家系と血系
家を数代さかのぼると、女の子ばかり生まれたり子のない夫婦もある。
前者の場合は婿養子で家を継ぎ、後者の場合は、養子をもらい、その
養子にさらに妻、または婿をとる養子縁組で家を継ぐ。
従って、この場合は血の繋がりはない。
しかし、祖先を祀り、財産を受け継ぎ家族を養い、家長として家を統率
するということについては同じである。すなわち「家」それ自身は存続
してゆく。われわれが今、問題にしている家系というのはこれであって
血の繋がりがなくても、それは差し支えないのである。
むしろ、血の繋がりがない人間によって、祖法を受け継ぎ、家の伝統
と精神を発揮している例が、きわめて多い。(もっとも縁続きものを
養子にする場合も多かった)
現在、天皇家などでは、家系と血系がほぼ一致しているとみてよかろう
が、他は、五摂家、清華の諸家さえもしばしば養子をし、徳川家でも
直系は早く絶えて、紀州家と水戸家から跡を継ぐといったことが行わ
れていたことは周知の事実である。
われわれの家系についても、これと同じことで、遺伝の調査を除い
ては、昔から、この家系の方を尊んで、これを問題にしたのである。
もし、血系を問題にするなら日本人はみな血で繋がれている親類で、
たいして意味がなくなってしまう。
昭和22年(1947年)、民法改正によって古い「家」の伝統を受け継
いだ旧民法の「家」は廃止されたが、それでも実際には家族を単位
として、「家」は続いている。昔、家柄と言っていたその家風も厳存し、
夫婦を中心に家の運営がなされて行くことにかわりはない。
また、墓を守り、家督相続がなくなり、家長の権限が縮小されても、
われわれの生活の上で、苗字によって表象される「家」は相変わらず
存在しているのである。
『 姓氏 』 丹羽基二 著:参照
今、「家」(昔でいう家)がどんどんなくなりつつあります。
そして、血縁関係が重んじられる時代になっていると思います。
だから、最近の農林水産業の人たち、あるいは小さな企業では、家業
を継ぐということがなくても構わない(仕方ないという方が正しいか)
たとえ子供がいても、別に家業をついでも将来借金が増えるばかり
だし、あるいは、将来性がない、生活するだけ儲からない、仕事量に
比べて金銭的に割に合わないなど、苦労することが目に見えている
から、可愛い子供に継いでくれと言えない「家」が多いようです。
夫の「家」がまさにそうでしたね。夫の母の会社だったので、
「自分の代でしっかり後処理しておくわな。借金だらけの会社残した
らあんたら可哀そうやし・・・Kちゃん(母の弟)も僕が潰したって
言われるのん嫌やろうし。心配せんでいいからな。」
とちゃんとしておいてくれました。
私の場合も、継ぐ商売・財産がなかったから、一人娘でしたが家を
出ましたから、父の代で名前が消えました。
ゆうちゃんの彼女の親御さんも、魚屋さんを継いでもらうつもりはない、
と思っているらしいです。兄弟にお兄さんがいますが、サラリーマン
で、魚屋には向かないことがわかっているといいます。
婿取りも別に期待はしてない、嫁に出ても仕方ないと思っているよう
です。内心は違うかも知れませんが。。。
まあ、なりゆきに任せるという感じでしょう。
過疎化の市町村では、なんとか町おこしなどをしたり、名物の販売
などに力を入れたり、土地を与える代わりに移住してもらう、あるいは、
産業を手伝ってもらう、などという方法で人口を増やそうと頑張って
いる町もあります。しかし、やはり続けて生活できるよう、毎月収入が
得られる仕事がないと、移住民は定着してくれないと言っていました。
そういや、夫の友人のマゴちゃんがそれで、広島に移住しましたね。
もう、16~17年ぐらいになるでしょうか。仕事は、不動産やかまぼこ
やさん、スーパーなどいろいろ変わっているようです。
奥さんはずーと介護の仕事頑張っておられるようです。
確かに、苗字によって表象される「家」という核家族は永久に
続くことでしょうね。