素晴らしいお天気続き、予報ではまだまだ続きそう、畑、やばくない?と思う気持ちもありですが、この陽気で桜の蕾が膨らんでいます。
そんな今日、仲間と安来の古墳巡りなどを楽しみました。
まずは、王陵の丘の駐車場に集まり、登山?開始、結構きつい!!
丘の頂上の手前では撮り鉄の皆さんが、絶好の写真日和?の中でカメラを構えていましたが、いい写真撮れたかな?
この地の豪族が、東の守りを託して築造したともいわれる安来の古墳群、大山も遥拝できる絶好の地。
次に向かったのは、仲仙寺古墳群、元々は19基あったとのこと、発掘された四隅突出型古墳1基と未発掘の1基が残されるのみで、後は住宅団地に姿を変え、、、
開発優先の時代はそうだったのでしょうが、今、自分の先祖の眠るお墓が壊されて家が建つことになったら、、、
発掘調査された9号墳の突出部は、西谷古墳や福井の小羽山古墳などと比べると、特に先端部が広い、どんな思いがこもっていたのでしょうか?
古墳の最後は、蘇我家から派遣されて出雲の古墳作りを手伝った棟梁のが眠るとも言われる岩船古墳、長い年月に盛り土は流れてしまったようですが、お蔭で、アッと驚くような立派な石棺式石室を見せていただける。
石室の材料は荒島石と書かれていますが、よくぞこれだけの細工とどこから持ってきたにせよ、よくぞ!もしかして、宙に浮かせて運んだ?とさえ思えます(^^;;
クレーンやユンボのない時代ですからねえ。。。
サイノカミも調べたいと行ってみましたが、説明版、ほんとかよ?って。
日本人って、コントロールしやすい民族なんでしょうかね?
いつもは尾羽をぴょこんぴょこん、ぴょこんぴょこん、上下に忙しく動かして目を楽しませてくれるモズ君ですが、、、
今日は、いつものハクモクレンに止っているのに、いつもと違ってやけに静かに、まるで物思いにふけっているような。
いやいや、もしかしてご懐妊?
先日来、2羽で忙しく追っかけっこ?していたから、、、
おっ、今度はヒヨドリのカップル。
数日前から、付かず離れず、2羽のヒヨドリが戯れています。
まるで、男と女の恋の駆け引きを楽しんでいるように。
きっと、ヒヨドリももうすぐ卵を産んで、子育てに忙しくなるんでしょうね。
春は、恋の季節、子育ての季節、もうすぐ小鳥たちの鳴き声が一段と賑やかになることでしょうね(*^^*)
3月23日(祭日)に予定している“古典日本髪で街歩き@大社”の開催は、歌舞伎の始祖として知られる出雲阿国と深いご縁のある地だからなのですが、、、
実は、出雲阿国は古典日本髪を流行らせた方でもあるんですね。
ただ、阿国は、当時の男の髷を結い男装だったようですので、かぶき踊りに参入してきた遊女などが美を競う中で発展してきたのでしょうか。
京を席巻した出雲阿国
出雲阿国のお墓参りの後に買い求めていた「出雲阿国と阿国かぶき~出雲からみた阿国~」(山崎裕二著)を読み終えました。
阿国の踊りは卓抜だったようで、ややこ踊りで京にのぼり、瞬く間に評判となり他の追随を許さぬ存在となったようです。
しかし、ややこ踊りは稚児の踊りなのでいつまでも続けられない、著者は14歳でいったん国元に帰り、新たな修行をしたのではないかと。
満を持して再び京に上ったのは17歳の時、新たな芸風を確立し、またもや瞬く間に京都を席巻した。
しかし、次々と阿国のかぶきを真似するものが現れ、賀茂川の河原に遊女系の芝居小屋が立ち並ぶようになった。
そして、4年後には京に見切りをつけ、江戸に、、、
いつ、国元に帰ったのかは定かではないようですが、国元に帰ってからは尼寺で法華経を読誦し、蓮歌を楽しむ日々だったとか。
日本の歴史を変えた女性リーダー
いずれにしても、女性の権威など全くなかった時代に、うら若き女性が新たな芸を確立し、歌舞伎にとどまらず、さまざまな日本の芸能史の起点となった。
日本舞踊も、阿国がいなければ存在しえたのかどうか、また、今のような形になったのかどうかとも言われているとのこと。
ある意味、大きく日本の歴史を変えた女性のリーダーだったのかも。ジャンヌ・ダルクのように。
ただ、ひとつ面白い話は、戦国から江戸の初めまでの歴史を綴った「当代記」には、あまり美人じゃなかったと書かれていること(^^;;