見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

エビデンスという常識と自分の意識

2021-06-08 22:03:03 | 幸せに生きる

今日書きたいと思っていることの前に、真竹は未だけ~~!と思っていましたが、本格的に生えてきましたし、今年は生り年のようです。

一昨日、今度のいけずご王国のプログラムのための下見をし、夏に作る竹ドームのための場所を決めました。
日曜日は、この場所を中心に見るに堪えない竹林の整備をしようというプログラムを予定しています。
という作業のついでに、生え始めた真竹を頂いて帰りました。
それに味をしめて?今日も何人かの皆さんとタケノコ狩り、その皆さんに持って帰って頂き、近所の方におすそ分けをした余りですが、嬉しいですね自然の恵み。


エビデンスと言う圧倒的圧力
さて、先日から?結構来ていた今日の主題と思った「エビデンス」。
キーワード検索から僕のブログにたどり着く方で一番多いだろうと思うキーワードは、向精神薬の問題。
ここ何年も遠ざかっているのですが、未だにそこへのアクセスがダントツに高い。

現職の時代、発達障がいの問題は僕の主要テーマの一つでした。
多くの時代を拓くフロントランナーの方にお会いし、さまざまな取り組みをしてきましたが、一番ほぞをかんだのは「エビデンス」でした。
超エリートの医者でしたが、
「エビデンス」という鎧と所謂切れ味鋭い剣で身構え、圧倒的な圧力で跳ね返されました。

病を治すのは本人の治癒力
一方、この医者はスゴイ!と思ったアンドルー・ワイルは、その著書「人はなぜ治るのか」で、病の治るメカニズムは治療者がその治療法に絶対の確信をもち、被治療者がその治療者に絶対の信頼を持っていることと書いていました。
呪術だろうが、漢方だろうが、現代医学だろうが、そこは問題ではなく、被治療者の意識次第でどうにでもなるという世界、病を治すのは本人の持つ治癒力ですからね。
そう、エビデンスが治すわけじゃない、末期癌を治癒させた方の大半は民間療法と言われていることとも符合します。

発達障がいという烙印を押され、学校の同調圧力という圧倒的な力で、エビデンスの名のもとにコンサータやストラテラなどの向精神薬を処方されている子どもたちがどうなっているのか?それが、僕のブログのアクセスに現れている?
エビデンスに依拠する行政で子どもたちは幸せになれるのか、政治って、一人に寄り添い、本当に幸せになって行くプロセスを提供する必要があるのではないか?
何て、青いことを思う僕が出会ったイノチグラスも、今のところエビデンスはないようですが、こう変わったという自分がある、そこがキモかなあと思う。

意識を深めたい
私達が手に入れた圧倒的に進歩したと信じる科学が解き明かしたのは、自然界のごくごく一部と言われます。
人間の潜在意識は深遠な宇宙の理と繋がっているのですから、意識を深めることができたら、自在の人生、生き方が可能と言われますが、自ら閉ざすのが好きなヒト。
もっと解き放したいなあと思うこの頃です。

コメント
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