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外国の紋章

2009年04月01日 21時52分30秒 | 家紋

  名誉と威信の継承

 

 【中世の紋章】

 

中世ヨーロッパにおいて戦場、騎馬槍試合にて武勇をふるった騎士

たち。その身にまとう装飾品には、数多くの紋章を見ることができる。

戦場における戦士個人とその従者の識別のために発生した紋章。

それは、代々家系に世襲される“しるし”となり所持できる身分の

増加によって複雑化していった。

中世末期にはそれまでの幾何学的な模様は写実的な絵柄へと

変化し、個性あふれる紋章が誕生。装飾品をより装飾的に彩った。

 

西洋紋章学辞典

http://www7b.biglobe.ne.jp/~bprince/hr/parker/indexj.htm

 

 

英語圏の著者による本の多くは、ヨーロッパ大陸の紋章学をほぼ完全

に無視している。それは主に、英語圏の資料が手に入りやすいからで

どうしてもイングランドの紋章学に力点がおかれるのは避けられない。

 

多くのヨーロッパ諸国では、政治の劇的な変動のせいで紋章院が廃止

され、記録が散逸してしまったことによる。(例をあげれば、ポーランド

の中世の記録は、第二次世界大戦中に破棄された)。

また、ヨーロッパの紋章学に関する多数の出版物が英訳されておら

ず、情報の多くが手に入らなかったからである。

フランス語・ドイツ語を理解できるものは多く、おそらく、イタリア語・

スペイン語に関しても読める人材はいたものの、オランダ語・ポーラン

ド語・スカンディナヴィア語、あるいは中世ラテン語の書物を解読できる

人材がほとんどいなかったためである。

 

コート・オブ・アームズ〈coat of arms〉(紋章楯)が、いったん貴族階級

に採用されると、ヨーロッパ諸国の一部では下層階級も

コート・オブ・アームズをつけ始め、それは紋章学がもはや純粋に

軍事的役割を持たなくなった時代まで続いたのである。

 

イングランドの階級制度とは異なり、フランスでは貴族階級と中産階級

〈bourgeoiaie〉が厳密に分けられていなかった。とはいうものの、

紋章をつけることで中産階級市民が貴族に転じたわけではない。

「貴族」のなかには実際は中産階級の者もいたが、彼らは必ず出目を

明らかにしなければならなかった。身分の区別を明確にする一つの

方法に中産階級も農民階級も兜にクレスト〈crest〉(頂飾)をつける

資格がなかったことがあげられる。

 

ポルトガルとドイツの両国はまた別で、都市住民と農民も紋章を

付けることを認められていた。

ドイツではユダヤ人もコート・オブ・アームズを許されており、それは

過激なまでの偏見に満ちていた当時には珍しい、進歩的な風習

だった。

ポルトガルの下層階級の人々は紋章に金や銀を用いることを禁じ

られていて、1512年には、マヌエル1世が、貴族に属さない者全員

に対し紋章の使用を禁じた。

 

 

   『中世の紋章』 テレンス・ワイズ著:参照

コメント (4)
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