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帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

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仏教の話 ☆ 3≪衰退≫

2009年10月21日 16時23分30秒 | 神・仏教・民俗の話

人間を差別しないこと。それが仏教の大きな特色です。

ーーー衆生(サンスクリット語でサットヴァ)ーーー

仏教でよく使う言葉です。

これは、生きとし生けるものすべてをさしています。

仏教は、人間を含めすべての生き物の平等を表明しているのです。

 

釈迦は、生まれながらに人間を差別する制度に反対しました。

自分が29年間その中で暮らしてきて、妻子さえも捨て、苦行の

道を選んだのはこのカーストによるものが強かったのでしょう。

インドの社会で仏教が滅びたのは、仏教がカースト制度を認め

なかったためである、とも言われています。

 

カースト制度を認めない仏教徒は、全ての人と平等に交際します。

しかし、インド人は、特に高いカーストの人は低いカーストの人と

付き合いません。低いカーストの人と付き合っている仏教徒は、

結果的には低いカーストの人間にされてしまいます。

つまり、仏教徒というだけで低いカーストにされてしまいました。

その結果、仏教がインドで衰退してしまったのです。

 

 

 『仏教と儒教』 ひろ さちや著:参照

 

 

仏教の話 ☆ 2≪分裂≫ で、釈迦の入滅後、200年間と

考えたとき、ふと、インドにおける制度が頭をよぎりました。

今のインドの宗教は、インダス文明の時代からインド及びその

周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ時代に従って変化

したヒンドゥー教が大半を占めています。

 

 

以下、『提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

【現代のヒンドゥー教】より

アジア地域における信仰の広がり

インドでは人口の81.4%を占める8億2760万人、ネパールでは人口の過半数、バングラデシュでは人口の14%、スリランカは15%がヒンドゥー教徒である。インドネシアバリ島では人口の約9割がバリ・ヒンドゥーと呼ばれる独自の習合宗教を奉じ、マレーシアシンガポールにも相当数の信者が住んでいる。世界全体での信者数を比較してみるとヒンドゥー教徒は仏教徒よりも多くなる。信者が地域的に遍在していることもあって、日本では世界宗教ではなく民族宗教と考えられており、世界三大宗教の座を仏教に譲っている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【カースト】より

基本的な4つのカースト(ヴァルナ)とカースト外の身分には、以下のものがある。

  1. ブラフミンサンスクリットでブラーフマナ、音写して婆羅門・バラモン)
    神聖な職についたり、儀式を行うことができる。バラモンというのは「ブラフマン(梵)を有するもの」の意味で自然界を支配する能力を持つものとされている[24]。「司祭」とも翻訳される。
  2. クシャトリア(クシャトリヤ)
    王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」、「武士」とも翻訳される。
  3. ヴァイシャ
    商業や製造業などにつくことができる。「平民」とも翻訳される。
  4. シュードラ(スードラ)
    一般的に人々の嫌がる職業にのみつくことが出来る。シュードラはブラフミンの影にすら触れることはできない。「隷民」「奴隷」とも翻訳されることがある。先住民族であるが、支配されることになった人々である。
  5. アチュート(パーリヤ)
  6. さらに、カースト外の人々もおり「不可触民」とも翻訳される。力がなくヒンドゥー教の庇護のもとに生きざるを得ない人々である。にも関わらず1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。

なお、外国人であっても日本や裕福なアジアの国や、ヨーロッパ、アメリカからの訪問者はその国の力が強いため、高いカーストと同様の扱いを受ける。

カーストによる差別は1950年に憲法で禁止されている。(引用終)

 

 

 

現代のインドにおける仏教徒の数は、人口の1%以下だそうです。

仏教はインドにおいて衰退してしまったのです。

その原因が、カースト制度。1950年に禁止になったそうなん

ですが、今も根強く意識の中に残っているようです。

そういえば、この間、インドでは、コンピューター技術の習得率

が、かなり高いと、IT関連のニュースで言っていました。

そうです。IT関係は新しい職業!

インドの、カースト制度の中にはないし、これからの時代、

絶対不可欠のものとなるでしょう。

つまり、高いカーストと同様の扱いを受けれるのです。

 

カースト制度、この強い制度があったために正反対の

仏教が発祥したのだろうと、私は今、

遥か遠い時代に想いを巡らしています。

当時のゴータマ・シッダッタ(釈迦の本名)の苦悩は、

並大抵のものでは、なかっただろうなあ・・・と。。。

 

 


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