでなければ「櫨」を漕ぎながら進むはずですね。舟を止める場合は碇などを海に投げ込むのかな?
まあ、このあたりの齟齬は京都を中心に発達した能では致し方のないところかもしれません。

しかしながら経を読む僧が海岸の岩の上に座し、その下に舟を漕ぎ寄せた漁翁と若い女の二人が殊勝そうに僧の声に聞き入る、というのは風情の良い場面です。僧は日が暮れてあたりが暗くなってきたので、釣り舟の篝火の火を借りて、それを頼りに経を読もうとしたのであり、一方のシテの言葉は、これはちょっとわかりにくいですが、「ありがたや漁する。業は芦火と思ひしに。善き燈火に鳴門の海の」とは、漁という殺生を生業としている身は罪深く心憂いのであり、篝火さえその殺生のための道具であると思っていたのに、僧に乞われて読経の手助けをすることになるとは ありがたいことだ、というような意味です。

地謡「実にありがたやこの経の〈と立ち上がり扇を開き〉。面ぞ暗き浦風も。芦火の影を吹き立てゝ〈と扇にて篝火をあおぐ〉。聴聞するぞありがたき〈と下居〉
地謡「竜女変成と聞く時は。竜女変成と聞く時は。姥も頼もしや祖父は言ふに及ばす。願ひも三つの車の芦火は清く明かすべしなほなほお経。遊ばせなほなほお経あそばせ。


かくしてシテは地謡の文句の中で立ち上がり、腰に挿していた扇を取り出して開き、篝火をあおぐ型をします。僧と漁師たちはこの鳴門の海を介して心を通わせたのでした。

ワキ「あら嬉しや候。火の光にて心静かに御経を読み奉りて候。先々この浦は。平家の一門果て給ひたる所なれば。毎夜この磯辺に出でて御経を読み奉り候。取り分き如何なる人この浦にて果て給ひて候ぞ委しく御物語り候へ。

さて読経も一段落したところで、ワキはシテに声を掛け、この鳴門で命を失った平家の人々について尋ねます。ワキの僧はこの鳴門に住む人ではなく、平家を弔うためにひと夏の間、この所に逗留している、と冒頭に言っていますね。ここはその土地に住む漁師であろうと推測されるシテとツレに、鳴門での合戦の模様を尋ねたのです。

シテ「仰せの如く或ひは討たれ。又は海にも沈み給ひて候。中にも小宰相の局こそ。や。〈とツレを見て〉もろともに御物語り候へ。

シテは当たり前のように鳴門で命を落とした平家の人々のことを語り、その中でもことに哀れな物語として小宰相が入水自殺を遂げた事を語り出そうとしたところで、それまで押し黙っていたツレにも声を掛けて、ともに物語るように促します。

もうほとんど自明の事だと思いますが、もちろんこれはツレが、この海に身を投げた小宰相だからシテはツレに声を掛けたのです。シテはツレが自らの声で僧へ語ることを促すことで、僧に懺悔をし、罪障を晴らそうとしてやったのかもしれません。

ところで…ここで「源平の鳴門の合戦?」と疑問を感じた方もあるかもしれません。じつはその疑問は正解で、阿波の国で源平の合戦はありませんでした。それどころか『平家物語』によれば、この鳴門で命を落としたのは、みずから海に身を投げた、小宰相ただ一人なのです。

このへんは演出上のトリックのようなものかもしれません。この地で命を失ったのが小宰相一人だ、としておくとワキは彼女一人を弔うために鳴門にやって来た事になるのですが、それよりも、平家一門の跡を弔う僧の前に、彼の知らない小宰相の悲しい物語が提示される方が、その悲劇を知って重ねて僧が弔う意識が鮮明になりますし、そうなれば後場でシテの通盛とツレの小宰相の二人が登場するのに必然性が生まれるからです。

もっとも。。この地で誰が亡くなったのかも知らずに、鳴門にやって来て、漠然と平家を弔うワキ僧、というのも うかつな事ではありますけれどね。

いずれにしても、シテとツレによる小宰相の入水自殺の物語は、土地の伝承のような他人事の物語から、次第に自らの身の上を語るように迫真を増してゆきます。

ツレ「さる程に平家の一門。馬上を改め。海士の小船に乗りうつり。月に棹さす時もあり。
シテ「こゝだにも都の遠き須磨の浦。シテ/ツレ「思はぬ敵に落されて。実に名を惜む武士の。おのころ島や淡路潟。阿波の鳴門に着きにけり。
ツレ「さる程に小宰相の局乳母を近づけ。
シテ/ツレ「いかに何とか思ふ。我頼もしき人々は都に留まり。通盛は討たれぬ。誰を頼みてながらふべき。この海に沈まんとて。主従泣く泣く手を取り組み舟端に臨み
〈と二人立ち上がり〉
ツレ「さるにてもあの海にこそ沈まうずらめ
〈ツレは右の遠くを見る〉
地謡「沈むべき身の心にや。涙の兼ねて浮むらん
〈ツレはシオリ〉

『通盛』…「直ぐなる能」とは(その1)

2016-05-10 20:39:05 | 能楽
もう時間がないので、とりあえず詞章と型の説明を進めながら能『通盛』をひもといて参ります。
今回の考察の出発点は、修羅能にしては あまりに動作が少ないことで、まあ前半部分は仕方のない面もありますが、後半に至っても。。

こんな事から、せっかくお出まし頂けるお客さまに、「動かない場面」で役者が何を演じているのかを解説する必要があると考えて、機会あるごとに実演の舞台の映像をお見せしながら解説をして参りました。もとより役者は舞台以外の場面で自分の上演の解説をするのは本道ではありませんけれども、今回は長男が「初面」を勤める、ということで、初めて能楽堂に足を運んでくださるお客さまも多く、解説なしでは共感頂けるのは難しい面もありまして。

ところが、この能について 考えを巡らしているうちに、演出の上でかなり工夫が凝らされている曲だということに気が付きました。「動かない」ことを意識して作られている形跡があるし、だからこそ「動く」場面が活きるように作られていますね。現代人の時間感覚からは、その「動かない」場面がどうしても苦痛になってしまうけれども、「溜め」に気を配った作品だと思います。そして、何と言っても『通盛』は詞章が素晴らしいですね。『葵上』と同じく作者も不明な古作の能ではありますが、当時まだ能役者が貴族社会と縁がなかった時代に、この2曲は美辞麗句を駆使して、作者の非凡を窺わせます。この2曲の終末部分の詞章が同文なのも、何か関係があるのかも。

それでは詞章を見ながら舞台進行を見ていきたいと思います。

囃子方、地謡が座付くと、すぐにワキは幕を上げ、笛が名宣笛を吹いてワキの登場を彩ります。

ワキ「これは阿波の鳴門に一夏を送る僧にて候。扨もこの浦は。平家の一門果て給ひたる所なれば痛はしく存じ。毎夜この磯辺に出でて御経を読み奉り候。唯今も出でて弔ひ申さばやと思ひ候。

登場するのは僧で、従僧(ワキツレ)を1人伴っています。
二人はやがて脇座に行き着座して上歌を謡います。

ワキ/ワキツレ「磯山に。暫し岩根のまつ程に。暫し岩根のまつ程に。誰が夜舟とは白波に。楫音ばかり鳴門の。浦静かなる。今宵かな。

これに続けて<一声>の囃子が始まると、後見が舟の作物を出します。骨組みだけの簡素な舟ですが、立派に舟に見えます。特徴的なのはその舟に篝火がつけられていることで、これは『通盛』だけにしか使いません。

舟の作物を出して後見が退くと、若い女(ツレ)を先立てて漁翁(前シテ)が登場し、舟に乗り込むとシテは後見により差し出された竹棹を左手に持ちます。

これにより夜が迫っている鳴門の海岸の岩の上に座して亡き平家の公達たちを弔う僧の姿と、そこに ふと現れた老人と若い女という、やや不自然な二人が乗った舟が現れた、という構図が出来上がります。

シテとツレは舟を自分たちで持ち運んで舞台に据えることは不可能なので、後見によって先に持ち出されるわけで、これは能の常道ではありますが、ワキはすでに「誰が夜舟とは白波に。楫音ばかり鳴門の。。」と謡っていますから、どこからか自分たちに近づいてくる舟の気配は感じています。そこにまず舟が出され、続いてシテとツレが乗船することで、おぼろに、うっすらと舟の姿が海上に現れてくる風情を表すのでしょう。

ツレ「すは遠山寺の鐘の声。この磯辺近く聞え候。
シテ「入相ごさめれ急が給へ。
ツレ「程なく暮るゝ日の数かな。
シテ「昨日過ぎ。ツレ「今日と暮れ。シテ「明日またかくこそ有るべけれ。
ツレ「されども老に頼まぬは。シテ「身のゆくすゑの日数なり。
シテ/ツレ「いつまで世をばわたづみの。あまりに隙も波小舟。
ツレ「何を頼に老の身の。シテ「命のために。シテ/ツレ「使ふべき。
地謡「憂きながら。心の少し慰むは。心の少し慰むは。月の出汐の海士小舟。さも面白き浦の秋の景色かな。
〈と右の方へ見回す〉所は夕浪の。鳴門の沖に雲つゞく。淡路の島や離れ得ぬ浮世の業ぞ悲しき浮世の業ぞ悲しき。〈と面を伏せる〉

。。動かないです。シテもツレも。要するに二人が舟に乗っているのがその原因で、前場の最後にツレが入水する有様を見せるまで、二人はずっと舟の中にいるため、動作をする場所がその舟の上に限られてしまうのです。後述するように、演技がないわけではない。それが限られた場所で小さく行われているため目立たないのです。

そうして、この場面ではシテとツレの二人が登場して、地謡は鳴門の景色を描写していますね。まだシテとワキは出会ってもいないのですが、この景色の描写の場面だけで10分くらは掛かるのではないでしょうか。ストーリーの展開としては甚だゆったりとしたものですが、能はこういう場面を大切にしています。何もない舞台ではありますが、場面の状況をゆったりと地謡が描写し、シテが静かにそれを眺める型をすることによって、鳴門の海に観客を誘導しようとしているのです。

シテ「暗濤月を埋んで清光なし。ツレ「舟に焚く海士の篝火更け過ぎて。
シテ/ツレ「苫よりくゞる夜の雨の。芦間に通ふ風ならでは。音する物も波枕に。夢か現か御経の声の。嵐につれて聞ゆるぞや。楫音を静め唐櫓を抑へて
〈と棹に右手をかけ〉。聴聞せばやと思ひ候〈と面を伏せる〉。

シテとツレの登場の冒頭に、ツレは「遠山寺の鐘の声」を聞いています。そうして ここでワキが経を読む声が二人の耳に響いてくるのです。「遠山寺の鐘の声」は言うなれば伏線で、ワキの経を読む声に、じつはシテとツレの二人は引き寄せられてやって来たのでしょう。もちろん、このシテが平通盛の、ツレはその妻・小宰相局の霊の化身だという事はここでは明かされていませんので、観客はそれが明かされた時点で、最初の場面から、この曲が仏教の。。というか、とりわき法華経の功徳が中心に据えられて構成されていることが理解されることになります。

梅若研能会5月公演

2016-05-10 02:13:29 | 能楽
あっという間にもう来週に迫ってしまいました。ぬえがシテを勤めさせて頂く能『通盛』…来る5月19日の「梅若研能会5月公演」にて この曲を上演させて頂きます。

稽古を始めた当初は「動きが少なくて見せ場がない能だなあ。。」と嘆息していたのですが、意外や大きな発見をしてしまいました。

この度の『通盛』では ぬえの長男がツレとして登場させて頂きます。…かつて子方を勤めていた頃は「チビぬえ」として このブログでもご紹介させて頂いた事もありましたが、彼もいつの間にか高校3年生! そうしてこの日、舞台で初めて面を掛ける「初面(はつおもて)」という、能楽師の生涯の中でもちょっとしたお祝い事を迎える事となりました。

そんな事から今回の公演はチケットの売れ行きが好調でして、だからこそ、動きが少ないこの能について、お客さまが退屈しないように、舞台で役者が何を演じているのか、どうして動きが少ないのか、を機会あるごとに解説するようにしております。ぬえの生徒さんの稽古場でも、時間を見つけて映像を流しながら解説したり。

こうしているうちに、能『通盛』で見落とされている、作者の思い、というような物が見えてきたように感じてきました。古曲とされるこの能を「改作」して現在の形にした、とされる世阿弥が、みずからこの能を「直ぐなる能」と評価していますが、この言葉は単純に言葉通りに解釈してはならないのではないか? という印象も持っています。

残された時間は わずかではありますが、せっかくの機会なので、『通盛』についての ぬえの考えをしばらく述べさせて頂きたいと存じます。

まずは公演の宣伝から! 平日の公演ではありますが、どうぞお誘い合わせの上ご来場賜りますよう、お願い申し上げます~

梅若研能会 5月公演

【日時】 2016年5月19日(木・午後2時開演)
【会場】 セルリアンタワー能楽堂 <東京・渋谷>

 能  通 盛(みちもり)
     前シテ(漁翁)/後シテ(平通盛) ぬえ
     前ツレ(女)/後ツレ(小宰相局) 八田和弥(チビぬえ)
     ワ キ(僧)野口 能弘/間狂言(浦人)大蔵 教義
     笛 寺井 義明/小鼓 田邊恭資/大鼓 高野彰/太鼓 大川典良
     後見 梅若万佐晴ほか/地謡 青木一郎ほか

   ~~~休憩 15分~~~

狂言 狐塚 小唄入(きつねづか・こうたいり)
     シテ(太郎冠者)  大蔵彌太郎
     アド(主 人)   大蔵 基誠
     アド(次郎冠者)  吉田 信海

能  井 筒 物着(いづつ・ものぎ)
     前シテ(里女)/後シテ(紀有常女) 梅若 泰志
     ワキ(旅僧)宝生欣哉
     笛 松田弘之/小鼓 古賀裕己/大鼓 柿原弘和
     後見 梅若万佐晴ほか/地謡 伊藤嘉章ほか
                     (終演予定午後5時50分頃)


【入場料】 指定席6,500円 自由席5,000円 学生2,500円 学生団体1,800円
【お申込】 ぬえ宛メールにて QYJ13065@nifty.com