昔、手塚治氏の「ブッダ」という本を読んだことがあります。
その時に、仏教の開祖、釈迦の話だと知ったのですが、
なんだか苦行が修行のような話だったので、しかも
苦痛を伴うもの=体を傷つけることが修行というようなところ
もあり、それ以上読みたいと思いませんでした。
日本の仏教との違和感を感じていたのです。
しかし、今回インド発祥の仏教が伝来してきたものの、
もともとあった日本の神信仰との融合により、
独自の仏教になっていったことがわかってきました。
まずは、仏教を勉強するにあたり、やはり
仏教の開祖(=釈迦)のことから始めねばなりません。
釈迦はインド人。
紀元前566年~486年。
北インドのヒマラヤ山麓の釈迦国の太子として生まれ、
80歳で入滅。
(生没年に関しては、前463年から前383年までとする異説あり)
釈迦の生誕の地ルンビニーは、現在はネパール国に属している
が、昔はそうした国境はなかったし、釈迦の活躍の地がインドで
あったから釈迦はインド人として考えるのが妥当。
釈迦国の太子と生れ太子として育った釈迦だが、29歳のとき出家。
≪動機≫ ~老・病・死~
人間存在のうちに内包されている根源的な「苦」を解決するため。
≪苦行≫
6年間苦行に打ち込むが、真理に至る大道ではないことに気づく。
↓
≪中道を歩む決心≫
中道=苦行でもない快楽でもない極端を避けた、ゆったりとした歩み。
「中道」・・・釈迦の発明
仏教の最大の特色
(中道によらずに仏教はあり得ない言われる所以)
↓
≪仏陀(ブッダ)≫
35歳のときインドのブッダガヤーにて悟りを開く。
"ブッダ(Buddha)"
=サンスクリット語で、「目(=真理)が覚めた人」の意。
漢字に音訳して“仏陀(ぶっだ)”とし、省略して
“仏”の教えだから、「仏教」
釈迦以前には宗教の修行といえば、苦行しかなかったのです。
苦行を経た彼らは「聖仙(リシ)」=「仙人」になり、自分の満足の
ために聖仙となった人物だから、自分が到達した安楽の境地を、
自分ひとりで楽しんでいるだけでした。中には弟子を養成する
聖仙もいましたが、あくまで教える対象は自分の弟子だけでした。
悟りを開いた釈迦も初めはそういう「聖仙」になったと思い、弟子
をとって養成しようとしたようです。仏陀となったのは釈迦が初めて
なので、自分で気がついていなかったのでしょう。
しかし、弟子たちを教育しているうちに、徐々に釈迦の心の中に、
大勢の人々・世の中のすべての人を救いたいという願いが
出てきたようです。
仏陀というのは基本的には利他の存在です。
他人が苦しんでいる、そういう他人を何とかして救ってやろうと
いう心があってこそ、初めて仏陀たり得るのです。
一切衆生(生きとし生けるものすべて)に教えを伝えたいとする
「仏陀」の願いにもとづいて形成されたのが、
仏教という世界宗教であると、『仏教と儒教』の著者である、
ひろさちや氏は考えておられるようです。
『仏教と儒教』 ひろ さちや著:参考