人間を差別しないこと。それが仏教の大きな特色です。
ーーー衆生(サンスクリット語でサットヴァ)ーーー
仏教でよく使う言葉です。
これは、生きとし生けるものすべてをさしています。
仏教は、人間を含めすべての生き物の平等を表明しているのです。
釈迦は、生まれながらに人間を差別する制度に反対しました。
自分が29年間その中で暮らしてきて、妻子さえも捨て、苦行の
道を選んだのはこのカーストによるものが強かったのでしょう。
インドの社会で仏教が滅びたのは、仏教がカースト制度を認め
なかったためである、とも言われています。
カースト制度を認めない仏教徒は、全ての人と平等に交際します。
しかし、インド人は、特に高いカーストの人は低いカーストの人と
付き合いません。低いカーストの人と付き合っている仏教徒は、
結果的には低いカーストの人間にされてしまいます。
つまり、仏教徒というだけで低いカーストにされてしまいました。
その結果、仏教がインドで衰退してしまったのです。
『仏教と儒教』 ひろ さちや著:参照
仏教の話 ☆ 2≪分裂≫ で、釈迦の入滅後、200年間と
考えたとき、ふと、インドにおける制度が頭をよぎりました。
今のインドの宗教は、インダス文明の時代からインド及びその
周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ時代に従って変化
したヒンドゥー教が大半を占めています。
- 以下、『提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
【現代のヒンドゥー教】より
アジア地域における信仰の広がり
インドでは人口の81.4%を占める8億2760万人、ネパールでは人口の過半数、バングラデシュでは人口の14%、スリランカは15%がヒンドゥー教徒である。インドネシアのバリ島では人口の約9割がバリ・ヒンドゥーと呼ばれる独自の習合宗教を奉じ、マレーシア、シンガポールにも相当数の信者が住んでいる。世界全体での信者数を比較してみるとヒンドゥー教徒は仏教徒よりも多くなる。信者が地域的に遍在していることもあって、日本では世界宗教ではなく民族宗教と考えられており、世界三大宗教の座を仏教に譲っている。
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【カースト】より
基本的な4つのカースト(ヴァルナ)とカースト外の身分には、以下のものがある。
- ブラフミン(サンスクリットでブラーフマナ、音写して婆羅門・バラモン)
- 神聖な職についたり、儀式を行うことができる。バラモンというのは「ブラフマン(梵)を有するもの」の意味で自然界を支配する能力を持つものとされている[24]。「司祭」とも翻訳される。
- クシャトリア(クシャトリヤ)
- 王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」、「武士」とも翻訳される。
- ヴァイシャ
- 商業や製造業などにつくことができる。「平民」とも翻訳される。
- シュードラ(スードラ)
- 一般的に人々の嫌がる職業にのみつくことが出来る。シュードラはブラフミンの影にすら触れることはできない。「隷民」「奴隷」とも翻訳されることがある。先住民族であるが、支配されることになった人々である。
- アチュート(パーリヤ)
- さらに、カースト外の人々もおり「不可触民」とも翻訳される。力がなくヒンドゥー教の庇護のもとに生きざるを得ない人々である。にも関わらず1億人もの人々がアチュートとしてインド国内に暮らしている。
なお、外国人であっても日本や裕福なアジアの国や、ヨーロッパ、アメリカからの訪問者はその国の力が強いため、高いカーストと同様の扱いを受ける。
カーストによる差別は1950年に憲法で禁止されている。(引用終)
現代のインドにおける仏教徒の数は、人口の1%以下だそうです。
仏教はインドにおいて衰退してしまったのです。
その原因が、カースト制度。1950年に禁止になったそうなん
ですが、今も根強く意識の中に残っているようです。
そういえば、この間、インドでは、コンピューター技術の習得率
が、かなり高いと、IT関連のニュースで言っていました。
そうです。IT関係は新しい職業!
インドの、カースト制度の中にはないし、これからの時代、
絶対不可欠のものとなるでしょう。
つまり、高いカーストと同様の扱いを受けれるのです。
カースト制度、この強い制度があったために正反対の
仏教が発祥したのだろうと、私は今、
遥か遠い時代に想いを巡らしています。
当時のゴータマ・シッダッタ(釈迦の本名)の苦悩は、
並大抵のものでは、なかっただろうなあ・・・と。。。