とか言っているうちに、ついに明日が『通盛』公演の当日になりました。
おかげさまでチケットもかなり売れ行きが良いようで。。ありがたいことです。
動かない能だから、そういうときは舞台で役者が何を演じているのか、このブログでお伝えすることができたら本望です。
で、今日は最後の話題。。表題にもした「直ぐなる能」について考えてみたいと思います。
『通盛』について、世阿弥よりも時代が遡る古作の能であることは前述しました。その多くは作者も不明なのですが、じつは『通盛』は作者が判明している数少ない能です。
いわく世阿弥の伝書『申楽談儀』に、
静 通盛 丹後物狂 以上、井阿作。
とあるからです。
が、「井阿弥」は詳細が不明の人物で、世阿弥と同時代か少しだけ遡る時代の人であるらしいこと、能の作者であり役者でもあったろう、と推測されるほかは、読みさえ「いあみ」なのか「せいあみ」なのかさえ判明していません。
ところが同じ『申楽談儀』の別の箇所では
道盛、言葉多きを、切り除け切り除けして能になす。
と、その井阿弥の原作を世阿弥が大幅に改作したことが記されています。
これらの事実は大変有名で、同じく『申楽談儀』の中で『通盛』に言及している次の記事もよく知られています。
祝言の外には、井筒・道盛など、直ぐなる能也
偶然にもどちらも今回の梅若研能会での上演曲だ。。(汗)
『通盛』を世阿弥は「直ぐなる能」と評しているわけですが、「直ぐなる」の意味は、その直前に、
先、祝言の、かゝり直なる能より書き習ふべし。直なる能は弓八幡也。曲もなく、真直成る能也
と書かれていて、これを「能の台本を書くには神をあがめる脇能から学び始めるべきだ、『弓八幡』などは好例で、複雑な変化もなく、素直な能である」と解すれば、『通盛』も『弓八幡』のように素直な能だ、という事になるのですが。。本当にそうでしょうか。
今回『通盛』の稽古をしてきて、前シテが「主役」ではあっても「主人公」ではないのだ、という事を経験しました。現在まで、それほど多くの能を演じてきたわけではないけれども、これは ぬえにとって初めての出来事でしたね。
それから、この能は面白いことに台本に時間軸の逆転が組み込まれていますね。
前シテでは入水するに到る小宰相の心理を描いているのに対して、後場では通盛と小宰相の逢瀬から通盛の戦死に到るまで。。彼女の入水事件からは数日遡った一ノ谷の合戦の前後が描かれるのです。世阿弥が確立したとされる複式夢幻能では、前シテがある事件について述べ、後場ではその同じ物語を本性を現した後シテが語る、という事が多いですが、『通盛』はそれとも違う、前後の場面で別々の事件を描いています。
極論してしまえば、前場では小宰相(の化身)がシテなのであり、後場では通盛がシテであるような複雑な構成を持った能だとも考えられるのです。
少々異端な構成とはいえ『通盛』は複式夢幻能として台本が形作られていますから、その形式を創造したとされる世阿弥によって、『通盛』は井阿弥の原作からは根本的な変更が行われているとも考えられるし、そうなると、ここまで複雑で精巧な演出を持った『通盛』を「直ぐなる能」と言うことはできるのでしょうか。
また一方、世阿弥の『三道』では
一、軍体の能姿。仮令、源平の名将の本説ならば、ことにことに平家の物語のまゝに書くべし。
とあって、『通盛』はこれにも違反しているように思えます。通盛は「生田の森の合戦に於て。名を天下に上げ。武将たつし誉れを」得た人物ではなかったし、この能の舞台となっている鳴門は「平家の一門果て給ひたる所」でもなければ「仰せの如く或ひは討たれ。又は海にも沈」んだという場所でもありませんし。。
ぬえの結論なのですが、ぬえはこの能は、少なくとも井阿弥の原作の当初には「修羅能」として作られた能ではなかったのではないか、と考えています。
もちろん井阿弥の原作は伝わらず、世阿弥がどこまで原作に手を入れたのかも不明ではありますが、「源平の名将の本説」を描くのが「修羅能」であるならば、『通盛』は武将である通盛だけが主人公ではありません。ツレ小宰相は前場ではシテと同じような地位を与えられ、後場でもこの二人の逢瀬が重要な場面であるし、この二人の法華経による救済がテーマと考えられます。この能は武将の活躍や悲哀を描く能、というよりは、戦乱によって運命を狂わされた男女の愛と悲劇の物語と捉えるべきでしょう。
世阿弥が原作を改変し、その方法が「言葉多きを、切り除け切り除けして能になす」であったのならば、原作は二人の関係をより濃密に描いていたのかもしれないし、ぬえは世阿弥がそれを小宰相の入水事件と、一ノ谷での二人の逢瀬と通盛の戦死、という二つの物語に整理して、それをみずからが開発した「複式夢幻能」の形式にまとめたのではないか、などと想像を逞しくしています。
こして考えたとき、とくに後場でのシテとツレとの登場場面に、ぬえはほかの修羅能よりも『女郎花』や『船橋』『錦木』といった、やはり仲を引き裂かれた男女の愛欲を描いた能との近親を感じます。修羅能には珍しく『通盛』に太鼓が入るのも、それによって夫婦がそろってワキ僧の前に本性を現すのも、これらの3曲と共通の演出です。そうしてまた、世阿弥作とされてる『錦木』を除けば、『船橋』も『女郎花』も、『通盛』と同じく古作の能と考えられているのです。
『通盛』の最後の場面。。ようやくシテが活発に動作をする場面。。では典型的な「修羅能」としての型がつけられていますし、これをもって『通盛』は修羅能というジャンルに属する曲だと考えられていますが、ぬえにはむしろ、この場面こそ「修羅能」という範疇に括るために、世阿弥によって追加された場面なのではないか、とさえ思います。
派手な斬り合いなどの場面よりも、むしろ男女の気持ちの機微を描く能。。それが『通盛』の本質なのではないか、と考えております。
おかげさまでチケットもかなり売れ行きが良いようで。。ありがたいことです。
動かない能だから、そういうときは舞台で役者が何を演じているのか、このブログでお伝えすることができたら本望です。
で、今日は最後の話題。。表題にもした「直ぐなる能」について考えてみたいと思います。
『通盛』について、世阿弥よりも時代が遡る古作の能であることは前述しました。その多くは作者も不明なのですが、じつは『通盛』は作者が判明している数少ない能です。
いわく世阿弥の伝書『申楽談儀』に、
静 通盛 丹後物狂 以上、井阿作。
とあるからです。
が、「井阿弥」は詳細が不明の人物で、世阿弥と同時代か少しだけ遡る時代の人であるらしいこと、能の作者であり役者でもあったろう、と推測されるほかは、読みさえ「いあみ」なのか「せいあみ」なのかさえ判明していません。
ところが同じ『申楽談儀』の別の箇所では
道盛、言葉多きを、切り除け切り除けして能になす。
と、その井阿弥の原作を世阿弥が大幅に改作したことが記されています。
これらの事実は大変有名で、同じく『申楽談儀』の中で『通盛』に言及している次の記事もよく知られています。
祝言の外には、井筒・道盛など、直ぐなる能也
偶然にもどちらも今回の梅若研能会での上演曲だ。。(汗)
『通盛』を世阿弥は「直ぐなる能」と評しているわけですが、「直ぐなる」の意味は、その直前に、
先、祝言の、かゝり直なる能より書き習ふべし。直なる能は弓八幡也。曲もなく、真直成る能也
と書かれていて、これを「能の台本を書くには神をあがめる脇能から学び始めるべきだ、『弓八幡』などは好例で、複雑な変化もなく、素直な能である」と解すれば、『通盛』も『弓八幡』のように素直な能だ、という事になるのですが。。本当にそうでしょうか。
今回『通盛』の稽古をしてきて、前シテが「主役」ではあっても「主人公」ではないのだ、という事を経験しました。現在まで、それほど多くの能を演じてきたわけではないけれども、これは ぬえにとって初めての出来事でしたね。
それから、この能は面白いことに台本に時間軸の逆転が組み込まれていますね。
前シテでは入水するに到る小宰相の心理を描いているのに対して、後場では通盛と小宰相の逢瀬から通盛の戦死に到るまで。。彼女の入水事件からは数日遡った一ノ谷の合戦の前後が描かれるのです。世阿弥が確立したとされる複式夢幻能では、前シテがある事件について述べ、後場ではその同じ物語を本性を現した後シテが語る、という事が多いですが、『通盛』はそれとも違う、前後の場面で別々の事件を描いています。
極論してしまえば、前場では小宰相(の化身)がシテなのであり、後場では通盛がシテであるような複雑な構成を持った能だとも考えられるのです。
少々異端な構成とはいえ『通盛』は複式夢幻能として台本が形作られていますから、その形式を創造したとされる世阿弥によって、『通盛』は井阿弥の原作からは根本的な変更が行われているとも考えられるし、そうなると、ここまで複雑で精巧な演出を持った『通盛』を「直ぐなる能」と言うことはできるのでしょうか。
また一方、世阿弥の『三道』では
一、軍体の能姿。仮令、源平の名将の本説ならば、ことにことに平家の物語のまゝに書くべし。
とあって、『通盛』はこれにも違反しているように思えます。通盛は「生田の森の合戦に於て。名を天下に上げ。武将たつし誉れを」得た人物ではなかったし、この能の舞台となっている鳴門は「平家の一門果て給ひたる所」でもなければ「仰せの如く或ひは討たれ。又は海にも沈」んだという場所でもありませんし。。
ぬえの結論なのですが、ぬえはこの能は、少なくとも井阿弥の原作の当初には「修羅能」として作られた能ではなかったのではないか、と考えています。
もちろん井阿弥の原作は伝わらず、世阿弥がどこまで原作に手を入れたのかも不明ではありますが、「源平の名将の本説」を描くのが「修羅能」であるならば、『通盛』は武将である通盛だけが主人公ではありません。ツレ小宰相は前場ではシテと同じような地位を与えられ、後場でもこの二人の逢瀬が重要な場面であるし、この二人の法華経による救済がテーマと考えられます。この能は武将の活躍や悲哀を描く能、というよりは、戦乱によって運命を狂わされた男女の愛と悲劇の物語と捉えるべきでしょう。
世阿弥が原作を改変し、その方法が「言葉多きを、切り除け切り除けして能になす」であったのならば、原作は二人の関係をより濃密に描いていたのかもしれないし、ぬえは世阿弥がそれを小宰相の入水事件と、一ノ谷での二人の逢瀬と通盛の戦死、という二つの物語に整理して、それをみずからが開発した「複式夢幻能」の形式にまとめたのではないか、などと想像を逞しくしています。
こして考えたとき、とくに後場でのシテとツレとの登場場面に、ぬえはほかの修羅能よりも『女郎花』や『船橋』『錦木』といった、やはり仲を引き裂かれた男女の愛欲を描いた能との近親を感じます。修羅能には珍しく『通盛』に太鼓が入るのも、それによって夫婦がそろってワキ僧の前に本性を現すのも、これらの3曲と共通の演出です。そうしてまた、世阿弥作とされてる『錦木』を除けば、『船橋』も『女郎花』も、『通盛』と同じく古作の能と考えられているのです。
『通盛』の最後の場面。。ようやくシテが活発に動作をする場面。。では典型的な「修羅能」としての型がつけられていますし、これをもって『通盛』は修羅能というジャンルに属する曲だと考えられていますが、ぬえにはむしろ、この場面こそ「修羅能」という範疇に括るために、世阿弥によって追加された場面なのではないか、とさえ思います。
派手な斬り合いなどの場面よりも、むしろ男女の気持ちの機微を描く能。。それが『通盛』の本質なのではないか、と考えております。
(この項 了)