見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

安楽死議論始めるべきでは

2020-09-13 20:38:09 | 幸せに生きる

人の尊厳は那辺にあるのでしょうか?
自分が死を選択する自由を認めますか?

昨日の地元紙のこだま欄に「安楽死議論始まることを願う」との投稿が掲載されました。
ご主人がALS(筋萎縮性側索硬化症)で、既にマスク型の人工呼吸器を使っていて、更に呼吸が困難になれば気管切開の選択をしなければならない。
気管切開による人工呼吸器は、一度付けたら患者の意思で外すことは認められていないと綴られています。

病気が進行し、指一本、まぶたも眼球も動かなくなり、意思疎通ができなくなっても生きなければならない。
ALS患者の7割は気管切開を望まないのだとか。もっと生きたいのに、終わりの見えない未来に生きるジレンマを抱えながら生きなければならないから。
投稿者は、「もう少し頑張って生きよう」と病気と闘うためにはギブアップする権利が絶対必要だと訴えていらっしゃいました。

意思とは関係なく生かされる時代
私たちは、自分の意思とは関係なく生かされる科学を獲得しました。
化学技術の進歩によって、いつまでも生き延びる権利を獲得したけれど、いつまでも生き延びる権利って、本当に幸せなことなんでしょうか。
自然の摂理は、老衰の末期には脳内モルヒネが分泌されて痛みを感じなくなるのだそうですが、今は、麻薬による緩和ケアで痛みを和らげるのが普通。

自分で意識があれば選択することも可能ですが、意識がはっきりしていないとその選択は自分以外の人がすることになります。
嚥下が不自由になると胃瘻が待っていますが、自ら胃瘻を望む人は稀ですが、本人の意識がはっきりしないと家族は胃瘻を選択するのはごく普通です。
20年以上も、特別養護老人ホームで過ごしている方にもお会いしましたが、あなたはそんな人生でもいいのですか?

ちょっと論点がずれましたが、通底しているのかな?

「安楽死」論議すべきでは?
安楽死を認めている国や地域が欧米を中心に広がっています。
スイス 、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、韓国、オーストラリアビクトリア州、アメリカ合衆国のいくつかの州です。

死を遠くにではなく、もっと近くに意識することがより良い生に繋がり、よりよい社会に繋がるかもしれません。
「安楽死」、タブー視することなくしっかり論議することが必要ではないでしょうか。

コメント (2)
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