ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『通盛』…「直ぐなる能」とは(その4)

2016-05-11 11:59:47 | 能楽
ぬえの解釈。。これは能楽師だから考えること、かもしれませんが、稽古をしてみて実際の舞台進行に即して持った印象なのですが。

つまり、この場面。。というよりこの能の前半部分はツレ小宰相の物語なのであって、いうなればツレが主人公であって、漁翁のシテは、「主役」ではあっても「主人公」ではないのではないか、というものです。

ぬえの解釈によれば、入水の場面で小宰相の袖にすがって止めるのは、通盛の化身ではなく、やはり乳母なのです。

それは例えば、次のような、舞台に現れる小さな事象を積み重ねてきたときに考えられるのではないかと思います。いわく、入水を止める場面での言葉。。「この時の物思ひ君一人に限らず。思し召し止り給へ」が、夫の遺言を背いてまで彼の後を追おうとする妻の決意を翻すには、あまりに薄っぺらな説得であること。。これは小宰相の入水に対する通盛思いではなく、やはり乳母の言葉と解すべきでしょう。

そもそも、すでに先に討ち死にしている通盛が、同じく入水自殺を遂げた妻を 今さら引き止める、という構図そのものに違和感があります。僧に対して懺悔のために自分たちの死の有様を仕方話に演じているのだとしても、妻の死に夫の動作は介在できないはずですし。

それから、もしこの能の前場での主人公がシテではなくツレだと考えると、正面に向けて出された舟の先の方にツレが立ち、シテはその後ろに立つことでツレの陰に隠されて客席から見えにくい事も説明がつきます。もちろん、舟を漕ぐのは後ろに乗る人の役目ですし、そこに男性のシテが立ち、女性であるツレがお客さんのようにその前に立つのは当たり前のことです。そうして、もしもシテが前に立ってしまったら、それこそ主役に隠されたツレはまったく舞台に登場した存在意義がなくなってしまう。さらにはそのような位置関係では小宰相が死去したこの場所で彼女の最期を物語るには圧倒的に不利。。というか不可能でしょう。

そんな事からシテが後ろに、ツレが前に立つのは当然なのですが、これによって終始、シテの姿は正面から見えづらい事になります。ところが、この前場の核心となる部分は小宰相の最期です。そうであれば物語はその化身であるツレの口から語られるのが自然ですし、最も効果的であります。そのためにはツレ一人に観客の注目が集まる方が、その効果を最大に高めることができるのです。

現に、ワキ僧から鳴門で死亡した平家の事を問われたシテは「中にも小宰相の局こそ。。」と言いかけて、あえてツレに「もろともに御物語り候へ」と発言を求めます。そうしてこれ以後、ずっとシテとツレとの連吟になるのですが、その中でシテは「こゝだにも都の遠き須磨の浦」の1句を謡うのみで、これに対してツ
ツレは「さる程に平家の一門。。」「さる程に小宰相の局乳母を近づけ。。」「さるにてもあの海にこそ沈まうずらめ。。」と、多くの説明をみずからの口によって行います。

この場面で語り手は明らかにツレ小宰相なのであって、シテは「主役」という立場上、連吟の主導を執るけれども、内容としてはむしろ「もろともに」と言うよりはツレの一人語りと考えるべきでしょう。シテは、舞台への登場からワキ僧との問答など、舟の所有者として、ツレよりも年長者として、一定の主導権は執るけれども、ワキに問われて「鳴門で死去した平家一門」を物語るとき、その話題はおのずから小宰相の悲劇にならざるを得ないです。ですから「や。もろともに御物語り候へ」とシテが言うとき、物語の「主人公」はシテの手を離れてツレに移った、と考えることができると思います。

そうであれば、「乳母泣く泣く取り付きて」と地謡が謡うときにツレの袖にすがって引き止めたのは、やはり通盛の霊ではなくて、「乳母」であったのだと思います。それは、乳母の霊が登場したのでも、また通盛が乳母の役を演じたのでもなく、ただ、そういう光景がその夜に繰り広げられた、ということを視覚的に説明する、演出上の方便として行われるのであろうと考えています。この場面。。ツレが入水を決意するところから、それを乳母が引き止めようとする場面、そしてツレの入水までは、シテは「主人公」であることをツレに譲って、その演技の補助的な役割を勤めているのだと思います。

そしてツレの入水の場面にはまた特筆すべき演出が施されてあります。

それは、ツレが乳母の制止を振り切って、舟から<左側>に下りて膝をつくのに対して、シテは反対側。。<右側>に向いて、ツレの姿を見失った体で海面を見回して呆然とした表情を見せるのです。(注:右・左は演者から見た方向ですので、客席からは逆に。。ツレは向かって右側の舞台中央の方向に舟を下りて膝をつき、シテは向かって左側。。脇正面の客席の方にその姿を探す型をします)

一瞬のことではありますが、シテとツレが あべこべの方向を向いて演技をするので、お客さまには混乱があるかもしれませんね。

これは、舟の作物がシテ柱の先、舞台の右側いっぱいに出されているので、ツレは物理的に舟の右側には下りられない(舞台から落ちてしまう)、という理由もあります。けれどもこの動作の理由はそれだけではないのです。

現に、ツレは入水する直前に「さるにてもあの海にこそ沈まうずらめ」と謡うとき、その後に実際に舟を下りる方向ではなく、やはり<右側>に向くのです。この曲では阿弥陀如来がおわす西方浄土を、ツレから見て<右側>に設定しているのは明らかで、入水した後にシテがツレの姿を探す方向とも一致しています。

それなのにツレはそれとは反対側の<左側>に向かって入水する型を見せるわけですが、つまりこれは、小宰相が入水した、という「事実」あるいは「動作」だけを抽出して見せているのだと思います。「こうして海に飛び込んだ」という動作が観客の目に入れるのが目的で、ツレは舟から下りて膝をつくと、すぐに立ち上がって、後見座に後ろ向きに着座してしまいます。能では常套手段の演出で、この役者はもう舞台上には存在しない、という事を意味する約束事です。そうして、ツレに袖を振りきられたシテ。。乳母は、あわてて「小宰相が飛び込んだ方角」である<右側>の海面を目で探し、それが得られないと分かると呆然と中空を見上げます。このとき、シテ。。乳母が探す方向にツレの役者の身体があってはならないはずです。

ずっと動作が少ない能であるからこそ、この一瞬の動きはとても目に鮮やかに飛び込んできますね。一瞬のうちに観客は舟の<左側>に小宰相が入水した、という「事実」を見、すぐさまその姿を見失った「残された者」。。乳母の悲嘆を<右側>に見るのです。これに気づいた ぬえは、大変優れた演出だと感嘆しました。

付け加えて言えば、ツレを見失ったシテは激しく右左に面を動かして(これを「面を切ル)と言います)海面にツレの姿を求めますが、このとき(役はあくまで乳母であるけれども)、シテが掛けている老人の面。。わけても『通盛』の前シテに使う「笑尉」や「朝倉尉」という面は、面を切ルと大変効果が出る面なのです。ほかにも面を切ルのが利く面には「泥眼」や「般若」がありますが、作者がその効果まで計算に入れて、『通盛』の前シテを、通盛本人が若くして死んだにもかかわらず、あえて老人に設定したのだとしたら。。

先ほど「シテは『主人公』であることをツレに譲って、その演技の補助的な役割を勤めている」と書きましたが、もちろんそのまま「主人公」であることを放棄したままでは終わりません。

ツレの姿を見失って呆然とした有様は、それを制止し得なかった乳母の心でもありましょうし、同時に愛妻を失った(ことを冥土で知った)通盛の悲しみでもあります。シテは自然に乳母から通盛本人へとその主体を移し、喪失感を漂わせたまま、ツレと同じように舟から下りると、正面を向いたまま力なく後ろに下がると、やはり膝をついて座ります。

ツレが一瞬で海に飛び込んだ様子とは対照的に、シテは静かに 静かに膝をつくことで、ずぶずぶと海の中に姿を消した事を表現します。

かくしてワキ僧はここに至って、はじめてこの漁師たちが生きた人間でないことを悟ったでしょう。そうしてシテが再び立ち上がって、これも静かに幕に姿を消したとき、舞台上には二人が登場する前と同じように舟がポツンと取り残されるのです。誰も乗っていないままに波間を漂う舟。。ちょっと怖いですね。

今回は笛が森田流のため、シテが橋掛リを歩んで幕に向かうとき、彩りの笛を吹いてくださいません。無音の中を歩むのはなかなか難しいですが、緊張の糸がとぎれる事がないように歩みたいです。

『通盛』…「直ぐなる能」とは(その3)

2016-05-11 09:34:34 | 能楽
昔物語をしているうちに夫である通盛の死亡を受けて、妻は「主従泣く泣く手を取り組み舟端に臨み」と立ち上がり、入水の決意を語り、涙します。もう完全にツレは小宰相その人であることは疑いなく、続く入水の場面を予感させます。

地謡「西はと問へば月の入る。西はと問へば月の入る。其方も見えず大方の。春の夜や霞むらん涙もともに曇るらん。乳母泣く泣く取り付きて。この時の物思ひ君一人に限らず。思し召し止り給へと御衣の袖に取り付くを〈とツレの右袖に両手をかけ〉。振り切り海に入ると見て〈ツレは左の方へ作物を下り下居〉老人も同じ満汐の。底の水屑となりにけり底の水屑となりにけり〈とシテも作物より下り下居〉。〈中入:シテは幕へ入り、ツレは後見座に下居〉

前半部分の最後の場面です。まずは素晴らしい名文なのですが、演出はそれを上回る素晴らしさです。

ツレは入水の決意を固めると阿弥陀如来のおわす西方浄土を希求し、されども季節は春。夜の霞があたりに立ちこめ、月が没するあたりもおろに霞んで見え分かない。いや、決意はしたけれど、自らの命を絶とうとする悲しみの涙は押さえようもなく溢れて、そのために景色が見えないのかもしれない。。シテは「泣く泣く取り付き」、同じように愛する人を亡くした悲嘆は平家の舟の中に満ちあふれている、あなた一人ばかりではないのだから、どうか思いとどまってください、とすがりつきますが、ツレはそれを振り切って海中に没します。。と。シテも同じように舟から下りると、海中に姿を消すのでした。

シテは(扮装を変えるために)幕の方へ静かに消え行き、ツレは後見座に後ろ向きに座します。これは舞台上から消え失せたことを表し、ただし扮装は変えないため舞台に居残っているので、観客はこの役を舞台にいないもの、として無視しなければなりません。

ところで、このツレの入水の場面、ほんの10秒くらいの間にめまぐるしく動作が続くところなので、よくご覧頂きたいところです。

シテがツレを止めようと袖に両手を掛けますが、ツレはそれを振り切り、<左>の方へ作物の舟を下りて座ります。一方シテは振り切られて、あっという心で<右>の下の海面を面を切り(鋭く面を動かして見回す)、ツレの行方を目で捜しますが得られず、呆然と面を上げます。この間にツレは立ち上がって、すでに姿は舞台上から消えた心で後見座に行きます。シテは心ここにあらずという風情で、やはり<左>に舟を下り、静かに正面を向くと、そのまま 少し下がって座りこみます。やはり水中に没した体ですが、ツレのように飛び込んだ、という感じではなく、ズブズブと水の中に姿を沈めてゆく風情です。

さて、この場面の理解のために、通盛と小宰相について おさらいしておきましょう。

平通盛は、清盛の弟で「門脇中納言」と呼ばれた教盛(のりもり)の長男で、清盛からは甥に当たります。幼い頃から順調な昇進を続けましたが、一ノ谷の合戦で敗死しました。その妻・小宰相局(こざいしょうのつぼね)は後白河法皇の姉である上西門院に仕えた女房で、宮中一の美人と言われた人です。あるとき女院の花見の供のときに通盛に見初められましたが3年の間返事もせず、あるきっかけから通盛の恋文を女院が見る事となり、女院の仲介で二人は結ばれることとなりました。

それからの二人の仲は睦まじく、平家が都落ちをする際も、多くの公達が戦乱を避けて妻を都に止めて一人都落ちしたのに対して、通盛は小宰相を同伴して都を後にしました。が、結果としてこれが二人とも命を落とす、という悲劇を生むことになります。

一ノ谷の合戦の前夜、女房たちは海に浮かぶ舟に残して男たちは陸に陣を張っていましたが、通盛は小宰相を幕屋に呼び寄せ、二人きりで別れを惜しみました。ところが通盛の弟で勇猛で知られた平教経がこれを見とがめて叱責したので通盛は妻を舟に帰し、翌日の合戦に臨みましたが討ち取られてしまいました。

一ノ谷の合戦に破れると、平家は軍船に乗って対岸の讃岐の屋島に退くために出帆します。その夜、夫が戦死したとの報がもたらされ、小宰相は嘆き悲しみます。やがて夫の後を追って入水する覚悟を決めて、その旨を乳母の老女に告げると乳母は嘆いて小宰相に取りすがりますが、夜が更けると小宰相は、鳴門に停泊している舟の中からひとり船端に臨んで、ついに自らの命を絶って夫の後を追ったのでした。

。。と、ここで能の舞台に戻ると、不思議な事実に行き当たりますね。

つまり、中入の前にツレの袖にシテが取り付いて、自殺を思い止めようとしますが、現実には彼女が自殺を考えたとき、夫の通盛はすでに戦死しているのです。その化身たる前シテ漁翁がツレを思い止まらせようと袖に取り付くの事はあり得ない。。彼女を引き止めようとするのは老女である「乳母」であるはずです。

まあ。。この場面は、小宰相が入水自殺を遂げた「その当夜」の出来事ではなく、小宰相の霊の化身による「再現」であるので、このときに運命を共にしたわけではない乳母が登場しないのは不自然ではありません。

ただ、理詰めで考えれば、小宰相の入水事件が起こったとき、夫の通盛もその現場にはいませんでした。彼はその何日か前の一ノ谷の合戦で すでに落命していたのですから。。

この場面で、なぜ通盛の化身である漁翁が小宰相の入水を引き止めようとするのか? と考えるとき、いろいろな解釈が可能だと思います。

素直に考えれば、夫の死の後を追って小宰相も命を落とすことを、通盛自身が望んでいなかったこと。。これは能の中でも後半の場面に出てきますが、合戦の前夜の夫婦の語らいで通盛は、自分が戦死したらあなたは都に帰って私の後を弔ってほしい、と頼んでいます。つまり小宰相は通盛のこの「遺言」に背いて自ら死を選んでいるのです。

こう考えれば、この場面で通盛の霊が妻の入水を止めようとするのは、自分の後を追って死んで欲しくなかった、という通盛の思いがそのまま投影されているのだ、と解釈することができます。これが最も自然な解釈ですが、しかし、そうだとするとこの場面に描かれる「悲しみ」はいったいどういう事でしょう。通盛と小宰相の夫婦は死後も仲睦まじく冥土で再会したとは ちょっと考えにくいです。おそらく、それぞれ別の場所で落命した二人の魂は、その事実によって永久に離ればなれになっているのでしょう。形ばかりは ひとつの釣り舟に乗っているとしても、です。これはこれで救われない、重い運命を背負い込んでしまった、二人。。

でも、ぬえはこれとは異なる、独自の解釈を持っております。