奈良の橿原考古学研究所附属博物館に行ってきました。
縄文や弥生のミュージアムに行くと、祖先の暮らしぶりや生き方に感動しかないのですが、稲作が盛んになった弥生後期から古墳時代以降って、、、
美や技術を高めようとする飽くなき努力は文字通り凄いって思うけど、力が前面に出てきて目をそむけたくなる衝動に駆られます。
一番驚いたのは、巨大な円筒埴輪と家形埴輪、作ったのは出雲系の土師氏だったのでしょうか?
円筒埴輪は2mを優に超える巨大さ、作る技術力、焼く技術力、運ぶ労働力、これが何本も何十本も古墳上に立ち並んだ有り様はさぞや壮観だったでしょう。
家形埴輪も、セントバーナードの犬小屋にピッタリってくらいの圧倒的な大きさ。
また、目を奪われて見入ってしまった絢爛豪華な馬具、実際に使われたのかどうか知りませんが、藤ノ木古墳の副葬品。
写真の後ろ鞍金具、透かしの装飾も見事なものなんですが、上部の取っ手の両端はガラスに金象眼が施されています。本当に見事です。
もっとも、この鞍金具は新羅か百済からもたらされたものと書かれていましたが、豪族たちはこういうものを競って手に入れようとしたんだろうなあ。
企画展は古墳以降を中心とした甲冑、その技術力や美意識には一目も二目も置くんですが、こうした甲冑は全ての戦闘員が着用できたのではなく、一部の、皇族や豪族の長などほんの一部で、後は着のみ着のままだったんだろうなあ。
そんなことを考えてしまうと、足を止めて見入るなんて到底できません。
足早に企画展示室を後にしました。
民は搾取されるだけ?
柿本朝臣人麻呂 香具山の屍を見て悲びて作る歌一首(万葉集426番歌)
草枕 旅の宿りに 誰が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに
この歌は、藤原京の造営のために、全国各地から人民が集められ労役に従事したが、過労や病気のために野垂れ死にし、道端に転がっている屍を見て歌った歌とのこと。
また人麻呂が歌ったのではないかと言われる「藤原京の役民の作る歌」という題名の長歌(万葉集50番歌)などもありますが、古墳造営や大王が変わるたびに新しくされた王宮の造営のためにどれだけの民が苦しんだことか。
巨大利権争いのための道具として、家族のある数多の雑兵が死んでいったことか。
その上に、貴族の文化が花開き、萬世一系を誇る皇統が存在する。
大王の落胤でありながら、権勢に媚びることなく歌を詠んだ人麻呂の一生は、悲恋と辛い境遇の連続だったように思われますが、日本の文化創造にとてつもなく大きな足跡を残し、今も多くの人から仰ぎ見られているって、、、