≪チマチョゴリ はツーピースで着物はワンピース≫
日本の着物と韓国のチマ・チョゴリ
藤衣(ふじごろも)
藤づるの繊維で織った目の粗い布のこと
平安時代の貴族の間では、喪服として着ていた。
藤衣は、粗末なもの・忌むべきものとされてきた。
後には、麻布の喪服のこともそういったらしい。
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白い喪服へと移行
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黒い喪服へ
(姿と色が変わった)
『萬葉集』を読むと、そこに
韓国の喪服の姿が浮かび上がってくる。
大王(おほきみ)の 塩焼く海人(あま)の
藤衣(ふじごろも) なれはすれども いやめづらしも
(作者不明 巻十二 二九七一)
(=着慣れた藤衣のように古妻は少し強(こわ)いけれども良いものだ)
韓国の葬式
喪主たち・・・漂白されていない麻布の喪服を着る。
一般の参列者たち・・・・・・絹や木綿の白布を着る。
中国でも同じようなところがあるという。
『韓国の昔話に、日本から良い着物の型を教えてほしいと言われ、
そのとき、日本は文化の低いところだからというので喪服の型を
教えた、それが日本の着物になったというような話がある。
論拠は不明だが、古くからそう語り継がれてきたという。(引用)』
高句麗の衣服が、高句麗古墳の壁画、
「舞踏塚玄室東壁」の右の方に描かれている。
スカートタイプ(チマ)とズボンタイプ(バジ)があり、
バジは、現代にもある日本の作努衣に似た形である。
チマ・チョゴリの着方や歴史↓↓
http://www.yumeichiba.jp/chogori-1-.htm
チマとはスカート、
チョゴリは上から着る物と友人が教えてくれた。
チマは丈が長いままだが、
チョゴリは最初は長いものもあったが、時代とともに、
胸のラインを中心に据えて上下するほどに短くなったのである。
全体的な変化=流行現象があったようである。
日本の着物のおくみは右前。
現在のチョゴリはみな、右前。
壁画を見る限りでは、
どちらもあるから、あまり左右に拘らなかったようである。
右前に統一されたのは、遺物や資料が少ないので
深い霧に隠れて見えてこないと著者は言っている。
『日本の文化 韓国の習俗 比較文化論 :金両基著 』
≪韓国の話②≫