ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『通盛』…「直ぐなる能」とは(その7)

2016-05-16 13:13:20 | 能楽

シテが幕を揚げて登場し橋掛リを歩んで、やがて舞台に入るとき、『通盛』ではワキから先に謡いかける演出です。能『鵺』も同じ演出ですが、謡い出しの間合いは決まっているのでワキ方は囃子に精通していなければならず、難しいところです。意味としては亡者であるシテやツレのために法華経を手向けてやっている、ということで、これを聞いてシテは「今者已満足」(今こそ私も満ち足りている)と答えてワキに向かって合掌します。

ワキ「如我昔所願。後シテ「今者已満足〈とワキヘ合掌〉。ワキ「化一切衆生。シテ「皆令入仏道の。
地謡「通盛夫婦。御経に引かれて
〈と角にて袖をかけ〉。立ち帰る波の。シテ「あら有難の。御法やな〈と合掌〉。

ところでこの場面も破格なのです。修羅能の中でシテの武将の妻が登場するのは『清経』とこの『通盛』だけですが、『清経』は妻の夢枕に平清経の霊が現れるという設定で、ツレの清経の妻は生きている人間です。これに対して『通盛』ではツレ小宰相もこの世には亡い人で、シテの通盛とともに僧の弔いを受けて冥界から現れた、という設定なのです。

この場面を見るとき、修羅能のほかの曲というよりは、むしろ『船橋』『女郎花』『錦木』と似ている事に気がつきます。ぬえは、じつは『通盛』は修羅能として作られた曲ではないのではないか、と考えていまして。。今挙げた3曲はすべて男女間の妄執による堕罪を描いた曲で、『通盛』はこれらの曲と系統を同じくする曲なのではないかと思っています。

やがて僧は現前に現れた通盛と小宰相の霊と言葉を交わします。

ワキ「不思議やなさも艶めける御姿の。波に浮みて見え給ふは。いかなる人にてましますぞ。
ツレ「名ばかりはまだ消え果てぬあだ波の。阿波の鳴門に沈み果てし。小宰相の局の幽霊なり
〈ツレは脇座に下居〉
ワキ「今一人は甲胃を帯し。兵具いみじく見え給ふは。いかなる人にてましますぞ。
シテ「これは生田の森の合戦に於て。名を天下に上げ。武将たつし誉れを。越前の三位通盛。昔を語らんその為に。これまで現れ出でたるなり。
とワキに向かってサシ込 ヒラキ

ツレは登場したのもつかの間、そそくさと脇座に着座して(このとき、それまで脇座に着座していたワキとワキツレは座ったまま右にいざり寄って場所をツレのために空けます)、以後シテに注目が集まります。この能は前場ではシテは「主役」ではあるけれども「主人公」はツレでしたが、今度はそれを取り返すかのように、僧の弔いを受けているのは夫婦二人であるはずなのに、シテ通盛が二人を代表する形で僧に感謝を述べ、またその後は通盛の武将としての姿が描かれ、また通盛の視点から 合戦前夜の小宰相との語らいの場面が語られます。

地謡「そもそもこの一の谷と申すに。前は海。上は険しき鵯越〈と床几にかかり〉。まことに鳥ならでは翔り難く獣も。足を立つべき地にあらず。
シテ「唯幾度も追手の陣を心もとなきぞとて。
地謡「宗徒の一門さし遣はさる。通盛もその随一たりしが。忍んで我が陣に帰り。小宰相の局に向ひ
〈とツレの前に下居〉
地謡「既に軍。明日にきはまりぬ。痛はしや御身は通盛ならでこのうちに頼むべき人なし。我ともかくもなるならば。都に帰り忘れずは。亡き跡弔ひてたび給へ。名残をしみの御盃
〈と通盛は扇を拡げツレノ前にて下居〉。通盛酌を取り。指す盃の宵の間も。うたた寝なりし睦言は。たとえば唐土の。項羽高祖の攻めを受け。数行虞氏が涙も是にはいかで増るべき。燈火暗うして。月の光にさし向ひ。語り慰む所に。
シテ「舎弟の能登の守。
地謡「早甲胃をよろひつゝ。通盛は何くにぞ。など遅なはり給ふぞと
〈と幕の方へ向き見〉。呼ばはりしその声の。あら恥かしや能登の守。我が弟といひながら。他人より猶恥かしや。暇申してさらばとて。行くも行かれぬ一の谷の。所から須磨の山の。後髪ぞ引かるゝ〈とシテ柱まで行き正へ向き〉 翔

能『通盛』では平家の武将としての彼を「田の森の合戦に於て。名を天下に上げ。武将たつし誉れ」「宗徒の一門さし遣はさる。通盛もその随一たり」と美化して描いていますが、じつは平通盛は『平家物語』によればほとんど戦陣での勲功というものはなく、かえって負け戦の方が先に目につく程度。それも敦盛や忠度のように負け戦ではあってもその敗死が美談として人口に膾炙するような人ではなかったらしく、戦場での様子の描写はなく、わずかに『源平盛衰記』に彼の最期の様子が描かれているものの、『平家物語』では、いわば「合戦の勝敗のまとめ」のようにその戦死が紹介されている程度です。

だからこそ通盛は『平家物語』の中でもほとんど無名に近く、もっぱら能によってその名が知られている人物、と言ってよいでしょう。その能が彼をシテとして取り上げたのも、ここでは名将として描かれているけれども、むしろ武将としての彼よりも小宰相も巻き込んで夫婦ともに命を落とすことになった悲劇を描く能なのだという事がわかります。

実際のところ、修羅能では常套である演出。。本性を現した武将のシテが床几に腰を掛けて合戦の様子を語る。。という場面は用意されていますけれども、ここに座っているのは ほんの2~3分にしか過ぎないのではないでしょうか。すぐにシテは立って小宰相と向き合って舞台に直接座り、二人で語り合った合戦前夜の再現の場面となります。ここで床几を離れて舞台に着座するのは、夫婦の語らいの親密を表すためでしょうね。

この場面では、『平家物語』に描かれているように、通盛が自分の亡きあと頼りとする人がない小宰相の行く末を心配したこと、自分が死んだら都に帰って跡を弔ってほしいと頼んだこと、などが描かれていますが、じつは原拠は『平家物語』というよりは『源平盛衰記』に近く、二人の語らいを通盛の弟・能登守教経が見咎めた、という話は『盛衰記』に描かれています。また通盛が小宰相に酌をして二人で酒を飲みながら話をした、というのは『平家』『盛衰記』の異本に出ているのかもしれませんが、今回はこの記事を見つけだすことができませんでした。

しかしこの場面、じつは『平家物語』には二人の語り合った内容が細々と記されています。これを事前に知っていると、能『通盛』での二人の様子を、より共感を持って見ることができるのです。

『通盛』…「直ぐなる能」とは(その6)

2016-05-16 12:02:37 | 能楽
僧は海岸の岩の上に着座したままで(この曲では場面設定が終始 鳴門の海岸なので、ワキは能の冒頭で着座すると最後までそのまま着座し続けます)、読経の体で「待謡」を謡います。

ワキ/ワキツレ「この八軸の誓ひにて。この八軸の誓ひにて。一人も洩らさじの。方便品を読誦する。
ワキ「如我昔所願。


この「待謡」の終わりに太鼓が打ち出して「出端」と呼ばれる登場音楽が奏されます。
源平の武将をシテとする「修羅能」の中で太鼓が登場するのはこの『通盛』のほかには『実盛』『朝長』がありますが、『通盛』以外の2曲はいずれも後シテが重厚な登場をする曲で、『通盛』の後シテに「出端」が奏されるのは、それとはちょっと違った意味合いであろうと思います。

やがて後シテ・平通盛が若々しい武者の姿で現れ、それと同時に後見座に後ろ向きに着座していたツレも立ち上がり、舞台に入ると大小前(大鼓と小鼓の前。。舞台奥の中央部分)に立ちます。

ツレは前場のままの姿で扮装を替えないわけですが、もちろん前場では前シテの連れ合いのような登場ですので、違和感はあるものの「漁師の女」、というような役回りで、これは化身としての姿。ここで登場したのは、小宰相の在りし日の姿、という意味になり、また通盛と小宰相はともに連れ立って一緒に登場した、という意味です。

このへん、それならば前場の終わりでツレもシテと一緒に中入して、扮装を替えた方が化身から小宰相の本来の姿への変身が より強く印象づけられる、とは思います。

また一方、前場の本文中に「竜女変成と聞く時は。姥も頼もしや祖父は言ふに及ばす」という文句があるので、古い時代の本来の演出では前ツレは若い女ではなく姥(老婆)だっったのではないか? という意見も提出されています。同じような例は『通小町』にもあって、『通盛』も『通小町』も、前ツレを姥の姿で舞台に登場させる実験的な試みも行われているようです。

なぜ前ツレが若い女で、シテのように後場で扮装を改めないのでしょうか?
能楽師としては、単純に考えればシテとツレのヒエラルキーの差が理由かな? とも考えられなくもないのですが。。つまりツレという助演者の分際では主役たるシテと同じように扮装を替える地位を与えず、それによってシテの変身に観客の注目を集める目的がある、とかです。また楽屋内でも二人の装束を替えるのは大変なので、助演者は最初から若い女で登場させておいて、中入でもツレは舞台に残しておくことで後見の仕事を軽減する、という意味も考えられなくはないです。

が、ぬえはそれとは少し違う考えを持っています。
いわく、作者が能『通盛』を作った当初から、現在の通りツレは若い女のままの扮装であって、それにはちゃんと意味があるのではないかと。

まずは前ツレですが、若い女の姿で登場させていますが、これが最初から「姥」なのである、という設定なのではないか、と ぬえは考えています。

釣舟に乗って登場するのが年老いた漁師と若い女、というカップルはかなり不自然ですね。夫婦。。ではなさそうだし、そうであれば父と娘? それでも夜釣りの労働に娘を従事させている父、というのも不自然です。が、この「不自然さ」にこそ意味があるのではないかと ぬえは思うのです。

これ、実際にはやはり前場に登場するのは「老人」と「老婆」の夫婦なのではないでしょうか。
前掲の「竜女変成と聞く時は。姥も頼もしや祖父は言ふに及ばす」という文言がまさにそれを表しているわけで、それはそのまま、この二人が後場で通盛と小宰相という「夫婦」の姿で登場する伏線でもあります。

が、実際には前場に登場しているのは姥ではなく若い女であるわけですが、ぬえには、古来このツレの役は老婆の扮装ではなく「若い女」だったのだと思います。この能は、その若い姿のままで「姥」と見立てているのではないかと思うのです。能には見立てはつきものですが、こうなるとかなり高級というか難解です。

しかし、こうした「不自然さ」が作者の意図なのではないかと ぬえは考えます。その「不自然さ」は、シテがツレに向かって「や。もろともに御物語り候へ」と小宰相の最期の有様を語るよう促し、ツレがその当人の小宰相であるかのように語るあたりから、混迷の度合いを深めてゆきます。観客は前シテとツレが登場した場面ですぐに、この二人の関係はどうなっているのだろうか? という疑問を感じるはずです。そうして地謡は躊躇なく「姥も頼もしや」とツレは老婆なのだ、と断言しています。それなのにツレは「若い」小宰相の事を自分の事のように語り出す。。

しかし、前ツレが舟から下りて小宰相の入水の有様を表すところで、このツレは小宰相の化身であり、漁翁は通盛の化身であることは疑いがなくなります。言うなれば、最初「姥」として登場したツレが、舞台の進行につれて次第に若やいでゆき、いつの間にか若い小宰相その人の姿と重なってゆく、という仕掛けなのではないかと思うのです。

実際のところ、前ツレの小宰相の語りの場面から入水の場面では、これが老婆の扮装では 小宰相の化身である、という現実味が沸いてきませんね。シテとツレの年齢差という不自然な前場の印象も、中入の場面で二人が通盛と小宰相の化身だと明らかになったとたんに整合が取れるのだと思います。


私たちは初演から数百年を経た能を見て、こういう「不自然さ」に行き当たったとき、長い上演の歴史の中での改変なのではないか? と考えがちですが、室町時代の観客は自分たちに提示されたそのままに舞台を鑑賞していたはずで、現代人である私たちはこういう「不自然さ」をそのままに受け止めて意味を探る事も必要ではないかと思います。

ぬえも最初は「姥」という文言に、古典文学の用法として「老婆」という以外にほかの意味があるのではないか? などとも考えたりしましたが、「姥」という字が「女偏」に「老」である以上、若い女の意味もあるのではないか? などという期待は あまりに無謀でした(笑)。そこから視覚的には若い女を舞台に登場させ、聴覚的には「姥」という文言で表されるこのツレの役に、作者の特別な意味が隠されているのではないか? という発想に繋げることができました。