シテが幕を揚げて登場し橋掛リを歩んで、やがて舞台に入るとき、『通盛』ではワキから先に謡いかける演出です。能『鵺』も同じ演出ですが、謡い出しの間合いは決まっているのでワキ方は囃子に精通していなければならず、難しいところです。意味としては亡者であるシテやツレのために法華経を手向けてやっている、ということで、これを聞いてシテは「今者已満足」(今こそ私も満ち足りている)と答えてワキに向かって合掌します。
ワキ「如我昔所願。後シテ「今者已満足〈とワキヘ合掌〉。ワキ「化一切衆生。シテ「皆令入仏道の。
地謡「通盛夫婦。御経に引かれて〈と角にて袖をかけ〉。立ち帰る波の。シテ「あら有難の。御法やな〈と合掌〉。
ところでこの場面も破格なのです。修羅能の中でシテの武将の妻が登場するのは『清経』とこの『通盛』だけですが、『清経』は妻の夢枕に平清経の霊が現れるという設定で、ツレの清経の妻は生きている人間です。これに対して『通盛』ではツレ小宰相もこの世には亡い人で、シテの通盛とともに僧の弔いを受けて冥界から現れた、という設定なのです。
この場面を見るとき、修羅能のほかの曲というよりは、むしろ『船橋』『女郎花』『錦木』と似ている事に気がつきます。ぬえは、じつは『通盛』は修羅能として作られた曲ではないのではないか、と考えていまして。。今挙げた3曲はすべて男女間の妄執による堕罪を描いた曲で、『通盛』はこれらの曲と系統を同じくする曲なのではないかと思っています。
やがて僧は現前に現れた通盛と小宰相の霊と言葉を交わします。
ワキ「不思議やなさも艶めける御姿の。波に浮みて見え給ふは。いかなる人にてましますぞ。
ツレ「名ばかりはまだ消え果てぬあだ波の。阿波の鳴門に沈み果てし。小宰相の局の幽霊なり〈ツレは脇座に下居〉。
ワキ「今一人は甲胃を帯し。兵具いみじく見え給ふは。いかなる人にてましますぞ。
シテ「これは生田の森の合戦に於て。名を天下に上げ。武将たつし誉れを。越前の三位通盛。昔を語らんその為に。これまで現れ出でたるなり。とワキに向かってサシ込 ヒラキ
ツレは登場したのもつかの間、そそくさと脇座に着座して(このとき、それまで脇座に着座していたワキとワキツレは座ったまま右にいざり寄って場所をツレのために空けます)、以後シテに注目が集まります。この能は前場ではシテは「主役」ではあるけれども「主人公」はツレでしたが、今度はそれを取り返すかのように、僧の弔いを受けているのは夫婦二人であるはずなのに、シテ通盛が二人を代表する形で僧に感謝を述べ、またその後は通盛の武将としての姿が描かれ、また通盛の視点から 合戦前夜の小宰相との語らいの場面が語られます。
地謡「そもそもこの一の谷と申すに。前は海。上は険しき鵯越〈と床几にかかり〉。まことに鳥ならでは翔り難く獣も。足を立つべき地にあらず。
シテ「唯幾度も追手の陣を心もとなきぞとて。
地謡「宗徒の一門さし遣はさる。通盛もその随一たりしが。忍んで我が陣に帰り。小宰相の局に向ひ〈とツレの前に下居〉。
地謡「既に軍。明日にきはまりぬ。痛はしや御身は通盛ならでこのうちに頼むべき人なし。我ともかくもなるならば。都に帰り忘れずは。亡き跡弔ひてたび給へ。名残をしみの御盃〈と通盛は扇を拡げツレノ前にて下居〉。通盛酌を取り。指す盃の宵の間も。うたた寝なりし睦言は。たとえば唐土の。項羽高祖の攻めを受け。数行虞氏が涙も是にはいかで増るべき。燈火暗うして。月の光にさし向ひ。語り慰む所に。
シテ「舎弟の能登の守。
地謡「早甲胃をよろひつゝ。通盛は何くにぞ。など遅なはり給ふぞと〈と幕の方へ向き見〉。呼ばはりしその声の。あら恥かしや能登の守。我が弟といひながら。他人より猶恥かしや。暇申してさらばとて。行くも行かれぬ一の谷の。所から須磨の山の。後髪ぞ引かるゝ〈とシテ柱まで行き正へ向き〉。 翔
能『通盛』では平家の武将としての彼を「田の森の合戦に於て。名を天下に上げ。武将たつし誉れ」「宗徒の一門さし遣はさる。通盛もその随一たり」と美化して描いていますが、じつは平通盛は『平家物語』によればほとんど戦陣での勲功というものはなく、かえって負け戦の方が先に目につく程度。それも敦盛や忠度のように負け戦ではあってもその敗死が美談として人口に膾炙するような人ではなかったらしく、戦場での様子の描写はなく、わずかに『源平盛衰記』に彼の最期の様子が描かれているものの、『平家物語』では、いわば「合戦の勝敗のまとめ」のようにその戦死が紹介されている程度です。
だからこそ通盛は『平家物語』の中でもほとんど無名に近く、もっぱら能によってその名が知られている人物、と言ってよいでしょう。その能が彼をシテとして取り上げたのも、ここでは名将として描かれているけれども、むしろ武将としての彼よりも小宰相も巻き込んで夫婦ともに命を落とすことになった悲劇を描く能なのだという事がわかります。
実際のところ、修羅能では常套である演出。。本性を現した武将のシテが床几に腰を掛けて合戦の様子を語る。。という場面は用意されていますけれども、ここに座っているのは ほんの2~3分にしか過ぎないのではないでしょうか。すぐにシテは立って小宰相と向き合って舞台に直接座り、二人で語り合った合戦前夜の再現の場面となります。ここで床几を離れて舞台に着座するのは、夫婦の語らいの親密を表すためでしょうね。
この場面では、『平家物語』に描かれているように、通盛が自分の亡きあと頼りとする人がない小宰相の行く末を心配したこと、自分が死んだら都に帰って跡を弔ってほしいと頼んだこと、などが描かれていますが、じつは原拠は『平家物語』というよりは『源平盛衰記』に近く、二人の語らいを通盛の弟・能登守教経が見咎めた、という話は『盛衰記』に描かれています。また通盛が小宰相に酌をして二人で酒を飲みながら話をした、というのは『平家』『盛衰記』の異本に出ているのかもしれませんが、今回はこの記事を見つけだすことができませんでした。
しかしこの場面、じつは『平家物語』には二人の語り合った内容が細々と記されています。これを事前に知っていると、能『通盛』での二人の様子を、より共感を持って見ることができるのです。