医療従事者向けN95マスク・防じんマスクDS2 フィットテストビデオ第1章
N95マスクフィットテストビデオ第2章
N95マスクフィットテストビデオ第3章
N95マスクフィットテストビデオ第4章
昨日見た夕方のTVニュースは、
鳥インフルエンザの抗体がダチョウの卵からできる というもの。
調べたらありました。
ダチョウの身体の中で人に極めて近い抗体を作り、卵黄の中に
産み出すという。それを精製する世界初の技術を開発した、
京都府立大生命環境科学研究科の塚本康浩教授は言います。
ダチョウは病気に強い。
荒れた土地でも飼育できる。
飼うのに手がかからない。
大量に作れる。
生産コストが低い。
最初は獣医をしてらしたようですが、
「この子(ペット)自慢のおばちゃんがしゃべるだけしゃべって帰るん
ですわ。」とおっしゃってました。そういうのに疲れたみたいですね。
猫や犬なら遊んでくれと甘えてくるが、ダチョウは群れを作るせいか、
あまり構わなくても良いのが教授は好きだといいます。
ダチョウに近づいて行って逃げるのを示しながら、
「こういう人間との関係が丁度好い。」って言ってましたね。
学生さんたちは、卵をくれるからよい先生だって言ってましたよ。
ダチョウを飼うのに困っていた牧場もあり、世界の4か所ほどで
飼っているらしいです。卵を買ってくれる先生が現れたいうことで、
経営を維持しているところもあったようです。
今はマスクを製品化したのを youtubu で公開していました。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/special/pandemic/topics/200904/510471.html?ref=RL1
「N95マスク・防じんマスクDS2のフィットテストビデオ」
4章に分けて公開してるようです。
ノロウイルスや結核菌など、他の病原体などの感染予防用素材や
ダチョウ抗体を用いた腫瘍検査キットなどの商品開発も展開する
予定だそうです。
挨拶の語源を調べていると面白い。
普段何気なく使っている言葉にも、もとの使われ方を知ると、
なるほど~と思うもの、少し意味合いが変わっているもの、
語呂合わせ的に残ったもの等々面白い。
語源を知ると、この「こんにちは」もなぜ
「こんにちわ」でなく「こんにちは」なのかもわかるというもの。
ふつう、家族の間では「こんにちは」という挨拶はかわさない。
「こんばんは」という言葉もかわさないのである。また、
夫婦である間は言いかわさないが、夫婦としての心の絆がなくなり、
他人となれば、冷静にとりかわすことが出来るようになるという。
「おはよう」や「おやすみ」は大和ことばであるが、
「こんにちは」「こんばんは」には漢語が含まれている。
古くは官府の布告文、達文、法律文、上奉文などは勿論、公式
の書簡文はすべて漢文で書かれ、個人間の書簡にもやはり漢語
が多用されていた。室町時代の初めに作られた『庭訓往来』は
書簡の模範文集であるが、これはすべて漢字で書かれている
だけではなく、漢語が多く多用されている。
また、文書や書簡だけではなく、公式の場では口上や挨拶も、
漢語を多用することが見識とされていたのであり、明治時代にな
っても同様であった。現在でも格式ばって言うときには漢語を含む
言葉が使われることが多い。
おそらく「こんにちは」という漢語を含んだ挨拶ことばも、もとは
公式の場でのみ使われていた挨拶の冒頭のことばであったに
違いないだろうと書かれていた。
以下、引用
それでは、この「こんにちは」のあとにどのような言葉が続いていた
のであろうか。天明五年(1785)に書かれた『当世真々の川』に、
―――人に対する言葉をもみなまで言て居ず、今日はというて
御苦労と聞かせ、だんだんというて有難いと響かせ……―――
という一節がある。
これによると、このころ以前には、「今日は」のあとには
「御苦労」ということばが続き、「段々」のあとには「有難い」
ということばが続いていたことがわかる。
ちなみに、「段々」というのは「重ねて」というような意味であり、
山陰地方では現在でも「ありがとう」というところを、「だんだん」
とか「ただものだんだん」ということばが使われており、
松江駅前のロータリーには、「松江へようこそ・だんだん」
と書かれたアーチが掲げられている。
『当世真々の川』にいうとおり、「今日は」のあとに「御苦労」
という言葉が続いていたとすれば、何がご苦労なのかという
ことになるが、これは「御役ご苦労」であると考えるほかない。
「こんにちは」ということばは、
「今日は御役ご苦労にござる」というような武士の間の
公用の場での挨拶が、はじめにあったと思われるのである。
これが、一般庶民の間においても道普請などの公用の場での
ねぎらいの挨拶として用いられるようになり、
そのうちにこれが日常の出会いの挨拶ことばになって、
「今日は」以下が省略されてしまったものと考えられるのである。
『ごきげんよう 挨拶ことばの起源と変遷』
小林多計士:著(1991年)