建築家で東大建築科の教授でもある隈研吾が、なるほど!と思える面白いことを書いています。
江戸時代の武士階級が、21世紀の日本では建設業であると。
江戸に先立つ戦国の世は、武士という戦闘集団を必要としたが、徳川家によって平定された後、武士はもはや不要であった。
かつてエリートであった武士を放逐するわけにもいかず、不要となった武士の処遇のために発明されたのが江戸というシステム。
武士は、最上位の階級として奉られたが、満足できるわけがなく、はけ口を失った武士のエネルギーを発散させるために参勤交代という大浪費が繰り返されたと。
同じことが、太平洋戦争後の人口拡大、経済成長時代から、少子高齢化への転換に際して起こった。
高度成長を担ったのは、武士ならぬ建設業、木造の低層住宅を人口拡大・高度成長にフィットするコンクリートの大都市に変身させるために建設業が主役として呼び出された。
高度成長を担うもう一つのエンジンは自動車産業、それを担う人達はエリートであり、リーダーだった。
ところが、1970年を境に、さまざまな社会的指標が反転し、アメリカでは重厚長大産業は早々と主役から滑り落ちたが、日本は、支えた主役をいつまでも大切にするなまぬるい場所だった。
武士を温存する風土が、そのまま20世紀も生きていたのだと。
確かになあ、多くの国民がウサギ小屋に住む一方、立派な公共建築物が次々と建てられ、建設国債で生み出された実体のないお金が公共事業にもざぶざぶと、ある意味惜しげもなく注ぎ込まれ、政官業という強固なトライアングルが維持されてきた。
武士的なものとは違うけど、今、袋叩きにあっている統一教会も形を変えた強固なトライアングルの一角だったのかな?
さて、人口減少社会が現実に見えてきている現在、いわゆる“武士”はどう新たな生きる活路を見出していくのか。
今までのシステムをそのまま持続させることは困難と思える時代にあっても、大きな口を開けて“よこせ、よこせ”と言い続けるのか?
例えば住宅産業で、目を引くような新しいデザインの薄っぺらな家が建っていますが、一方では、ヒトの住まなくなった伝統的な家がどんどん朽ちています。
放っておけば朽ちるだけの伝統家屋をこのまま放置し続けるのか?
長いスパンでヒトの生き方をリードできるような、地域のグランドデザインを構想する力が政治や行政に求められているように思います。
出雲髪結びの会事務局長の名刺を
何もお盆でなくても、と思いましたが、なかなか作る機会がなかったので、墓参りから帰って思い切って古典日本髪・出雲髪結びの会事務局長の名刺を作りました。
この女性、モデルさんに良さそうだなあと思っても、変に声をかけると怪しく思われるからと躊躇することがほとんど。
作ろう、作ろうと思っていたのがやっと。
中肉中背で髪の長さ肩下10㎝、前髪が鼻まで、そしてなで肩、という辺りが理想的。
目に止まったら、声を掛けようと思いますが、自薦他薦は問いませんので、エントリーもお待ちしています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます