さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
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帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

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日本の文化、韓国の習俗

2009年06月25日 16時50分00秒 | 本・言葉・古文書/草書 

 ≪チマチョゴリ はツーピースで着物はワンピース≫

 

日本の着物と韓国のチマ・チョゴリ

 

藤衣(ふじごろも)

藤づるの繊維で織った目の粗い布のこと

平安時代の貴族の間では、喪服として着ていた。

藤衣は、粗末なもの・忌むべきものとされてきた。

後には、麻布の喪服のこともそういったらしい。

↓↓↓

白い喪服へと移行

↓↓↓

黒い喪服へ

(姿と色が変わった)

 

 

『萬葉集』を読むと、そこに

韓国の喪服の姿が浮かび上がってくる。

 

大王(おほきみ)の 塩焼く海人(あま)の

藤衣(ふじごろも) なれはすれども いやめづらしも

          (作者不明 巻十二 二九七一)

(=着慣れた藤衣のように古妻は少し強(こわ)いけれども良いものだ)

 

 

韓国の葬式

喪主たち・・・漂白されていない麻布の喪服を着る。

一般の参列者たち・・・・・・絹や木綿の白布を着る。

中国でも同じようなところがあるという。

 

『韓国の昔話に、日本から良い着物の型を教えてほしいと言われ、

そのとき、日本は文化の低いところだからというので喪服の型を

教えた、それが日本の着物になったというような話がある。

論拠は不明だが、古くからそう語り継がれてきたという。(引用)』

 

高句麗の衣服が、高句麗古墳の壁画、

「舞踏塚玄室東壁」の右の方に描かれている。 

スカートタイプ(チマ)とズボンタイプ(バジ)があり、

バジは、現代にもある日本の作努衣に似た形である。

 

 

 

チマ・チョゴリの着方や歴史↓↓

http://www.yumeichiba.jp/chogori-1-.htm 

 

チマとはスカート、

チョゴリは上から着る物と友人が教えてくれた。 

チマは丈が長いままだが、

チョゴリは最初は長いものもあったが、時代とともに、

胸のラインを中心に据えて上下するほどに短くなったのである。

全体的な変化=流行現象があったようである。

 

日本の着物のおくみは右前。

現在のチョゴリはみな、右前。

壁画を見る限りでは、

どちらもあるから、あまり左右に拘らなかったようである。

右前に統一されたのは、遺物や資料が少ないので

深い霧に隠れて見えてこないと著者は言っている。

 

 

 

 『日本の文化 韓国の習俗 比較文化論 :金両基著

 

 ≪韓国の話②≫

 →≪韓国の話①≫へ


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